星を落とす一射
扇形に広がっている剣武練成館高校――その右奥にある弓道場。
その奥には的がずらりと並んでおり、一度に多くの生徒が射る事ができるように設計されている。そんな広い弓道場にいるのは空色の長髪を持つ少女のみだ。
それもそのはず、今は日がとっぷりと暮れており夜の世界が広がっている時間帯だ。弓道場で矢を射る生徒たちは、夕暮れ時に帰る場合がほとんどだ。
夜になれば的場も明るくするので、練習できない訳ではない。ただ、矢道は暗く矢の軌道を見る事はできないのだが。そして、剣武練成館の生徒の多くにとって弓道は精神修養の意味合いが強い。
そういう訳で、日が落ちてからも矢を射る生徒は稀である。
今、射場に立っているただ一人の少女――吾妻真弓はそんな稀有な生徒の一人である。
弓道場の明かりが真弓だけを照らす中、彼女は左手に弓を持ち右手で矢を番える。そうして、一度的を確認した後、ゆっくりと両腕を上げていき両拳が目線よりも上になった所で止めると、左手をぐっと押していく。それに連動するように右腕が後ろに動いていき、弓懸に掛けた弦がきりきりと引かれていく。最終的に両肩が一直線になった所で、彼女の動きが静止する。
「すぅぅ…………」
弓道場に息を吸う音が広がる。口からこぼれ落ちるその音が聞こえる程に、その場は静まり返っていた。
それから、十数秒後――
「はっ」
鋭い声、そして破裂音に近い音と共に弦から矢は離れ、暗い矢道を一直線に飛んでいく。そうして、矢は寸分違わず的の図星を射抜いた。
「ふぅ……」
すぐに弓は下ろさずに一呼吸してから初めて弓を下ろす。
すると、真弓以外に誰もいないはずの弓道場から小さな拍手が起こった。小さくとも、静寂が支配しているそこには十分な音量として真弓の耳に届いた。
彼女は拍手の音を頼りに辺りを見回すと、入り口の所に何者かが立っている姿が見えた。
「純ちゃん、いたんだ」
「お前が弓を引いているぐらいからかな。一応、気配は消して入ってきたけど、真弓も相当集中していたからな」
そうして、真弓の方に歩いてきたのは中肉中背の好青年――篠崎純平だ。真弓と純平は幼馴染なので、彼女は彼を『純ちゃん』と愛称で呼んでいる。
「それは当然だよ。弓は集中力が大事だしね」
「本当に毎日毎日、ご苦労様だな。その腕があれば、四天王にだってなれるだろうに」
「私、そういうの興味ないからさ。四天王になっちゃうと色々と拘束されちゃうでしょ? ここは戦闘エリアになってないからいいけど、私はずっと射撃の鍛錬がしたいからね。第一、遠距離の私にとって大勢で攻められたりするのはちょっと辛い。だから、新しく四天王になった望海や立花君がふさわしいと思うよ」
四天王は剣武練成館のトップであるが、同校の生徒に敗北した場合、その地位がその生徒に移るというシステムがある。
そのため、四天王になった生徒は常に狙われていると言っても過言ではない。但し、どんな時であっても仕掛けられては、生活に支障が出るので戦闘エリアというものが剣武練成館内には多く設けられている。その場所であれば、何人で四天王を襲おうと構わないのであった。
真弓はそういうものを避けるために、四天王を望まなかったのである。
「でも、純佳姉さんは四天王だっただろ?」
「私と純佳姉さんを比べられてもなあ。それに純佳姉さんは好きでやってた訳だしさ。私は純ちゃんを支えられればそれでいいんだから」
「真弓」
大切な事を言っているように聞こえるが、真弓は軽い調子で述べたつもりだ。それは彼女が常日頃、純平に言っている事だからだ。しかし、純平にとってはいつ聞いても嬉しい事だった。
静かな夜であり二人きりという状況もあって、彼は自然な動きで真弓を抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと純ちゃん! 今はダメだよ! 汗かいてるからあ!」
純平に抱きしめられた途端、じたばたと暴れ出す真弓。放課後からずっと矢を射ていたので、彼女が身に着けている衣服はしっかりと濡れていた。好きな人に汗をたっぷりとかいている状態で抱きしめられるのは、多くの女子が避けたい事だろう。
しかし、純平は真弓を離す気はなく、暴れる程に強く抱きしめる。彼女が暴れるので、左手に持った弓がばしばしと彼の体に当たっているが気にした様子はなかった。
最後の手段と言わんばかりに、真弓は練気を纏って強烈に抵抗するものの純平も同じく練気を纏って抑え込む。
真弓の動きはさらに激しさを増して純平を振り回す勢いだが、彼は彼女の腰に腕を回してがっちりと抱いている。
そこまでして抱きしめていたいのか、と思わないでもないが、これも純平の愛情表現の一つなのだろう。
それからしばらく二人のやり取りは続いた。
――やがて、諦めたかのように真弓の手から弓がこぼれ落ちる。
「「はあはあ……はあ……はあ…………」」
激しく動いていただけに熱い吐息を漏らしながら、矢道の方を頭にして抱き合ったまま床に転がる二人。ひんやりとした床が火照った体を冷ます。
「はあはあ……純ちゃんってば、はあ、強情過ぎ……」
「そういう、ぜえ……真弓こそ、強情……なんだよ」
こつん、と額をぶつけ合って、
「ぜええ、はあ、ええったい! 純ちゃんの方が強情……だから!」
「ぜええ、ってええええ! 真弓、ぜえ、の方が強情だろ!」
「純ちゃんは……んはあ、いつも、自分を曲げないんだから!」
「お前だって、ぜえ……頑として受け入れない時がある、だろ?」
抱き合っていた腕を解き、手と手を絡み合わせ、
「ほら……すぅ、やっぱり! そうやって、私が悪いみたいに、言って、さ! まるで……自分は悪くないみたいな、言い方をする」
「そんな事……言ってない、だろ? お前こそ、そうやって自分の価値観で、……全部、判断を下すじゃない、か」
足をもつれさせて、
「そんな事ないから!」
「そんな事あるだろ!」
「ない!」
「ある!」
お互いに悪態を吐きながら、息を整えていく。
それから、指と指をしっかりと絡ませて二人は仰向けに倒れる。
「ねえ、純ちゃん」
「何だよ、真弓」
「顎、上げてみて」
「こうか? おお、意外と見えるな」
「でしょ?」
仰向けになっていた純平は真弓の言われた通りに顎を上げると、煌めく夜空の星が見えた。
「……そう言えばさ、流れ星の話、覚えてるか?」
「ああ……純ちゃんが駄々をこねた?」
ふと、思い出したかのように純平がつぶやく。幼馴染である真弓は、そのつぶやきにすぐに反応して見せた。
「そうそう。あの日、流れ星が流れたけど、俺だけ見る事ができなくってさ。真弓と純佳姉さんは見る事ができて、真弓なんか願い事したからってきゃっきゃきゃっきゃ、騒いでたよな」
「そんなにはしゃいでいたかな?」
「はしゃいでたよ。俺に見せつけるぐらいにはね」
「そうだったっけ? でも、その後は覚えてるよ。純ちゃんが羨ましがって自分も流れ星が見たい、見たい、って言って、見れるまで帰らないって言い張ったんだよね。やっぱり、純ちゃんの方が強情だよ」
真弓が思い出話の途中で先程の話を差し込み、
「また、その話を持ち出すのかよ」
純平が明らかに嫌そうな顔をする。それは反論する言葉がなかったからというのもあるだろうが。
「えへへ、ごめん。でも、結局ずっと待ってたけど、流れ星落ちなかったよね」
「そうなんだよな。だから、俺は――」
「「石を夜空に投げて星を落とそうとした」」
真弓が狙っていたかのように、純平の声に自身の声を重ねた。
「ははは、今思えばさ、バカな事をしたと思うよ」
真弓が声を合わせたからか、それとも自嘲しているのか、笑い声を上げながら言う。
「そんな事ないよ」
しかし、真弓はそれをきっぱりと否定する。
「え?」
「だって、すごいなって思ったからさ。純ちゃんってば、流れ星が落ちないなら自分で落とそうと考えるんだから。私には到底考えつかなかった」
「それはお前が俺と同じ状況になってなかったからだろ」
「そうかもしれないけど、自信はないかな。だって、小さい時の話だよ」
真弓からすれば幼い頃から自分の力で何かを手に入れようとする姿勢は、とてもカッコよく見えたのだった。
きゅっと真弓の手に力が込められ、強く純平の指に絡ませる。
「真弓?」
真弓が何かを伝えたいと感じて、純平から声を掛ける。
「ねえ、星、落としてみようか?」
「流石にできないだろ!」
まさかの提案に即否定の言葉で返す。
「純ちゃんと私ならできるかもよ?」
「お前がそう言うならやってみるか!」
「うん!」
しかし、真弓の純平とならできるかも、という言葉に押されて純平もやる気になる。
それ以前に好きな女の子がやりたいと言っているのだから、たとえそれが無理難題だとしても男としてはやらない訳にはいかないだろう。
「――しょっと。行くぞ、真弓」
「ありがとう、純ちゃん」
先に純平が起き上がり、繋いでいた手を引っ張って真弓を引き上げる。
「それでどうするんだ?」
「うん、純ちゃんの練気を私に注いでもらっていいかな? 私が夜空の星に向かって射るから」
「分かった。じゃあ、始めようぜ」
「うん」
軽く打ち合わせた後、真弓は純平から少し離れて両拳を合わせる。射る、と言っているにもかかわらず、彼女は弓も矢も持っていない。
すると、真弓の体から空色の練気が溢れ出し両拳に集中していく。そして、練気が弓と矢を形成する。
「準備おっけーだよ!」
「じゃあ、こっちも全力を注ぎこんでやるからな」
「うん! 純ちゃんの熱い奴、注ぎ込んで!」
「真弓、それ誤解生むぞ!」
「いいよ、別に!」
「ったく、集中しろよ。生半可な力じゃ、夜空になんか届かないぞ」
「ごめん! 今からやるからね。すぅ……」
純平に若干怒られて、気持ちを引き締める真弓。それから、練気の弓を夜空に向け練気の矢をぐっと引き絞る。
それを見た純平は、気合声を上げて真弓の背中に両手をかざし、黄色い練気を注ぎ込む。
「ぐっ……これでどうだ?」
純平ががくっと膝を折って片膝立ちになる。
「ありがとう、純ちゃん!」
純平の練気を受け取った真弓の体から空色と黄色の練気が渦巻き始め、その全てが彼女の引き絞っている矢に絡みついていく。
そして――
「いっくよおおおおおおおお!!!!」
真弓が弓道場に響き渡る声を上げると、夜空に向かって渦巻く矢を撃ち放った。それはまるで星が夜空へと打ち上がっていくような光景だった。
そして、空色と黄色の尾を引きながら渦巻く矢は玄色の空を突き進んでいき、夜の闇に吸い込まれていった。しかし、夜空には変化がなく依然として星は煌いていた。
「ああ、やっぱりダメかあー。あ……」
脱力した声と共に練気の弓が霧散すると、ふらっと真弓の体が後ろに傾く。
「真弓!」
「あはは……ありがとう、純ちゃん」
丁度、後ろに純平がいたので素早く彼女を抱きとめた。そのまま、二人で倒れこむように座った。
「気にするなよ。別に星が落とせなくてもさ」
「うん、分かってたんだけど。せっかく純ちゃんが手伝ってくれたのになあ」
そう言いながら、二人して夜空を見上げると――
「「あ……」」
まさにその時、夜空を切り裂くように一条の星が流れたのだった。




