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七恋パラレルワールド  作者: 堀塚 刀夜
『夜空に煌めく星々を見上げて』
33/34

七月七日 願いを重ねて

「はあ……中々上手くいかないもんやねえ」


 七月七日の夜、花菱祭は部屋のベッドで悶々とした気持ちを抱いていた。自身の想い人に気持ちは届いているはずなのだが、それ以上に踏み込めない――いや、踏み込ませてくれないのだ。


「なんでやろなー。うちの気持ち分かっているはずやし、向こうもうちの事、嫌だとは思うてないはずやけど……やっぱり、うちみたいな貧乳は相手やないんかなー」


 ため息を吐きながら、自分の胸を布越しに触る。そこにはささやかなふくらみがあるだけで、そういう意味では何とも寂しい光景と言える。だから、彼女は両手を胸に当てゆっくりと動かし始める。

 それは彼女が毎日しているマッサージ。しかし、その努力の甲斐もなく彼女のそれに大きな変化はなかった。

 考え事をしながらのマッサージであったために、自身の敏感な部分に指が引っかかってしまい「ん……」と声を漏らしてしまう。

 想い人を想っていた事もあるだろうが、奥底からむらむらと劣情が湧き上がる。それは祭の体を熱く火照らせ、手が無意識のうちに腹を這っていく。それに気付いた彼女は、劣情を強固な意志で抑え込む。しかし、それは抑え込んでも溢れ出ようとする。


「これはあかんやつなー、慰めたって止まらんやろな……今の状態やと声は確実に抑えられんやろし。しゃあない、少し外に出て火照りを冷ますしかないなー」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく。次の行動を決めた祭は、ばっとベッドから起き上がると、薄着の上からシャツを着て、彼女の代名詞とも言うべき法被(はっぴ)を羽織る。最後にねじり鉢巻きを頭に締めると、ルームメイトに迷惑を掛けないように静かに部屋を出ていった。

 部屋の中は冷房が効いていただけに、外に出るとむわっとした熱気が体にまとわりつく。部屋を出てきたのは失敗だったかな、と思いつつ夜の散歩を始めた。


「うーん、今日は快晴やったからなー。満天の星空は無理やけど、多少は見えるなー。うん、綺麗な星やで」


 まばらに見える星を眺めながら、ゆっくりと歩を進めていく。歩き続けていると、周りにある建物から何かの作業をする音がちらほらと聞こえるようになった。彼女が所属する聖匠学園内ではよく聞く音だ。

 学生たちが自分たちのテーマを持って、創作活動に心を砕いている。祭自身も打ち込むものがあるだけに、夜になってまで続いている音に安らぎを覚える。

 しかし、祭の心はいまひとつ晴れる事はない。それも当然の事、今彼女の心に掛かっている暗雲は創作活動に関する事ではないからだ。


「そうや……校舎前にあれがあったな!」


 昂っていた心が鎮まった事で、何かを思い出した祭。善は急げ、とでも言うかの如く彼女は走り出した。気が逸っているのか、彼女の足には練気が纏われ、校舎前まで止まる事なく駆けていく。




「はあはあ……」


 そうして、彼女は聖匠学園の校舎前までやってきた。季節柄軽く走っただけでも、頬から顎に掛けて汗が流れ落ちる。

 そうまでして彼女が求めたものは、今は誰もいない校舎前の開けたスペースにどん、と飾られているたくさんの笹だった。

 これは七夕を祝うために、有志の生徒たちが用意したものだ。有志とは言っても、毎年の伝統であるために綿々と受け継がれているのであるが。また、多くの笹を用意しているのは、聖匠学園にいる生徒全員の短冊を吊せるようにしたためだ。


「ん……笹の音がええ感じやなあ」


 さらさらと揺れる笹に耳を澄ましながら、祭は笹群の真下へと歩いていく。そこには長机が設置されており、風に飛ばされないように円柱型の重しが置かれている短冊の束があった。


「うち、結局何も書かんかったからなあ。自分の願いは自分で叶えるんやって思っとるからなあ。そんなうちが今更星に願いを、なんて……現金やなあ。まあ、何もせえへんよりはましやろ。それに何かに叩きつけないとちょっとたまらへんしなあ……」


 自嘲気味に言いながら、重しから短冊を一枚抜き取り、用意されているペンで自分の気持ちを吐き出そうと考える。


「あ、でも、名前を出すのはちょっと恥ずかしいなあ……これ、生徒会も回収手伝うやろし……よし、願いだけ書いとこ」


 心を決めた祭は、視線を短冊に落としてペンを走らせる。


 ――大好きな人と、


「――祭か?」

「ひうっ! だ、誰や!?」


 誰もいないはずの場所で突然背後から名前を呼ばれる。それだけでなく、平坦で抑揚のない声に恐怖を覚え、顔を上げて声を荒らげる。それと同時に、祭は背後を見ようと振り向こうとしたのだが、まるで金縛りにあったかのように体が動かない事にも気付く。


(ど、どうなってるんや!?)


 恐怖で体が硬直してしまったのか、体が動かない事に祭はさらなる恐怖を味わう。


「ん、俺が分からないのか?」


 声の主は祭の怒鳴るような声に対して気分を害した様子はなく、ゆっくりとした歩みで彼女に近付いていく。


(い、今なんて言うたんや!?)


 恐怖によってまともな思考ができていない時に発せられた言葉だったので、祭には何を言われたのか分からなかったのだ。だからこそ、気配を感じさせず、地面を踏む音と笹が揺れる音だけが聞こえる状況に、祭は冷や汗が止まらない。先程まで風情を感じていた笹は、今では恐怖を増長させるアクセントでしかなかった。

 そこで彼女は気が付く。恐怖に加え、背後から言い知れぬ圧力が自身に掛かっている事に。改めて正体不明の何かを感じ、祭の手からペンが離れ長机に転がる。


 そして、薄暗い中、着実に近付いてくる存在にもう祭の精神は限界だった。


「や、やだあ、来んといてえ……」


 足音がすぐ近くに聞こえた時、目尻に涙を溜めた祭はぺたんと座り込んだ。恐怖で腰が抜けたのだ。


「祭!?」


 祭が座り込んだのを見て、慌てたのは彼女に近付く何者かだった。地面を蹴る音が聞こえ、その人物が祭の側にやってくる。

 それだけでなく、すっと背中に手を添えられ背筋がぞくりとする感覚を味わう。


「やあ……さわらんといて……」

「祭、俺だ。一真だ」

「へ? かず、ま、せん……ぱい?」


 そう言われて、おそるおそる首だけを後ろに回すとそこには見慣れた顔があった。その顔は少し慌てた様子で、普段の毅然且つ磊落(らいらく)な彼とは少し違っていた。


「な、なんやあ……一真先輩やんかあ」


 自分に近付いていた何者かが自身がよく知る人物――それも先程まで想っていた人物だと分かり、ほっと安堵する祭。

 背中に触れられているのが分かり、ずっとこうされていたいと思いながらも彼女は一真に向き直る。


「いや、分かってたと思ったけどな」

「わ、分からんよお、なんか怖かったもん……得体の知れへん圧力も感じ取ったし、声もいつもの一真先輩とは違っとったんよ?」

「……ああ。もしかして、気配を感じなかったりしたか?」

「せやで、ほんま怖かったんやから」

「それは……俺が悪いな。すまん」


 祭が心の底から恐怖を感じていた事を理解した一真は、申し訳なさそうに謝る。しかし、その姿に祭は違和感を覚える。


「なんかあったんです、一真先輩?」


 恐怖の正体も分かり、落ち着いてきたのだろう。敬語で訊ねる祭。

 一真は目を大きく見開いて彼女を見つめる。それは自分が普段と違う事を見抜いているからだ。彼はビジネスに携わる関係上、心のうちを誰かに明かす事をしていない。それは彼の幼馴染に対しても同様だ。


「何もないって言ったら信じるか?」


 そう言っている時点で何かあると言っているようなものであるが、敢えて一真は祭にそう訊ねる。


「……一真先輩がそう言うなら、うちは信じます」


 試されているのが分かっているだけに、渋々ではあるがそう答える祭。一真の事を何でも知りたい祭は、気持ちとしては追及したいと思っている。悩んでいるのであれば、力になってやりたいとも思っている。

 しかし、彼がそう言うのであれば彼女は彼を信じる。それが彼女なりの献身だ。


「そうか」


 そう言いながら、一真は祭の黒髪を優しく撫で付ける。その行為に祭は幸せを感じる。彼に触れられるだけで彼女の心は満たされるのだ。

 笹の葉が揺れる音だけがはっきりと聞こえる世界で、祭は改めて決意を固める。彼女は先程、自分の一真への想いを短冊にぶつけようとしていたのだ。

 ならば、今ここでぶつけてしまってもいいのかもしれない。直接言う方が自分の強い気持ちを伝える事ができるだろう。短冊に書くのも憚れるような内容もだ。

 何より今を逃せば、一真の懐に踏み込めないような気がしていた。いつも以上に、彼が優しいのもおそらく自分から距離を置こうとしているからだと彼女は直感した。


(もし、うちの思った通りならそれだけは嫌や)


 そう思い、決意を確固たるものへと変えていく。二人きりの状況や彼が抱えているものの一端を垣間見たからこそ、祭の気持ちは固まった。


「一真先輩、うちを側に置いてください」


 しかし、意を決した彼女の口から出たのは、愛の言葉などではなかった。いや、これはこれで愛の言葉なのかもしれない。事実、祭はそのつもりで今の言葉を一真に告げたのだ。


「断る」


 はっきりとした拒絶。それは当然ながら祭の気持ちを受け入れない事を意味している。

 彼女には一真の気持ちをはっきりと理解する事はできない。それでも分かる事はある。それは一真が本心からその言葉を言っていないという事だ。それを示すように、彼の手は未だに祭の頭を撫でている。その手に温もりを感じている祭は、一度断られたぐらいで諦めるつもりはなかった。


「一真先輩がうちを受け入れてくれないのは、うちの事を想ってですよね?」

「…………」

「黙秘は肯定だと見なしますで。なあ、一真先輩、うちが側にいたら迷惑やろか?」


 甘えるように訊くのではなく、その瞳に全く退かないという意志を宿して一真を見つめる。


「迷惑じゃねえよ。ただ、お前を危険な目に合わせたくないだけだ」

「それはつまり一真先輩は危険な場所に立ってるという事ですよね?」

「どうだろうな……それは後々分かる事だろうな。実際、俺もこれに対してどれだけのリスクがあるか分からねえしな。だから、お前を側に置きたくないだけだ」


 それは一真にしてははっきりとしない物言いだった。その言葉の中で、祭は彼が自分の事を想って距離を置こうとしている事をはっきりと理解した。


「なあ、一真先輩。うちの事、好きか嫌いか、どっちかで答えてくだされへん?」

「好きだな」

「それはどういう意味で?」


 敢えて祭は一真に訊ねる。彼女はその答えを十中八九分かっている。それでもなお、彼の口から聞きたかったのだ。


「後輩として、一人の女性としてだな」

「でも、うちらってそんなに長い時間を過ごしてへんよ? それでもうちの事が好きなん?」

「それはお前も同じだろ? でも、そうだな。お前はいつも俺の側にいたからな。自然と愛着が湧くものだろ?」

「うう……」


 はっきりと好意を伝えられ、元々赤くなっていた顔が一気に赤くなる。


「だけど、これが愛かって言われるとちょっと首を傾げるな。お前の事を大切に思っているのは間違いないがな」

「それでもええです! うちは一真先輩の事が大好きです。だから、側に置いてください! 危なくてもええです、一真先輩を支えたいんです」


 一真が本心で語ってくれていると感じた祭は畳み掛けるように、想いの丈をぶつけた。祭はすぐに答えが返ってくると思っていたが、一真は口を開かない。

 それだけに彼女は少し不安を感じる。もしかしたら、本当に受け入れてくれないのかという可能性が頭を過る。


 一真が口を閉ざして、少し経った時、横風が強く吹いて、いつも以上に笹の葉が大きな音を立てて揺れ動く。一真の言葉を待つ祭は誘われるように、大きな音を立てた笹を見上げた。


「あ……」


 いつの間にか夜がさらに深まったからだろう。星が部屋を出た時よりも鮮やかに輝いているように見えた。それはまるで自分の恋を応援しているかのように、祭には感じられた。

 待っていれば、受け入れてもらえるかもしれない。しかし、それは一真を支える事に繋がらないように祭には思える。ならば、自分から飛び込むしかない。

 そう思った時には祭の体は動いていた。今まで踏み込ませてくれず足踏みしていた一線を自身で越える。


「――祭」


 意外そうな声を一真が上げていた。祭はがしっと両腕を彼の背中に回し、顔をその胸に埋めていた。ぶわっ、と男の強烈な匂いが祭の鼻腔を直撃し、頭がくらっとする。それでも、彼を離すまいと彼女の両腕にはぐっと力が加わっている。


「全く……そういう行動的な所も嫌いじゃないぞ」

「一緒にいてええですか?」


 上目遣いで、最後のお願いをする祭。これで断られるなら、諦めようと腹を決めているのは一真から見ても明らかだった。


「ああ、俺の側にいろ」

「ありがとうやで、先輩…………」

「祭? 寝たのか」

「すぅすぅ……かずませんぱい……」


 一真が自分を受け入れてくれた事で、恐怖から始まった緊張の糸が切れたのだろう。一真はそう判断して、両腕を彼女の腰に回して抱き上げ立ち上がる。


「ん?」


 その時、目に入ったのは長机にある円柱型の重しに張り付いている一枚の短冊。一真は祭を抱いたまま、その短冊を手で掴む。

 そこには見慣れた字で『大好きな人と』と書かれていた。一真はここに祭が来た事からも彼女が書こうとしていた内容に頭を巡らす。


「……願いはちゃんと書いておかないとな」


 そうつぶやいて、片腕で祭を抱いたまま転がっているペンを掴み、短冊に続きを書き始める。


 ――ずっと一緒にいられますように。


「よし、これでいいだろう。俺と祭の合作だな」


 満足げに書き終えた短冊を見て、祭を肩に乗せると、両手で笹にそれを吊るして去っていった。


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