七月七日 二つの輝く星
――七月七日。
周囲は静まり返り物音一つ聞こえない夜の下、明かりが点々と見えるエレメンタル・アカデミーの寮――その一室のベランダに銀髪の女性の姿があった。そして、生暖かい風が前に垂らしている二房の三つ編みを揺らしている。
「はああああ……」
まばらに見える星空を眺めながら、その女性――桂川吹雪は大きく、大きく、ため息を吐く。そのため息が表すように、彼女は浮かない顔をしている。
ふと、吹雪が空を見上げる。夜空には宝石を散りばめたような美しい星の数々。しかし、そんな綺羅星たちも彼女の心を明るく照らす事はできない。それだけ彼女の心は暗く深く沈んでいる。
――しばらくの間、星空を眺めていた吹雪はもう一度大きなため息を吐いて夜空から目線を切ると、部屋の中に入っていく。
吹雪の部屋はエレメンタル・アカデミーの寮の中では最も広い部類に入る。その理由は、彼女がこの学校の教師という職に就いているからだ。それもあって、吹雪はこの自室をとても気に入っている。
だからこそ、普段であれば何の不満もないのだが、今日ばかりはどうしようもなくこの広い部屋が恨めしく感じる。
沈んだ気持ちは晴れる事がなく、のっそりとした動きでテレビの電源をつけ、椅子に腰を下ろす。
テレビの画面には七夕にまつわる逸話などを紹介する番組が放送されていた。しかし、吹雪の頭の中に内容は全く入ってきていない。音声は右から左に流し、映像は一枚の絵のように見える。
そんな彼女の手は、いつの間にかテーブルの中央に置いてあったボトルを掴んでいた。そして、栓をぽんと抜き、ボトルを挟んで置いていた二つのワイングラスの一方へボトルを傾ける。
とくとく、とくとく、と赤い液体がワイングラスに注がれるのだが、適量を過ぎても吹雪の手は止まらない。もし、誰かが側にいたのなら止めたのかもしれないが、彼女の側には誰もいない。
そうして、真っ赤に染まったワイングラスを吹雪は一気に呷った。徐々に減っていく赤い液体だが、実際の所、彼女が一気に飲み切れる量ではなかった。
液体が残ったワイングラスをテーブルにかたん、と置くと不満げな顔で、
「……ぬるい」
の一言。
季節は夏、空調が効いているとはいえ、自分が思っていたよりも冷たくなかった事が気に入らなかったのだろう。
ほんのりと顔を赤く染めた吹雪は、ワイングラスをじっと見つめる。すると、ワイングラスに結露が生じた。それを見た彼女は頷いて、残りの液体を飲み干した。
そして、ワイングラスを置くと満足げな表情でまたボトルから赤い液体を注ぎ始める。先程より少ない量――それでも適量よりは多いのだが――を注ぎ、一気に呷った。
「――ぷはー。……そりゃねー、織姫や彦星みたいに一年に一回しか会えない訳じゃないよー? でもれー、わらしは会いらいのー、会いらくて会いらくて仕方ないのー。ねー、分かりゅー? 分かるりゅよね? 恋人に全然会えないわたしの気持ちぃー。今日は会えりゅって言うから準備してたのにしゃあー」
酔っているのか、それとも意識的なのか、吹雪が子どもっぽい口調でテレビに向かって話している。普段の母性を感じる姿からは想像ができない変わりようだ。
それから、時々笑い声を上げてワイングラスを傾けていると、すぐにボトルが空になった。
「あれー、もうなくなっちゃったあー。もう一本、もう一本」
そう言いながらすっくと椅子から立ち上がり、赤い顔の割にしっかりとした足取りでキッチンへと向かい、そこに置いてある中身の入ったボトルを掴んで、元の場所に戻る。
ボトルの栓を開け、先程と同じようにワイングラスへなみなみと注ぐのかに見えたが――注いだのは今日初めての適量。
ワイングラスを軽く揺らしながら匂いを味わう吹雪。
「はあ……酔えないよ、やっぱり。らいがぁー、君がいてくれないと気持ち良く酔えないのぉ……会いたいよぉ、らいがぁ……」
ゆっくりとワイングラスを傾け、赤い液体を口に含み転がす吹雪。充分にその味を味わってから飲み下す。
「美味しくないよぉー……でもぉー……ちょっと飲み過ぎたかなぁ」
ゆっくりと立ち上がり、少しおぼつかない足取りでまたベランダへと足を運ぶ。
夜はさらに深まっており、夜空に浮かぶ星はさらに輝きを増し煌めいている。その中でも吹雪の目に際立って見えた二つの星があった。
まるで惹かれ合うように輝いて見える。しかし、決して交わる事のないその二つの星に、吹雪は自身と恋人を重ね合わせる。
「もし……もし、叶うならば……雷牙に会わせてください。お願いします」
普段の吹雪であれば、星に願うなどありえないだろう。しかし、今日は七夕。人々が星に願いを捧げる日だ。
であれば、自身の願いを願っても構わないだろうと、吹雪がぼおーっとする頭で考える。
――しかし、
「あははははっ!! ばっかだなーわたしは! 星に願ったぐらいで叶う願いならすでに叶ってるって! ああ、もう!! バカああああああああっ!!!」
大きく笑い声を上げるだけでなく、静かな夜に響く声。確実に近所迷惑だったであろう。
「――なら、俺がその願い叶えてやろうか?」
「へ? あ……」
背後に聞こえた声に振り向こうとした時、足がもつれる。バランスを崩した吹雪はそのまま倒れるが、すぐに軽い衝撃を受ける。どうやら何かにぶつかったようだ。
しかし、吹雪はこの感触を知っている。硬い感触だが、どこか懐かしくもあるそれは――
「ら、いが?」
「おう」
ずっと待ち焦がれていた男の声が聞こえて、吹雪の涙腺は崩壊する。ぼろぼろと大粒の涙が彼女の頬から流れていく。
「ら、いがああ、ぐす、らいがあ」
「待たせたな。もっと早く来るつもりだったんだけどな。さ、中に入ろうぜ。今日はずっと側にいてやるからな」
「ぜったいだよ?」
「ああ、もちろんだとも」
そうして、吹雪は雷牙に促されて部屋の中に入ろうとする。ベランダから部屋に入る直前、吹雪は立ち止まり涙で霞んだ目で夜空を見上げる。
そこには二つの輝く星があった。吹雪の目には先程よりも二つの星の距離が縮まったように見えた。
「吹雪、どうかしたのか?」
「ううん、何でもないよ」
――ありがとう。
と、内心で感謝の言葉をつぶやきながら、吹雪は部屋の中へと入っていった。




