雨に投影する心
ぽつぽつ、ぽつぽつ、とうちの傘に静かに雨が落ちていく。どこか寂しげなその音は、今のうちの心情を的確に表しているようだ。
周りには見ず知らずの人々が歩いていて、知り合いは誰もいない。
そういう意味では、うちは独りぼっち。
そう、独り寂しく雨の音を聞いている。一人きりでいる事は、今までも珍しい事ではなかったので、そこまで寂しいとは思えない。
でも、今は違う。この場に立っているうちは一抹以上の寂しさを抱えていた。
それは隣にあの人がいないから。うちの心を照らしてくれる太陽のようなあの人が。
まだか、まだか、と待つ心持は、ぽつぽつ、ぽつぽつ、と傘を鳴らす雨音と似ている気がする。
それはうちの感性。他の人にはそう聞こえないかもしれない。なぜなら、うちはどこか他人とは浮いた存在だと思うから。
気が付けば、黒い前髪に一筋入っている青い髪を弄っている。
この一筋の髪はうちそのものだ。見渡す限りの黒髪の中で、明らかに異質な青い髪。まさに異端と言っていい。
――そうそれは、昔のうちのようだ。
でも……この都市に来てからのうちは異端ではなかった。それを真っ先に教えてくれたのは、うちの大好きなあの人。
――ああ、早く来てくれないっすかねー。
あの人を待ちきれない心。きゅっと締め付けられる感触は意外と癖になる心地良さだ。
そして、静かに雨音に耳を傾ける。やはり、ぽつぽつ、ぽつぽつ、と寂しい。
「――ねえ、そこのかーのじょ」
そこに雑音が混じる。いやらしく卑しく聞こえるその類の声は本当に大嫌いだった。女を物としか見ていないような気がするから。
そして、うちの視界を遮るように黒い傘が目の前に現れた。うちが答えなかったからだろう。
「あれれ、無視してる? まあ、いいや。こんな所で一人雨に打たれているなんて、もったいない! 俺と一緒にどこかで雨宿りしにいこうぜ!」
顔をのぞき込むように、黒い傘を持った男が腰を低くした。一瞬見えたのは金髪だ。ますます嫌になる。
さらに、いやらしい三日月の目と自分の目が合ってしまい、無言で顔を背けた。
人の良さそうな笑顔ではあったが、その内面が透けて見えて気持ちが悪い。
「もしかして、誰かを待ってる? 君みたいな可愛い子を待たせるなんて、最低な奴だねー。男かな? 男だったら最悪だよねー」
その言葉にぴくり、と肩を震わせる。うちの事はともかく、あの人の事を侮辱するなんて許せない。
しかし、ここで手を出したら負けだ。それに相手の実力も分からない。
あの人もうちに勝てる人はそうはいないと言っていたけど、油断はするな、とも言われている。
そんな時、ざあざあざあー、と雨音が強くなった。それはまさにうちの今の心情を表すようだ。
内側から怒りが湧いてきて、暴れ回っている、そんな感じだ。
うちってあの人の事になると感情的になってしまうんだよね。
「雨も強くなってきたし、そろそろ行こうよ」
と言いつつ、うちの腕を掴もうと金髪の男が手を伸ばす。
――速い。目視できない程ではないにしろ、普通の学生よりは速い。どうやら、練気で強化しているみたいだ。
まあ、無駄だけど……
「うわっ」
びちゃん、と水が跳ねる音が、一瞬、雨音を消すぐらいに盛大に響いた。周りの視線を一身に集め、濡れた金髪の男の顔が羞恥に染まる。
そこで初めて金髪の男の全身を見た。金髪は濡れ、体全身も濡れてはいるが、それでも見栄えがするだけのルックスは、持ち合わせているようだ。
しかし、この金髪の男を見れば、人は容姿ではないと断言できる。ただ、うちが言ってもあまり説得力はないかもしれない。
あの人は目の前で、顔を真っ赤にしている金髪の男よりも断然カッコいいから。
本当にカッコ良くて、ついつい甘えしてしまう。
「――てめえ、今何をしやがった」
黒い傘を投げ捨てドスの効いた声。少し足が後ろに動く。本能的に自分の女の部分が、その怒声に恐怖する。
でも、そこを意志の力で捩じ伏せる。にらみつけるように、うちは相手の金髪の男を見た。
「うちは何もしていないっすよ。お兄さんが勝手にこけて、水たまりに突っ込んだだけっすよ?」
「ふざけてんじゃねえぞ!」
――また、水が跳ねる音。
その時には、目の前に拳が迫っていた。速いけど、うちには無意味。あの人と鍛練している、うちには普通の一撃にしか見えない。
そして、うちに当たると思われた拳は、急にその軌道を変えて、うちから逸れた。男はたたらを踏むようにうちの横に流れる。
「ああ、くそッ! 調子に乗ってんじゃねえぞ、この尼ァァッ!」
怒りを吐き出しながら男はすぐに態勢を立て直して、再度うちに拳を突き出してきた。
――しかし、その拳はうちの目の前で止まる。目の前に真紅のブレスレットが見える。
――ああ、やっと来てくれたっす。
「そこまでだ。俺の女に手を出してるんじゃねえよ」
きゅん、と心が波打った。さらっとこういう事が言えるのが、この人の凄い所。
好きな人に、こういう風に宣言されるのは本当に幸せを感じてしまう。これは女子の特権じゃないだろうか。
それが、物のように扱われたような言い方だったとしても、そこに籠められた意味はしっかりと伝わっている。
「君がその子の彼氏って訳。ふーん、冴えない顔をしているね」
金髪の男の小馬鹿にしたような声には青筋が立った。お前なんかが、この人の事を好き勝手言って良い訳がない!
感情が上手く制御できない。そのせいか、一歩足が前に出た。
――しかし、彼に制される。
「望海、お前があんな下種に怒る事なんてないさ」
「龍先輩……」
「下がっていろ」
こくりと頷いてうちは後ろへ下がる。
ざあざあざあー、と雨の勢いが変わらない中、あの人――龍先輩は持っていた青い傘を下に置く。
「さあ、かかってこいよ!」
くいくいって、手の平で金髪の男を挑発する。それは余裕の表れでもある。
龍先輩の考え方からすれば、そんな事しないはずだけど、きっとうちのために怒ってくれているのだと思う。
そう思うと、本当に嬉しく感じる。
「覚悟しろよ、糞野郎!」
男が地面を練気の纏った足で蹴った。水たまりでもないのに、その反動で地面に薄っすらと流れている水が大きくはねる。
飛び出した拳は、高速とは言わないものの早い。その速さは、うちが捉えきれるかどうか。
さっきまで相手が手加減していた事がよく分かる。思っていた以上に金髪の男は強い。あのまま、続けていたら負けたかもしれない。
でも――
「ぐはあっ!」
――うちと同じ程度では、龍先輩には届かない。
カウンターを受け、金髪の男は雨に濡れた地面に倒れ伏す。男はぴくりとも動かない。完全に落とされたのだと分かる。
やっぱり相手にもならなかった。先輩は強いよね。
「さ、行こうか、望海」
倒れた金髪の男には目もくれずに、龍先輩が地面に置いた傘を拾って、こちらに話しかけてくる。
「はいっす!」
龍先輩の横に並んで歩く。傘のせいで先輩のすぐ側で歩く事が出来ないのがちょっと残念。
そして、しとしと、しとしと、といつの間にか静かな雨へと変わっていた。
「悪かったな、待たせてしまって」
「そんな事ないっすよ! うちもさっき来た所っすから。その、助けてくれてありがとうっす」
「いや、俺がもっと早く来ていればこんな事にはならなかったよ」
「でも、30分前には来てくれたじゃないっすか」
「まあ、雨も降ってたしな」
「それだけで十分っすよ!」
今回はうちが早く来過ぎていただけだから、先輩が謝る事じゃない。でも、そうやって、うちの事を心配してくれるのは本当に嬉しい。
「そっか。ともかく望海が無事で良かったよ」
「先輩……。それよりも、寒く……ないっすか?」
下からのぞき込むように先輩を見る。あの金髪男を倒すために傘を一度手放してくれたっすからね。
うちのためだって思うと、少し罪悪感。
「ああ、これぐらい何ともないさ」
先輩は軽く肩に乗っている水滴を払った。
――ううー、かっこいいー……軽く濡れている先輩、なんとも言えない色気がある。
水も滴るいい男っていうのは、こういう人を言うんだよね。
「龍先輩、これからどうするっすか?」
「そうだなー、あんまり考えていないんだよね。雨だけど、少し歩かないか?」
「了解っす!」
こうして意味もなく歩く事は意外と好きだ。空想を膨らませられるから。と言っても、最近は龍先輩の事ばっかり考えているけどね。
だから、大好きな先輩と一緒に歩けて本当に幸せなんだ。
ただ……欲を言わせてもらえば先輩と腕を組みたいなーっと思う。
静かに傘を打つ雨の中、うちはちらちらと先輩を見ている。たまに目が合うと、恥ずかしくて顔を背けてしまった。
「望海、何か言いたい事があるのか?」
「い、いや、何でもないっすよー」
先輩から視線を外しながら答える。
うー、これは何か言いたい事があるって言っているようなものだよね。
「悩みとかだったら遠慮なく聞くぞ? 望海の浮かない顔なんて、見たくないからさ」
「もう、ほんと先輩って優しいっすよねー……ますます好きになっちゃうっす」
「ん、何か言ったか?」
「なーんもないっすよ! 先輩、相合傘しないっすか?」
先輩の言葉で吹っ切れたうちは、そのまま相合傘をお願いしてみる。悩みじゃなくて、お願いだけどね。
「相合傘かー、いいよ。おいで」
先輩から許可が出たので、傘を閉じて先輩の大きな傘の中へ。
そして、どきどきしながら、自分の腕を細身にもかかわらず、たくましい先輩の腕に組ませる。
「えへへ……」
「落ち着くな、隣に誰かいると」
「そうっすね。ほんと、落ち着くっす……」
――とくとく、とくとく。
うちの心臓とリンクしているかのように、雨が傘に打ち付ける。
――どくどく、どくどく。
――とくとく、とくとく。
「ふふ……」
「望海?」
「先輩、うちは今とっても幸せっすよ!」
自分なりの満面の笑みを先輩に浮かべて見せる。
そうしたら、はっとしたような顔をした先輩がうちの頭を撫でてくれた。
――さあさあー。
様々な音を響かせる雨、それはうちの心を写す鏡のように。




