五月五日 旅行へ行こう!
――五月五日。
「旅行に行きたい」
唐突にふうがそう言い出したのは、四日前。
とにかくゆっくりと過ごしたいらしい。
確かにふうはいつも忙しくしているからな。
でも、ふうが白桜市を離れていいんだろうか? でも、そこは問題ないらしい。
まあ、言われてみれば、皆優秀だからな。
そして、二人きりで行くのか、と尋ねたら首を横に振られた。
琥鈴、凛、亜理紗と俺の五人で行きたいらしい。
色々と確認した訳だけど、ふうが行きたいと言うなら特に断る理由もないし、GWだから丁度いいのかもしれない。
それに旅行なんて忙しくて全く行ってなかったし、たまにはいいかもしれないよな。しかし、随分と急な話であるために日程の調整をしなければならなかった。
まずは三人に連絡しなければならなかった。
琥鈴は二つ返事で承諾してくれた。
凛には少し確認させてくれ、と言われたけど、最終的に行けると言ってくれた。
そして、問題は亜理紗だった。
彼女はGW前半の日程は埋まっていたようで、もしかすると行けないと言われた。
しかし、亜理紗は何とか後半の予定を開けてくれた。
そうして、日程は五月五日から五月七日の二泊三日で予定を組んだ訳だ。
それが決まったのが五月二日。
亜理紗の返事は一日経った後だったので、こうなった。
だが、大変なのはここからだった。
言うまでもなく、こんな直前で宿が取れるはずがない。
まあ、それでも良い所があるだろうと探して、電話を掛けまくった。
生きてきた中でここまで電話を掛けたのは初めてだったかもしれない。
結果? そこは察してくれ……
でも、それをふうや皆に告げて、彼女たちの悲しい顔を見るのは嫌だったので、何とかしようと薫流に聞いてみた。
薫流だったら、色々知っているだろうからな。
旅行の話をしたら少し電話越しに、にらまれてしまったけど、いつか埋め合わせをするとしよう。
そして、彼女は旅行、旅行と遠くに出掛ける事だけを考えていた俺に一つの可能性を示してくれた。
でも、そこの番号を俺は知らなかったので、雷牙さんに連絡を取った。あの人なら間違いなく知っていると思ったからな。
幸いすぐに連絡がつき、番号を教えてもらった。
旅行だからって遠くに行く必要はなくて、身近な所に行っても何も問題ないよな。まあ、旅行というよりは小旅行になるだろうけどな。
という訳で、旅館への光が見えた俺は早速電話を掛けた。そうすると、人はおらず貸し切り状態で泊まれる事が分かった。
値段も安くしてくれるようなので、すぐに予約する事に。
――まあ、色々と詮索されてしまったが……
***
――五月五日、正午。白桜市郊外の山の麓。
電車でもここに来る事はできるけど、俺たちであれば練気を使って歩いたとしても、そこそこの時間でたどり着ける距離。
だから、俺たちは歩いてここまで来た。軽い鍛錬の意味も込めてさ。走ればもっと早く着くんだけど、荷物を持ったままだと走りにくい。
近くに海があるおかげで、涼しげな風が俺たちの頬をくすぐる。初夏の風、ああ、すっごく気持ちいい。
まだ暑さも本格的じゃないから、ほんと過ごしやすい気候だよな。
皆も気持ちよさそうにしている。
「うーん、やっぱりここに来ると色々と思い出すよねー」
「うん、りっくんにいっぱい助けてもらった」
「私は龍と恋人になったのがここだからな」
「そうだね、ここには龍君との思い出がたくさんある」
確かに夏は必ずここに来ていたから、ほんと色々な思い出が詰まっているのは間違いない。
思い出すのも大変なぐらい色々な思い出がここにはある。
気が付けば腕を大きく広げて、四人の事を抱きしめていた。愛おしい彼女たち、色々な事を一緒に乗り越えてきた。
「龍って甘えん坊だよねー」
「琥鈴、私は龍にこうされるのは大好きだぞ?」
「りっくん、好きぃー」
「龍君、やっぱり貴方に抱かれていると安心します」
彼女たちの声が心に沁み込んできて、愛しい気持ちがふつふつと湧いてくる。
あー、これはやばいな。
このままは本当にまずい。
「じゃ、そろそろ行こっか、龍!」
絶妙なタイミングで琥鈴が俺の腕から抜け出る。まるで見計らったようなタイミングだ。
琥鈴の顔を見ると、にやにやした顔を隠そうともしない。
だから、俺も苦笑いで応じる。それに対して琥鈴は鷹揚に頷いてみせた。
それをじとーっとした視線で見つめる三人の少女。それは二人だけで理解し合っている事への精一杯の抗議だ。それに対して琥鈴は勝ち誇った笑みを見せて、皆を引っ張るように歩き始めた。
もちろん、琥鈴に対する嫉妬は全部俺の方へやってくる。
右腕を凛ががっちりとホールドし自身の胸に挟み込む。彼女なりの俺に対する好意の表れではあるけど、頬を赤くして恥ずかしがっている。相変わらず初心な所がある凛。そういう所は彼女の美徳であり魅力だった。
次に左側にぴったりとくっついてきたのは亜理紗だ。頭を左腕に傾けているので彼女のさらさらな金髪が腕に触れる。亜理紗は俺を見て静かに微笑む。その笑顔はとても綺麗で二人きりであればキスしたくなる。
そして、最後にふう。
「とうー」
全くやる気のない掛け声。
そして、後ろにぽよんと押し付けられる衝撃。腹の辺りで彼女は足をクロスさせ、しっかりとホールドする。彼女の両腕は首に巻かれ、おんぶ状態になった。
「おい、ふう」
「罰ゲームー、甘んじて受けるべし」
と言いながら、ぐいぐいとその凶悪な胸を押し付けてくる訳だけど……罰ゲームというかご褒美だと思うのは俺だけじゃないだろう。
それを見た凛はさらに強く俺の腕を挟み込む。
亜理紗は特に気にする事なく、俺の腕に頬ずりなどして堪能していた。
結局、左・右・後ろを確保された状態――いや、前・左・右・後ろか。俺たちの前方では琥鈴が先に歩いているからな。
つくづく俺は彼女たちと一緒に歩んでいるんだなと実感させられる。
そう、俺の周りにいる大切な人たちの事をちゃんと見ていかないといけないよな。
***
五月の頭という事もあって、山の中は青々とした緑が繁茂していた。
木々の隙間から差し込む光を浴び、木々の香りを感じていると、気持ちが落ち着いて爽やかな気分になる。
気持ちの良い気分で山頂を目指して歩いていると、登山をする人に何回か出会った。
俺たちが軽装で山を登っていたので、注意してくれる優しい人もいた。そういう時は謝るしかないよな。まあ、練気の話をしてもいいんだけど……今は微妙な時期だからな。
それに、俺たちはここに山登りをしにきた訳ではないからな。
「五人で来るのは初めてだよねー。あの旅館」
「そうだよなー。去年は全員で行った訳だからさ」
「うん。あれはすっごく楽しかった。……りっくんも激しかったし」
「ちょ、ふう。何言ってるんだよ!」
耳元でふうにささやかれて、大きく反応してしまう。
「ともかく、貸し切りというのはありがたいな。そもそも、あそこは気軽に泊まりに行ける場所ではないと思うが」
「そうだね。私たち全員で泊まりに行った時も他には誰もいなかったよね。私としては、幼馴染だけで旅行に行けるっていうのは、他の皆には悪いけど、嬉しいかな」
「うん、嬉しい」
「私も亜理紗とふうと同意見だな。この五人で過ごす時間はやはり何事にも代えがたい」
「うんうん。いつも以上に気持ちが楽だもんねー」
皆、喜んでくれそうで何よりだ。
確かにこうやってのんびりとした空間で皆と過ごす時間がなかった訳ではないけど、旅行として過ごす時間は初めてだからな。
遠出自体はした事あるんだけどね。
そうして、涼しげな空気が漂う山道を談笑しながら歩いていくと、目の前に剣山寺が見えてきた。
歴史を感じる荘厳な山門を抜けて、山頂への道を歩く。ここまで来ると目的地が近付いた実感があるよな。
「やっぱり全力出した方が早い。荷物あってもあんまり関係ないよ」
「って、俺の後ろにずっと乗ってるお前が言うかよ」
ふうは結局、山に入ってから全く俺の背中から降りなかった。
別に練気を纏えば重くもないし、彼女のたわわに実った果実を堪能できるからこのままで問題はないんだけど、その言い草には突っ込まざるを得ない。
「あはは! でも、ふうちゃん。こうやって、皆で一緒に自然を感じるって良い事だと思わない? 私は幸せな時間だと思うな。愛する人と大切な人たちと一緒にいられる時間、ほんとお金じゃ買えないかけがえのないものだと思うよ」
「うん、分かる」
琥鈴がふうを諭すように割と真面目な口調で言うと、ふうが自身の体を強く俺に押し付けてきた。凛と亜理紗も同じように俺に密着してくる。
「ほら、琥鈴。お前も来いよ」
「うん!」
そう促してやると琥鈴が俺の胸に飛び込んできた。歩く足を止めて、しばらく五人で繋がっていた。
聞こえるのは野鳥や葉の擦れ合う音のみ。世界に人間は俺たち五人しかいないような気持ちになってくる。
大切で愛すべき四人の温もりを感じる。琥鈴が言ったように本当に幸せな時間だ。
「龍君、皆、そろそろ行かない?」
「うむ、さっきからのんびりし過ぎているかもしれないな。嫌いではないが、旅館でゆっくりするのも悪くないだろう」
「じゃ、そうしますか」
そして、俺たちはまた歩き始める。
その足取りはさっきよりも断然軽く、練気の補助もあってすいすいと山頂近くまでやってくる。
そこで見えてくる獣道に俺たちは入っていく。
この獣道が現在どういう状態か知らないけど、あの黒い化け物が出てきたとしても今の俺たちであれば問題ない。
そうして、獣道を抜けた先に木造の建物を見つける。ここが混浴の温泉に入るための脱衣所などがある建物だ。
今回は、ここを素通りして、その先へと向かう。
「うむ、久しぶりではあるが流石の風格だな」
「高級旅館」
「相変わらず秘境という言葉が似合う気がするね」
「何だか圧倒されるよな」
「えへへ、楽しみになってきたなー」
そうして、俺たち五人の目の前に現れたのは、小さいながらも老舗旅館然として趣のある古風な旅館だった。




