始まりの始まり
桜花白蘭学園の門の前で、改めて深呼吸。
ああ、空気が美味しい。
それは未来が輝いて見えるせいだろう。
この地に立つまでの俺の人生は、抑圧されたものと言っても過言ではない。
それでも、ここまでやってこれたのは、見返してやりたかったからだ。
いつまでも認めてくれないあの人の事を。
「龍、あまり気負う必要ないと思うよ?」
「琥鈴……そうかもしれないけどさ。でも、やっぱり俺は――」
「うん! そうだね。知ってるよ、龍がずっと頑張ってきている事はさ!」
笑顔満開の幼馴染。
それを見て、考えを改める。
ここまでやってこれたのは俺だけの力じゃないんだ。
幼馴染である琥鈴が側にいてくれたから、今の俺がある。
俺にはもったいない最高の幼馴染だよな。
ほんと感謝してるぜ、琥鈴。
「じゃあ、そろそろ行くか」
「そうだね、早くしないと入学式に遅れちゃうね」
「まあ、余裕をもって来ているから大丈夫だろ」
そして、俺たち二人は夢への一歩を踏み出した。
門を潜って、目に飛び込んできたのは視界を覆いつくす程の桜だった。
桜花白蘭って言うぐらいだから、桜は植えてあるんだろうとは思っていたけど……
「……あはは、月並みの言葉も出ないね」
「本当にそうだな……」
元気が取り柄(元気だけが取り柄な訳じゃないけど)の琥鈴も呆気に取られる程の素晴らしい景色。
高校の中だけど、これは観光スポットになるんじゃないかって思うレベルだ。
「ふふふ、見事な桜だろう。他の高校にはない我が校の宝だと思うよ。ほとんどの人が初めてここを通った時に、足を止めてしまうものだ」
後ろから自信に満ち溢れた力強い女性の声が聞こえる。
おそらく、俺たちに向けられたものだと思うので、振り向いた。
そこには、桜花白蘭学園のブレザーにプリーツスカートを身に付け、腰までかかった黒髪をさっと流している少女が立っていた。
胸は二度見してしまう程に大きく、唇はいやに婀娜っぽく、腰はくびれ臀部が強調されている。そして、体全体からフェロモンが漂っている。
琥鈴とは全く性質の異なった官能的な美少女。
「――えっと、貴方は?」
そういうタイプには免疫がないため、見惚れてしまい反応がワンテンポ遅れた。
あれ、おかしいな。女性に見惚れていると大体、琥鈴から突っ込みが入るはずなんだけどな。
「私は後天院美冥。今、ここを通りかかった三年生だよ。確認するまでもないと思うが、君たちは新入生かい?」
鋭い目つきで俺たちに問う。
黒く綺麗な瞳からは言い知れぬ威圧感を感じ、俺は唾を飲み込むと同時に頷いた。
その後、くいっと袖口を引っ張られた。
琥鈴の方を見ると、何かに耐えるようにして唇を噛み締め、小刻みに震えている。
俺が声を出そうとすると、琥鈴の目が拒絶を示していた。
つまり、このまま会話を続けろという事だ。
「俺は立花龍と言います。こっちは高橋琥鈴です」
俺も少し注意しながら答える。琥鈴は軽く後天院先輩に頭を下げるだけだ。
「龍に琥鈴……か。良い名前だ。二人とも私が三年生だからか、少し緊張しているのかな。ふふふ、そういう所は初々しくて可愛いなー」
舌なめずりをしながら、後天院先輩が俺たちを見つめる。
――ぞくり。
背筋が凍る感覚に、心臓をぎゅっと掴まれたような気持ち悪さ。
不意に感じた不快さから、黙ってしまう。
というか、恐怖で口が開かない。
「あははっ! すまない、少し凄みを利かせ過ぎてしまったようだ。なぜかな、君たちとは初めて会うのだが、懐かしさを感じてね」
「そ、そうなんですか」
圧力が消え、口を開いて何とか言葉を絞り出す。
確かにさっきの悪寒は感じなくなっている。
でも、後天院先輩が言った意味は正直、良く分からなかった。
後天院先輩のような魅惑的な人と今まで会っていれば、嫌でも記憶に残っているはずだからさ。
「まあ、勘ではあるけどね」
少し考えるようなポーズをして、そう言った。
その姿がやけに様になっている。
「すみません、俺の方には記憶がないですね。おそらく、彼女の方にも」
「そうか、それは残念だ。会った、と言っても生まれてから会ったとは限らないものだが」
「え……?」
琥鈴は口を閉じたままだ。正直、失礼だとは思うけど、後天院先輩はまるで気にしていない。
代わりに告げられる意味深なその言葉。
前世の記憶を持っている人はいる、と聞いた事がある。
この人もそういう類なのだろうか。
「おっと、そろそろ入学式の時間ではないか? すまないね、私の話に付き合わせてしまって」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「ああ、また会う事もあるだろうから、その時にはよろしく頼むよ。そこの彼女とも話してみたいからね」
片目を閉じてウィンクする後天院先輩。
向けられた琥鈴は、びくん、と大袈裟な反応を示した。
それが気になりつつも、片手を振りながら去っていく後天院先輩に手を振り返していた。
俺は後天院先輩に終始圧倒されてしまった。
やっぱり三年生にもなると、あそこまでの域に達する事ができるんだな。
素直に感心する。こういう人たちがいるなら、ここに来た甲斐があるというものだ。
完全に後天院先輩が見えなくなった所で琥鈴に声を掛ける。
「……ごめんね、龍。ちょっと胸、貸してくれる?」
「大丈夫だよ」
弱々しい幼馴染の声に心配になって、すぐに体を琥鈴の方に向ける。
倒れるように琥鈴が、俺の胸へと顔を埋めてきた。
新入生だろう、入学式の会場に向かう生徒たちは俺たちをちらちらと見ている。
まあ、恥ずかしいのは我慢しよう。
***
「落ち着いたか?」
「うん……ごめんね……」
入学式が始まるギリギリの時間。
校内のベンチで俺は琥鈴に肩を貸していた。
こんな弱々しい琥鈴は珍しいな。
何となく手を伸ばして、彼女の頭を優しく撫でる。
気持ちよさそうに目を細める琥鈴は、お世辞抜きにして可愛かった。
そう言えば、小さい頃は結構やっていた記憶が――
「――いったっ! なんだこれ」
「龍!?」
ずきりと頭が引き裂かれるような痛みに襲われ、頭を抑えた。
琥鈴も慌てて体を起こして、心配してくれている。
痛みも一瞬だったようで、すぐに収まっていた。
本当になんだったんだろう。
「もう大丈夫だよ、琥鈴」
「そっか。何か思い出した?」
「いや、何も」
「そう……」
琥鈴が残念そうな顔をする。何か期待していたのかな。
って、そろそろ時間!
「琥鈴、急ぐぞ! もうすぐ入学式が始まる!」
「へ? もうそんな時間なの! って、ほんとだ! 急がなきゃ!」
俺たちは飛び上がるようにベンチから立ち上がって、入学式の会場である講堂まで走った。
「はあー、何とか間に合ったねー」
「はあはあ、練気を使ったからな」
息を乱しながら最後列のパイプ椅子に座る。
琥鈴の奴は涼しい顔をしている。スピードは同じはずだったし、練気も使ったのに何が違うんだろうな。
講堂内は思っていた以上に騒がしかった。
皆、俺と同じように期待に胸を膨らませている事だろう。
俺もここで自分の力を証明する。
「龍、さっきの事だけど……」
「あんまり気にするな。誰だって合わない人はいるものさ」
「う、うん。あの人はちょっと苦手だなー」
何かを誤魔化すような言い方。
やっぱり変だなと思うけど、必要であれば教えてくれるだろう。
無理に聞かないといけない程、切迫した状況じゃないと思う。
とんとん、と講堂内にマイクの調子を確認する音が広がる。
それはどんな世界でも共通するであろう『静かにしろ』という無言のメッセージ。
例に違わず、俺と琥鈴を含む新入生たちは静まり返る。
校長が壇上に上がって、話し始める。
偉い人の話ってどうして、こう……眠くなるものかな。
「すう……すう……」
琥鈴さんは俺の肩に頭を乗せて、すやすやとお休み中。
これでも必要な話は頭に入っているから、すごいと思う。
そして、校長の話が終わる。
次に生徒会長が話をするらしい。
どんな人何だろうか。≪ホーリーフェスタ≫では、今の生徒会長が活躍したという話は聞いた事がない。
だから、名前も全く知らなかったりするんだよね。
そして、壇上に出てきた人物に思わず、声を上げてしまう。
俺の声で琥鈴は目を開けて、前方の生徒会長を見つめる。
「あの人……」
「大丈夫か、琥鈴」
「ごめん……手、握っててくれる?」
琥鈴が不安な様子を隠そうともせずに言う。
あの人に何かを感じているのは間違いない。
大きく強調された胸に、腰まで掛かる黒髪、そして圧倒的存在感。
俺たちがさっき正門近くで遭遇した――後天院美冥、その人だった。
「皆、おはよう。私が生徒会長の後天院美冥だ。堅苦しい挨拶はいいだろう。私からは一つだけ言っておこう。――夢はあるか!」
腹の底に響くような声だ。
全員が後天院先輩を見ている。
「諸君にはぜひとも夢を追いかけて欲しい。多くの生徒が≪ホーリーフェスタ≫出場を目指している事だろう。それに加えて、自分だけの譲れない何かを見つけて欲しい。それが必ず後の君たちの道標となるだろう。私からは以上だ」
譲れない何か。俺にとっては実力を示す事だと思う。
見返さなければいけない相手がいる。
今の俺の支えとなっているのが、それだからな。
後天院先輩が話し終えた事で、講堂内を静寂が包み込む。しかし、すぐにそれは破られた。
新入生たちからの拍手喝采。後天院先輩への惜しみない賛辞だ。
その中にあって、俺は素直に称える事はできなかった。
隣で琥鈴がじっと壇上を見つめていたからだ。
その瞳は今から戦わんばかりの勢いで、纏う雰囲気も真剣で立ち会う時のそれだ。
「琥鈴」
俺が心配している事に気が付いて、琥鈴が溢れる剣気を静める。
この感じは苦手というより敵視しているようだな。
「あ、ごめんね……。あはは、変だよね、私」
「言いたくないなら、それでいいよ。でも、俺とお前は幼馴染だ。遠慮なく頼ってくれよ」
「……うん、そうだね。やっぱり龍は頼もしいなー」
いつも通りの琥鈴の笑顔だ。
やっぱり、琥鈴はこうでなくちゃ。
いつも俺を助けてくれる彼女は、本当にきらきらしているからな。
それから、これからの動きについての確認などが終わると入学式が終了した。
ここからが本当の始まりと言えるだろう。
刀を握る手に力が入る。
絶対に俺は俺のために、夢をこの手に掴んでみせる。




