心に刻む想い
三月三日。桜花白蘭学園生徒会室。
「うーん、やっと解放されたー。皆、元気が良すぎて困っちゃうよ」
「だな。それだけ涼花が慕われているって事でもあるけどさ」
「それを言えば、俊もでしょ? 男子たちには大人気だったじゃない。龍君も泣いてたしさ」
二人は窓から外の景色を眺めながら今日の出来事を振り返っている。生徒会室には涼花と俊の二人しかいなかった。
「龍の奴は意外だったなー、泣くなんてさ。俺の方がびっくりしちまったよ」
「あはは、確かにね。それにしてもさ、卒業か……」
涼花は外の景色に視線を向けてはいるが、彼女が見ている景色は窓の先に映し出されたものではなかった。
彼女が見ているのは、これまで自分が歩いてきた道。彼女が桜花白蘭学園に入学してからの日々。それは彼女にとってとても大切なもの。
「長いようで短かったよな」
「ほんとだよー。それに俊とこういう関係になるとは思わなかった」
「俺もだよ。人生どうなるか分からねえよな、涼花」
「ふふふ、ほんとだね」
俊の肩に自身の肩をそっと当てる。茜色の光が生徒会室に差し込む中、口を閉じ二人きりの静かな時間を楽しむ。
涼花は人差し指を静かに俊の同じ指へと絡ませると、それに応じるように涼花の指に軽く力が籠められる。そうして、全ての指を重ね合い強くお互いの気持ちを感じ合う。
「――俊、好きだよ」
「俺も好きだ、涼花」
しばらくの沈黙の後、お互いの気持ちを紡ぐ二人。
「ねえ、俊は大学に進学するんだよね?」
「そうだよ。って改めてそんな事を聞いてどうするんだよ」
「えーっと。ほら、俊とは離れ離れになるでしょ? 今までずっと側にいたからね。もう一度確認したかったんだよー」
「そうか、涼花は≪SOF≫に挑戦するんだよな」
涼花と俊は別々の道を歩む事になった。涼花は自分の力を試すために≪SOF≫へと挑戦し、俊は教師を目指すために大学へと進む。
「うん、私はもっと強くなりたいからね。あの獅童雷牙も高校卒業後に挑戦したって言うし。でも、琥鈴ちゃんや龍君の影響かな。あの二人は本当にきらきらしてたからね。特に今年の龍君はすごかったし」
「去年のあいつとは比べ物にならないぐらい頑張ってたよな。だから、俺たちも負けないように鍛錬を絶やさなかった」
「うんうん。ああ、懐かしいなー。一年前の事が昨日のように思い出せちゃうよー」
そして、二人の話は今日までの一年間の話に移る。時には怒り、時には笑い、二人の話は止まる事を知らない。
そんな中で徐々に涼花の声が明瞭ではなくなってくる。
「あはは……何だか悲しくなってきちゃったなー。俊、泣いて、いい?」
「いいぜ」
俊が両腕を広げ、涼花を自分の胸に抱え込む。
「うう……しゅんーわたじ、もっとここにいたいよぉ……」
「……」
俊は涼花の思いを受け止めつつもそれには答えず、ただ彼女の背中を優しく撫でる。涼花は俊の胸の中で遠慮なしに涙を流す。
「しゅん……わたしね、しあわせだよ? ――こうやって好きな人に甘えられるからね」
俊の胸にぎゅーっと押し付けられる顔。そして、彼女の声に力が戻る。俊が下を向くと涼花がにっこり笑顔で見上げている。
「俺もお前と一緒にいられて幸せだぞ。それに涼花の弱音を聞けるっていうのは、随分な役得だよな」
「私だって俊以外にこんな事をしないよ。これでも生徒会長だからね、副会長!」
生徒会長を務めていた涼花は、人に頼る事が難しい立場にある。だから、涼花が甘えられるのは俊しかいなかった。
「副会長って言っても本当に名義的なものだっただろ。実質、琥鈴がやっていたからさ」
「それはそうだけど、俊は私の精神的な支えだったんだからねー」
涼花はそう言い放つ。二人の関係は蜜月と言ってもいいものである。だから、涼花がおっとりと余裕をもって他の人に接する事ができるのは、俊に全てをさらけ出しているからに他ならない。
「俺にとっても同じだよ。お前が皆に対して優しくしてくれるからこそ、俺は皆に厳しくできたんだからな」
俊は誰に対しても必要であれば厳しい物言いをするため、彼を苦手とする生徒は多い。それはその生徒を思っての行動ではあるのだが、気付いていない人の方が多かった。そこを涼花がフォローしている姿はしばしば見られていた。
俊もそれが分かっていたからこそ、フォローは涼花に任せて俊は自分のできる事をした訳だ。二人の間で役割が決まっていたとも言えるだろう。
「やっぱり私たちっていいコンビだよねー。ほんと、俊に出逢えて良かった」
「俺も涼花に出逢えて良かったよ。卒業して離れる事になっても俺のお前への気持ちは絶対だからな」
「もう、すっごく嬉しいなー……」
夕日の光に負けないぐらい顔を赤くする涼花。俊の直球の気持ちが彼女の心を撃ち抜く。俊の顔を見るとどきどきして、たまらなくなってしまうので、慌てて視線を逸らす涼花。
彼女が視線を逸らした先は生徒会室。ずっと外の景色見ていたために、さっと視界に飛び込んできた机や棚にこみ上げてくるものがある。
「この生徒会室とも今日でお別れか……。本当に色々あったよなー。まだまだ話したりない感じ。涼花との思い出の多くはここにあるしな」
涼花の気持ちを代弁するように、俊が言葉を紡ぐ。また涙が溢れてくる涼花。彼女は卒業式でも涙は見せなかった。それは、生徒会長としての責務を果たすためであり、生徒たちが彼女に抱いているイメージを守るためでもあった。
だから、先程も俊と二人きりになった事で緊張の糸が切れ、涙が堰を切ったように溢れ出した訳だが、まだ収まってはいなかったようだ。
「ねえ、俊?」
ぼろぼろとこぼれていた涙を拭い去り、晴れ晴れとした笑顔で俊に尋ねる。
「なんだ?」
「今日って何の日だと思う?」
「卒業式だろ?」
「そうだけど、私が言っているのは三月三日って何の日かって話」
突然の言葉にいまいち意味を掴み切れていない俊。
「ひな祭りか?」
「はい、正解。今日はひな祭り、女子の日だよねー」
「突然、どうしたんだよ?」
「うーん、私のお願い聞いて欲しいなーって」
可愛らしい表情でそんな事を言うものだから、俊もどきりとしてしまう。
「別にひな祭りじゃなくてもお前の願いなら何でも聞いてやるよ」
「えへへ、やっぱり優しいなー俊は。――俊、キスしよ?」
「それがお願いか? キスならよくしてるだろうに」
顔には出さなかったが、内心身構えていた俊。しかし、想定以下の内容に拍子抜けする気分だった。
「それはそうだけど、卒業式にするキスは特別だと思うよ。卒業式&ひな祭りのキスね?」
つまり、思い出を欲している涼花。二人は別々の道を行く。全く会えなくなるって事はありえない。それでも、二人で一緒にいられる今この瞬間が、彼女にとっては本当に大切なもの。
それを記憶に、心に刻みたい――そんな彼女の意図を俊はやっと理解した。
「分かった。二人の記憶と心に刻もうぜ。今、この瞬間をさ」
「うん!」
そうして、二人はお互いの背中に腕を回し抱き合い、キスをしたのだった。
強く、激しく、鮮烈に――




