今夜の勝ちは未来へ譲ろう
白いワンピースが膨らんでは、陽の光がまぶしく反射する。美しい青い空の下で、少女は草原を駆け回っていた。太陽の方を向いたヒマワリを、両手で抱いて。
少女はふと立ち止まり、森の入り口を見た。綺麗な顔をした青年が、木の陰から空を見上げている。それはまるで、飛べない小鳥が飛んでいく親鳥を眺めるのに似ていた。
『おにいちゃん』と少女は声をかける。青年は驚いた顔で、少女を見下ろした。
『タイヨウがほしいの?』
『何を言っているんだこの幼子は。俺はアレが憎くてたまらん。毎日頭上で熱を発しやがって』
これあげる、と少女がヒマワリを差し出す。『タイヨウだよ』と、屈託なく。青年はそれを、睨みながら奪い取って捨てた。表情を変えず、少女が投げ捨てられたヒマワリを見る。泣き出すものと身構えていた青年は、拍子抜けして『なんだ、その顔は』と問うた。
『おにいちゃんに、あげたものだから』とだけ、少女は言う。
その一瞬で、彼女が青年のふるまいを何の見返りもなく“赦した”のだと知る。青年は戸惑い、途方に暮れてヒマワリを見た。
『お前、なぜこのような森にいる。親に叱られるぞ』
『いまはひとり』
『親は?』
『むかえに来るって言ってた。まってるの』
何も言えずに黙りこくった青年に、少女は明るく笑う。げんきだして、と彼女は言った。
『おにいちゃん、タイヨウさんともなかよくなれるよ。だっておにいちゃんの目の中に、お月さまがあるもん。タイヨウと月はね、なかよしなんだよ』
そう、まるで太陽のように輝く瞳で言い切る。青年は一瞬だけぽかんとして、それから苦笑した。屈んで目線を合わせながら、『よく聞け、忘れるなよ』と、言い含める。
『あのような偽物、いらん。俺は本物が欲しい』
『ホンモノ?』
『嫁に来い、お前が親を待つように、俺もお前を待っていてやる』
少女はパッと顔を赤らめて、照れたようにくすくす笑った。いいよ、と少女が言う。おとなになったらね、と。
そしてまた少女は、青い空の下に飛び出した。青年がどうしたって踏み出せはしない、太陽のもとへ。
目が覚めたその瞬間に、ジーンは上体を起こして周りを見た。古い宿のようだ、痺れるような痛みで体中が動くのを拒否している。「あんた」と背後から声をかけられ、緩慢な動きで振り向いた。
「教会の人だろ? 野盗にでも襲われたのかい、森の入り口で倒れてたよ」
宿の店主だろうか、心配そうに眉をひそめている。「ありがとう」とジーンだけ言った。手当てまでしてくれたらしい。綺麗な包帯が巻かれている。ジーンは布団を綺麗にたたみ、立ち上がろうとした。
「おいおい、あんまり動くんじゃねえよ。今は薬が効いてるからあんまり痛くないかもしれねえけどな、下手すると傷口が開く」
構わず、ジーンは立ち上がる。待てって、と店主は慌てた。「今、教会のやつを呼んでやる。そうだ、あんたといつも一緒にいるシスターにしよう。待ってろ」と、ジーンをなだめる。面倒見のいい宿屋だ。ジーンは苦笑して、「いまは一人なんだ」ときっぱり言った。
「そのシスターを連れ戻しに行かなくてはいけないのでね、ご心配いたみいる。神の祝福あれ」
店主は、深いため息をついてジーンに十字架を返した。「神のご加護がありますように」と不器用な口調で言う。ありがとう、とジーンはまた、にっこり笑って言った。
宿から出ると、外は雨だった。寒さと痺れと痛みが、思考を少しずつ奪っていく。
盗人に神の加護などあるものか。誰のものでもない少女を自分のものと思い上がったその時から、彼は神の笠に隠れた盗人だ。
青い光の籠の中で、シェスは目覚める。雑然としたテーブルに突っ伏して、シャンティも眠っているようだった。膝を抱えたシェスは、外の方を見る。重たい布のせいで空の色は見えないが、どうやら雨が降っているようだ。
迎えに来る、とジーンは言っていた。だから、信じなくては。救われるのは信じたものだけなのだから。
だけど、でも、あんな傷を負って。
こんな役立たずを、迎えに来てくれるだろうか。
(お父さんもお母さんも、迎えには来てくれなかったでしょう……シェス?)
そう、頭の奥から声がする。しとしとと降る雨の音と混じって。『迎えに来るよ、シェス。いい子で待っていてね』と、両親の笑顔が浮かんでは……消える。夏の間、いい子で待っていても。秋をこえて寂しさに耐えても。冬を迎えて一人で震えていても。両親は迎えに来てくれなかった。実りのない冬、寒さと空腹で生きているかどうかも曖昧だった。意識がたち消えた日だってある。――――そういえば、そんな日だった。
『聞こえるかい、もしもまだ、何かを信じようと思えるのなら』
その人は自分のコートをシェスの肩にかけて、あたたかいスープを飲ませてくれた。『神は君を助けてくれるだろう、そのようにせよと僕に仰るだろう』と。次の瞬間には、くしゃみをして見せて、神父は照れくさそうに笑った。
青い光はほのかに温かく、寒さなどは感じない。それでもシェスは寒そうに自分の体を抱きしめて、うつむく。
「ジーンさま……」
雨はまだ、降りやまない。
こと、と微かな物音がして振り向けば、シャンティがふらふらと歩いてくるところだった。どこか眠そうに、シェスを見る。
「いい加減、何か喋らないか」
シェスは何も言わず、目をそらした。重いため息が聞こえる。「さすがに少し、堪えるな……」と、シャンティは呟いた。
顔をそむけたまま、シェスが「どうしてあんなにひどいことをしたのですか」と問う。シャンティは嬉しそうに身を乗り出して、青白い光に触れた。「あづっ」と言いながら飛びのく。思わず笑いそうになって、シェスは真顔でうつむいた。
憎めない、と思う。この無邪気さを前にすると。
拗ねた顔をして、シャンティはシェスを睨んだ。「元はといえば、君が約束を忘れるのが悪いぞ」と責める。
「約束?」
「そうだ、大人になれば嫁に来るという約束だったはずだ。俺はいつまで待てばいい」
きょとんとするシェスに、シャンティはいそいそとクローゼットから造花を出して見せた。「ヒマワリだ、美しかろう? 枯れることもないぞ」と押し付ける。
「あの時のことは、さすがに俺も悪かったとは思っていた。どうだ、嬉しいか。嬉しかろ?」
造り物のヒマワリを見つめ、やがてシェスは「あっ」と呟いた。それから、顔を真っ赤にして膝で立つ。「嘘、まさか……あれは夢だって、どうしましょう、ほんとう?」と脈絡もなく呟いた後で「あの時のおにいちゃん?」と尋ねた。
シャンティがパッと顔を輝かせる。
「思い出したか! そうか、ならば嫁に来るな?」
「あの、それは……また、話が」
「そうと決まれば、まず血を吸わせろ。君も永久を生きる体にしてやろう」
「どうしてそうなるのです!」
シェスに思い切り拒絶されたシャンティは、少し気落ちしたような顔をした。それからそっと光の籠に触れ、頬ずりするように顔を寄せる。光が青く燃え上がり、シャンティを拒絶した。「やめて、燃えてしまう」とシェスは悲鳴に近い声をあげる。
「良い。君に理解されないのならば同じだ」
燃える光を撫でながら、シャンティは続けた。「あんなに小さかった君が、こんなにも綺麗になって。俺にとっては瞬きをするような時間だ。そうしていつか君は、俺を置いていくだろう。耐えられない。許すものか、一緒に同じ時間を生きよう」と、甘く囁く。
「孤独など慣れていると思っていた。それでも君と出会ってから、夜ごと君が恋しくてたまらない。刹那を生きる種族の君が、知らずに俺を置いていくのがこわかったんだ」
炎が弱まり、やがて消えた。光の膜を通して、シェスはシャンティの手のひらに自分の手のひらを重ねる。「寂しかったのね」とシャンティは呟いた。
炎は消えても、その光は消えない。2人を分かつために、確かに存在を強調している。シェスは唇を噛んで、静かにうつむいた。
「なぜ、ジーンさまを傷つけたのですか……?」
うろたえて、シャンティは後ずさりする。
「どんなにこの真心を言葉にしても、君は俺を許せないんだな。あの男の方が大事なんだな?」
「あなたがあんな風に、彼を傷つけたことが悲しいのです。約束を忘れてしまってごめんなさい、でも……あなたがああして、私の大切な人を傷つけるとは思いたくなかった」
途方に暮れた顔をして、シャンティはじっとシェスを見つめた。2人の間に、耐えようのない沈黙が流れる。シャンティが何か言おうとした瞬間に――――
硝子が盛大に、割れる音がした。
とっさに身構えたシャンティの目の前に、涼しい顔をしたジーンが降り立つ。震えながら、「ジーンさま」とシェスが呼んだ。シャンティは苛立ちを隠そうともせずに睨む。
「玄関から入ってくる文化もないのか、この下等種族が」
「随分とお怒りですね、もしかして意中の女性に振られたとか?」
ジーンは清々しい笑顔だ。対してシャンティは苦い顔のまま、手のひらを掲げる。重い剣が動いた。
「……良い。永遠を生きれば、この別れもそのうちに忘れるだろう。シェス、お前もきっと俺を許してくれる。あの時のように」
ただ銃を持った右腕を、だらんと下ろしながらジーンはその様子を見ている。剣の切っ先がジーンに向いた瞬間に、左足に重点を置き避けた。駆け上がるようにシャンティとの間合いを詰め、銃を構える。その背中を、銀の剣が狙っていた。
銃弾が飛ぶ。剣が迫る。やめて、と叫ぶ少女の声を、かき消すように。
不意に剣の軌道が曲がった。シャンティが舌打ちをしながら銃弾を避ける。
「なるほど、さすがに”手品”も集中しないと失敗のようですね?」
「まったく怖いもの知らずの馬鹿は困る……まだ死なれては困るから手加減してやっているのだ。そう動いては傷口が開くぞ。我が花嫁を解放しさえすればお前になど何の興味もないものを」
「いつから君の花嫁なんだっけ?」
「10年も前からだ」
「犯罪ですよ」
どっちが、と吐き捨てながら、シャンティは軽く腕を振った。部屋の中央にある長テーブルが、ゆっくり動き出す。ジーンがすぐさまそのテーブルに飛び乗った。浮き始めるテーブルを駆け上がり、テーブルが完全に倒れ込む前に飛ぶ。見失った様子のシャンティが、落ちてくるジーンを見て「馬鹿が」と戸惑いがちに呟いた。とっさに避けられなかったシャンティに、勢いのまま飛びつく。そのままもみ合いになり、銃弾が2発飛んだ。
「猿か、お前は。神父がこのような無茶をするものか」
「まさか僕ら人間を、猿以上のものと思っていらっしゃった? 光栄だなぁ、僕ら友達になれそうですよ」
「ふざけろ! このっ……」
不意にジーンが笑顔のまま、うずくまる。腹を押さえた手には、ねっとりした血が溢れていた。ふん、とシャンティは鼻で笑う。「傷口が開いたか? 大人しくあの妙ちくりんな鳥かごを取っ払っていれば」と言いかけたシャンティを突き飛ばして、ジーンは間合いを取った。赤いカーペットを上書きするように、血がぽたぽたと滴る。息を整える暇もなく、ナイフが飛んだ。ジーンはそれを避けて転がる。
ジーンさま、と少女の悲鳴が響いた。
「もう、いいのです。私なんて役立たずで、ごく潰しで、ジーンさまもお邪魔に思っているでしょう? こんな私をもらってくれると言うのなら、私はそれでいいのです。バンパイアで、乱暴なところがあるけれど、シャンティは悪い人ではありません。私、頑張ります。だからジーンさま、もう……これ以上傷ついたりしないで」
そんなシェスを横目でちらりと見て、ジーンは深くて深い、ため息をつく。「勝手に覚悟を決めないでほしいんだよなぁ……僕がよくないんだ」と小さく呟いた後で、ジーンはしっかりと立ち上がった。「勝てるとも」と言い切る。「君が信じさえしてくれれば勝てるとも」と。
「え?」
「疑っただろう、僕を。『迎えには来ないかもしれない』と疑っただろう。まさか、僕は神に誓って嘘などつかないよ。誰より君に、その誓いを疑われたことが悲しい」
シェスはハッとして、その顔を耳まで真っ赤にさせた。それから、光の枠をぎゅっと掴んで口を開く。途切れ途切れ、それでもしっかりとジーンを見て。
「信じます。誰よりも、信じています。私の、神父さま……!」
ジーンはしたり顔で、シャンティに向かい『どうだ』という仕草をして見せた。シャンティは眉根を寄せ、手のひらを上へ向ける。
「ああ、そうだな。端的に一言でいうならば……”ムカつく”」
ジーンは感心したように手を打って、シャンティを指さした。「人間の言葉がお上手だ」と。
「言ってろ、やはりお前は殺してやる」
「慈悲深いバンパイア様をここまで怒らせるとは、シェス、君何かやったのかい?」
ナイフが震え、空中を飛ぶ。ジーンが笑って避けた。「お怒りになると命中率が下がるのでは?」と親切そうに助言する。それからいきなり目を開いて、口の端を歪ませた。シャンティが顔をしかめながら、「なんだ?」と呟く。
「確かこの前言われたね……『何をも信じていない』と。ひどい言いようだ。ここに一つだけ宣言しよう」
「口の減らない……」
「神はいる。いてくれなくては困る。全てを神の御意思、全てを奇跡と言い訳するための」
後ろで、シェスがぎゅっと手を握って祈っていた。ジーンは柔らかく笑って指を鳴らす。しばらくの間、何が起こったのかわからなかった。ただ、ずるずると何か引きずるような音が響いただけだ。いきなり、シャンティが驚いたように飛びのいた。その足に、何かたくましい蔓のようなものが巻き付いている。よく見れば、部屋の至る所から――厳密に言えば、カーペットが黒く変色している部分から赤の混じった緑色の植物が生えてきていた。
「……血痕から、草が」
「先日申告させていただいたとおり、僕も手品が得意でして。それと信じるものを救い給う奇跡を少々」
一度やってみたかったんですよ、とジーンはどこか嬉しそうに言う。呆然としていたシャンティが、ようやく「こんなもの、奇跡などという代物なものか! こんな、これは悪魔の仕業だぞ」と吠えた。ジーンはそんなシャンティに近づく。
絡まる蔓を不気味そうに払っているシャンティは、ジーンの姿を認めて短く息を吐いた。
「……撃て、吸血鬼であればお前の神も許すだろう」
シャンティの額に銃をつきつけて、ジーンは間髪入れずに引き金を引く。シェスが悲鳴をあげた。
シャンティがよろめいて、しかし体勢を立て直す。ジーンは腕を下ろし、弾切れだと呟く。そして「これも神の御意思であれば」と、肩をすくめた。それから、シェスの入っている光の籠に触れる。光は空中に溶けるように消えてなくなり、シェスが外へ放り出された。そんな彼女を抱きとめて、ジーンはシャンティを振り返る。「永遠を生きる哀しき生きものよ」と聖書の一部でも口ずさむように声をかけた。
「うちの娘の友人であれば認めよう。家に来るのなら客人として茶くらいは出す」
ようやく蔓を切り払ったシャンティが、ため息まじりに「短命の貴き生きものよ」とジーンの口調を真似て返す。
「余計なお世話だ、いつか嫁としてもらうぞ、シェス。覚えていろ」
ジーンは肩をすくめた。「ならば我が家は立ち入り禁止だ、死ね」とどこかシャンティの言うように言い捨てた。「お前が死ね」とシャンティはむきになって言い返す。シェスが戸惑いながら、「そんな汚い言葉を」と控えめに忠告した。「神さまが見ていますよ」と。シャンティは鼻で笑った。
「見ているものか、あまりの泥仕合に途中で奴らも見飽きたわ」
違いない、とジーンも笑う。そして、割れた窓枠に足をかけてシェスを肩に担ぐ。「それでは。間違っても屋敷の修理代など請求してこないように」とだけ言って、窓から飛び降りた。
森を歩いていたジーンが、立ち止まってシェスの耳元に囁く。「ようやく我が教会が見えて来たよ」と。シェスは恥ずかしさに顔を赤くしながら、「もう下ろしてください」と呟く。
「ごめんなさい、もう絶対に一人で森にいったりしませんから」
「いいや、僕も学習した。君に行くなと言っても無駄だ。こうやって担ぎ上げて移動するぐらいしか防ぐ方法はない」
言いながらも、ジーンはつらそうにうつむいてシェスを下ろした。「今また抱き上げてやるからどこにも行かないように」と言いつけて腹に巻かれた包帯をきつく縛り直す。
「……それじゃあ意味がないですよ」
「ああ、包帯を巻くのはちょっと苦手なんだ」
シェスが屈んで、自分の着ていた服を破いた。それを彼の傷口に当てて、包帯を巻きなおす。ジーンは初めて、疲れたような顔をした。「君がいなきゃ、包帯も巻けやしないよ。あの宿屋の店主の方が僕より上手かったな」と、小声でぶつぶつ言う。なんですか? と、シェスはきょとんとした。
「……邪魔だなんて欠片も思ってはいない」
「え?」
「君を助けに行ったのは、ただの僕のエゴだ。僕が、君がいないと嫌だったんだ」
シェスの手を取って、ジーンは真面目な顔をする。「あの時救われたのは、この小さな手で掬われたのは、僕の方だったんだから」と。わからない顔をしているシェスに、ジーンが目を細めた。
『ありがとう、神父さま、ありがとう。わたしを見つけてくれて、わたしと出会ってくれて』
泣きながら繰り返していた少女の面影が、目の前のシスターに重なる。「わからないならいいよ」とジーンは言って、立ち上がった。
「さあ、帰ろう。歩けるんだね?」
「はい!」
ジーンの腕を肩に回し、シェスは歩き始める。ジーンは苦笑しながら、彼女のしたいようにやらせていた。
月夜の晩に、幼い姿の吸血鬼はまた硝子戸を叩く。もう、と言いながらシェスは腰に手をあてた。
「もう騙されませんよ!」
慌てたように、シャンティは何か身振り手振りで伝えようとする。シェスの後ろから、「開けてあげなさい」とジーンが笑う。でも、とシェスはためらったが、ジーンがただ笑っているだけだ。恐る恐る戸を開けると、シャンティは身を乗り出して右手を差し出してきた。右手には、美しい花束が握られている。
「これ……は?」
「ふん、俺も人間の書物など読んで学んだんだ」
顎に手をあてて、シャンティは目を細めた。「どうやら人間の色恋というのは、まず贈り物などして好感度というものを上げていくのがベターらしい。片恋の相手を攫うのはそれからで、そして」と言いながら、奥にいるジーンを見る。
「恋敵を倒すのは最後……そうだろう?」
ふふ、とジーンは穏やかに笑った。「よく勉強してきましたね、しかし随分と甘ったるいデマを掴まされたものだ」といっそ感心したようにうなづく。シェス、とジーンが呼んだ。
「客人ですよ、紅茶の準備を」
シェスはハッとして、ちょっと笑う。「やっとですね」と、嬉しそうに言った。シェスが走って行ったあとで、シャンティは窓辺に寄りかかる。
「なぜ窓を開けさせた」
「僕は嘘をつきません、言ったはずです。友人であれば、と」
「さては舐め腐っているな?」
そんなやり取りをしているうちに、シェスがティーセットを持って戻ってきた。「あれ、まだ外にいたのですか?」と首をかしげる。彼女が手に持った皿の上の、何かモスグリーンの物体を見てシャンティは眉をひそめた。
「なんだ、その苔のような物は」
シェスはにこっと笑う。「ブディングです! 今回は上手にできました!」と、自信ありげに言った。シャンティはひとしきり迷った末に、観念したように部屋に入ってくる。思わずうつむいて笑うのを堪えているジーンに、「覚えていろよ」と吐き捨てて。
今回で終わりです。ありがとうございました。