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 店の前は、車がやっとすれちがえるくらいの通りだ。寂れてはきたが、こじんまりした町に不可欠な商店街である。そこで酒屋を営む俺は、もう何度目になるか、壁にかけた振り子時計に目をやった。

 さほど動いていない針にため息がもれる。来客がないことを幸いに、通りをはさんだ向かいの衣料品屋をぼんやり見つめると、ウィンドウが夕日に照らされて眩しい。そこに一本の影がくっきりとした線を引いている。その線がこころなし横へ傾いたようだ。


 ピンポーン


 来店を報せるチャイムが鳴った。まだ幼さの残る若妻が、迷うことなく冷蔵庫の前に立った。 

 サンダル履きで、今時珍しくエプロンをしている。いくつか手にとり、小首をかしげて品定めをしていたが、好みに合ったものを見つけたのか、六本入りケースをつかみ上げた。

「ありがとうございます。若い人には人気がありますよ、それ」

 安物の発泡酒だけど、愛想笑いを振り撒いていないといけない。個人商店の辛いところだ。俺は、他の商品を薦めることもせず、若妻を送り出した。

 ずいぶん時間がかかったと思ったのだが案外そうではなく、わずか十分くらいしか経っていない。しかし、その僅かな時間でも影は確実に延びていた。


 じりじりしながら迎えた閉店時刻。すっかり陽が落ちて商店街を歩く人影もまばらになっていた。気の早い店はボツボツ店じまいを始めているようで、ガラガラとシャッターを下ろす音が響いてくる。俺はこれを待っていたのだ。

 店の中はほどほどに、手早く外の片付けにかかった。

「達っちゃん、店じまいかい?」

 ばかに威勢のいい声がかかってきた。こんな空元気があるのは肉屋の田中くらいなものだ。郊外に大型スーパーが進出してきた今、酒も肉もそこで賄ってしまう。一切合財を一箇所で買うことができるのだから、どんどん客が奪われてしまう。買い忘れや、ちょっと足りない分を補うための商店街になってしまったというのに、田中には悲壮感というものが感じられない。腹の中で舌打ちしながら振り返ると、白いゴム長を履いたままで歩道に出てきた田中が笑顔を向けていた。

「なんだよ、その靴って店内専用じゃないのか? 保健所にいいつけてやるぞ」

 阿呆づらを無視するように片付けを続けてやったのだが、全く苦にするふうもなくペラペラ話かけてくる。

「何を頓馬なこと言ってるの。うちはなあ、そこらじゅう消毒薬だらけだよ。調理場へ行こうと思ったら最低でも三回は消毒しなくちゃいけないんだから。それはそうとさ、今夜来るだろ、寄り合い。福引きの景品を選ぶということだったけど、何か考えたかい?」

 時折冷たい風が吹き抜けるようになってきた。その風にのってキザったらしい匂いが襲い掛かってきた。田中が気取って吸う、外国煙草の甘ったるい煙である。吸いもせず、かといって捨てるでもなく、奴は臍の前のあたりでただ灰だけを振り撒いていた。

「それだけどさ、急に腹具合が悪くなっちゃって。今日は遠慮しておくよ。どんな物に決まってもケチつけないからって言っておいてくれないか」

 早く帰ってほしいことと、今夜の寄り合いには欠席することを一言で伝えたつもりだ。なのに奴は、携帯灰皿に煙草をもみ消して駒を摘むまねをしている。

「どう、かるく一番」

 意味を理解できないのか、阿呆面をニヤつかせてしきりと誘いかけてきた。

「そうしたいんだけどさ、腹具合が悪いんだよ」

「いいよ、待っててやるから便所行ってきなって」

 こういうことを平気で言うような奴だ。我慢しきれなくなった俺は、軽く手を上げて断りの合図をすると、ガラガラとシャッターを下ろしてやった。



 そそくさと居間に上がりこんだ俺は、昨日からの新聞を全部読み返して、ほっと息をついた。俺の不安を煽るような記事が載っていないから安堵したのだが、もしかするとという不安がどうしても拭えない。三ヶ月、いや、あと八十九日の間は平穏でいてほしい。

 俺がそう願うには理由がある。誰にも言えない、女房などには絶対に言えない理由がある。というのは……


 昨日の朝、俺は電話注文を受けていた品物を届けに、新しい造成地に向かっていた。昔の河原だったそこは、頑丈な堤防が設備されたことで宅地に変貌していた。変形した土地には違いないが、山を崩す手間がかからないので住宅メーカーがとびついたのである。県にしたって、遊休地として遊ばせておくよりも、税収の種になるのだから市街化には賛成だったのだろう。立派な道路を整備し、上下水道も整備したくらいだ。とはいっても、どれも一戸建て住宅として売られるのだから一度に売れてしまうということはない。ということで、きれいに並ぶ住宅の中に、あちこちで草を生やした更地が残っていた。一番奥まった区画などはまだ半分くらいしか入居しておらず、行き止まりの土地は、住宅地なのか河原なのかわからぬほどに草がボウボウだ。

 その奥まった区画に配達を済ませたとき、急に腹具合が悪くなったのだ。といって、公衆便所などあるはずなく、まだ気心もわからない客の家で便所を使わせてもらうことも憚られる。だけど、腹の痛みはともかく、洩れそうになるのを我慢しきれなくなっていた。

 行き止まりに車を横付けして目隠しにするだけの理性は残っていた。子供が間違って入り込まないような場所を探す理性も残っていた。草むらの中を奥に進むと小さな藪があった。そこを窺うと、その奥にも藪がある。そこなら誰にも見られることはないだろう。

 もう切羽詰っていた俺は、矢も盾もたまらずそこへとびこむなり、出口を求めて暴れまわっているものを吐き出したのだった。

 絞るように全部出し切って、俺はちり紙を持っていないことに気付いた。ポケットを探ると納品伝票しかない。しかたなくそれを揉みながら、俺は考えた。店の名前が入った伝票を残して良いのだろうかと。そりゃあ緊急避難には違いないが、酒屋の親父が配達の途中で野糞をしたことが知られてしまう。それくらいなら尻など拭かずに帰ったほうが良いではないか。幸いなことに細い枝ならいくらでもあることに気付いた俺は、イザルように汚物の山から離れたのだ。

 小枝でこそげ下草で丹念に拭った俺は、ようやく人心地ついた。ズボンを引き上げようと中腰になったとき、それを見つけてしまったのだ。こげ茶色のレザーバッグ。ずいぶん使い込んだとみえ、持ち手が剥がれて芯がむき出しになっていた。

 人目につきにくい崖下に廃棄物を捨ててゆく不届き者がいることをニュースで見たことがあり、その類いだろうと思わず舌打ちをした。とはいえ、何が捨ててあるのか、妙に気になった。

 持ち上げてみると、けっこうな目方である。かといってパンパンに膨らんでいるというわけではなく、目方からして衣類ではなさそうだ。中身を調べてみて、ゴミとして出してやろう。あくまで親切心からだった。


 チィーーーーッ

 ファスナーはさび付いていなかった。


 パカッ

 中身をチラッと見た俺は、即座にファスナーを閉じた。


 物騒な事件が新聞を賑わせていることもあり、まさか人の頭が出てくるのではないだろうなと警戒していたのだが、それに違わず仰天する物が入っていたのだ。

 俺は、その場にへたりこんでしまった。立とうにも膝がブルブル震えて立てなかったのだ。透明なビニール袋の中に、帯封のついた札束が詰まっていたのだ。



 ちょうど盆過ぎのことだった。夕涼みがてら将棋を指しにきた布団屋の伊藤と、莫迦話に興じていたのだ。

「なあ齋藤さん、あんた、現金を拾ったら持って帰るだろう」

 何の話題だったか忘れてしまったが、そんなやり取りがあった。

「見損なうなよ。ちゃんと警察に届けるよ。自分はどうなんだよ」

 桂馬が邪魔だなあと考えながら言ったように思う。

「届けなきゃいけないよな。落として困ってるだろうから。けどさ、齋藤さん。中身がだよ、結構な額だったら欲しいだろ?」

 盤面が優勢なためか、伊藤の口は滑らかだった。手駒をジャラジャラかき混ぜて俺の意識を乱そうとしている。金の話を持ち出したのもその流れの中かもしれない。

「欲しけりゃ、貰えばいいじゃないの」

 うっそり応えたようだ。ようだというのは、劣勢になったのをどうやって逆転させるかに集中していたから、良く覚えていないのだ。

「なんだ、ネコババするのか?」

「そんな頓馬は、うーん、この手しかないかな……、するもんかってね」

 銀の頭に香車を打った。銀が取ってくれば角筋が開いて玉を取ることになる。かといって他の駒では香車を取ることはできない。銀の後ろが詰まっているので後詰めをおくこともできない。玉が逃げねばしかたない一手であった。

「あっ、ひっどいことするなぁ。もっと紳士的にやらなきゃ嘘だろ、こういうので人間性が暴かれるんだぞ。まぁいいや。ところでよ、貰うというと、ババかますんだろ?」

 伊藤は、手の中の駒を一枚づつ抓み上げ、忙しなく指先を宙に這わせていたかと思うと、いきなり俺をじっと見た。

「なんだよ、拾ったのか?」

「そんなもの、どこに落ちてるんだよ。教えてくれよ、その場所を」

 軽い冗談で応じただけなのに、伊藤は剥きになって鼻の穴を広げた。

「どうしてそんなことを知りたがるんだ? 知ったところでどうにもならないだろ、落ちてないんだから」

「だからさ、たまに運のいい奴がテレビに映るじゃないか。あんな時にはどうすればいいかと思ってよ」

 言い捨てて伊藤は売り物のビールを一本持ってくると、プシュッと音をたてて丸椅子に腰を落ち着けた。

「どうしてさ。届けなきゃいけないじゃないか」

 代金を受け取りながらからかってやる。

「自分が持ち主だって言うのって、本物ばかりじゃないだろ? それにだよ、本物が現れたら謝礼しか貰えないんだぞ。そんなの損じゃないか。せめて半分くれるのならなぁ」

 駄々っ子のようだが、人の気持ちというものはそんなものかもしれない。

「なんだ、全部ポッポに入れようってか」

「誰でもそうだろ?」

「じゃあ教えてやるよ、その方法を」

 俺は、いくつかの大切なことを省いて、考えていることを話してやった。



 藪にへたりこんだ俺は、どうしてかそんなことを思い出していた。

 いったい、どれだけ入っているのか数えてみたくなる。しかし、その誘惑に必死で耐えているのだ。下手に触れて怪しまれることになったら困ると心が騒いでいた。

 すぐに届けろと耳の底で悲鳴が上がる。

 一方で、一刻も早く場所を替えろと心が囁き、別の入れ物を探せと別の心が耳打ちした。頭の中で一斉にわれ先の声が渦巻き、強烈な便臭などまったく苦にならなくなっている。それほど俺はバッグに心を奪われていた。

 慌ててバッグを提げ、車に戻る。警察に届けるための正当な行為だと、俺は誰にともなく弁解をしていた。

 耳元で囁く声がどんどん大きくなっていた。

 助手席の足元に置いたバッグをダンボールで目隠ししたのも、無用に他人の注意を引き付けないための用心だし、無用な悪意をおこさせないための親切心だと別の声が囁いた。

 落ち着け、おちつけ。今為すべきことを考えろ。

 次々に鳴り響く声に、俺はうろたえていたのだろう。が、なぜか別の入れ物を探し始めていた。

 とにかく入れ物を全く別の物に取り替えれば、仮に落とし主が現れても一致しないではないか。ただ、新しいものはダメだ。バッグだろうが、段ボールだろうが、汚れていなければ不自然だ。しかし、古いバッグや、ボロになった段ボールなどどこにも売っていない。いや、そうじゃない。買ってはいけないと大音響が頭の中で鳴り響いた。

 貧すれば鈍するという言葉がある。住宅地の狭い道を廻るのが俺の商売で、いつがゴミの収集日かということも体が覚えていた。それを頼りに俺はハンドルを切った。


 落し物があったのは町の北外れだ。では、どこの警察に届けるのが良いだろうと俺は考えた。町の南外れか? いいや、それでは同じ警察署へ届けることになってしまう。では、どこが良いだろうと考えた時、先祖の墓の近くなら間に別の町が入り込んでいることを思い出した。そこは確か違う警察署の管内だったはずだ。なら、その警察に届け出ることにしよう。だとすると、今から行ってまだ回収されていない地域は……。

 俺は無意識にアクセルを踏んでいた。


 あった! とうとう見つけた。

 わざわざ三十分もかけてやってきたのは、金を拾った町とも届け出ようと考えた町ともかかわりのない新興住宅地だ。外人が多いせいかとにかく出入りの激しい住宅地で、毎日どこかで引越しをしている。そんなところなら目当てのものがみつかるかもしれないとふんだのだが、そうは問屋が卸さない。

 新らしすぎたり、持ち主を連想させるような書き込みがあったりする。古いものを、なるべく汚れたものを俺は探し続けた。そしてとうとう見つけてしまったのだ。

 使い古しのスポーツバッグだ。おあつらえ向きにテニスで使うような特殊な形をしているし、どこにも書き込みがなく、色目も目立ちにくい紺色だ。中味を全部移し替えても隙間ができるほどの大きさだ。誰の目もないことを幸いに、俺はそれを拝借した。

 大急ぎで目立たぬところに移動して中身を移し、何食わぬ顔で裏返したレザーバッグをゴミの山に埋めた。


 思いつくことはやり終えた。あとは届けるだけだ。激しい動悸を鎮めるためにジュースで一息ついた。ところが、気持ちが落ち着いてくると別の不安が頭をもたげてきた。

 どこで拾ったことにするのか。捨ててあった具体的な場所を決めねばならない。それに、バッグに汚れをつけておかねばならないではないか。そう気付いたとたん、俺はエンジンをかけていた。


 人目につきにくい場所で、俺自身が容易に近づける場所。先祖の墓の周囲には、そんな藪には事欠かない。俺は実際に墓石の前に立って周囲を見回してみた。すると、格好の場所があるではないか。

 よし、これでお宝は俺のものだ。いくつもの声音が大合唱をした。

 目立ち難そうな場所を選んでバッグを置く。藪の入り口も踏み荒らしておく。そして、無警戒な足取りで俺はバッグを手にした。これで、捨てた者と見つけた俺との足跡ができたはずだ。ついでに、俺は派手に尻餅をついておいた。下草が潰され、俺の尻にもその跡がついただろう。もうこれで十分だ。が、より慎重さを促す声が聞こえた。金額が同じではいけないと。

 どうせ自分のものになるのだから、少しくらい抜いてもかまわない。誰もがそう考えるだろう。だが、もし所持金を確かめられたときに、法外な金額を持っていたら疑われるではないか。心の声はそう忠告した。それよりも、持っている金を足したほうが自然ではないか。財布を調べられたとき小額しか入っていなかったら、きっと正直に届けたと判断するではないか。まさか額を増やすなどとは考えないだろう。

 落とした方だってそうだ、細かい額まで覚えてはいまい。警察だって額が違えば別物と考えるだろう。それにだ、落としたのなら拾いに戻るはずだし、探してもいるはずだ。なのに、そんな気配が全くなかったということは、取り戻せない金なのかもしれない。とすると、よけいに落とし主が現れる確立は低くなる。絶対に損することではない。

 よし、ここまでは大丈夫だ。残るは、墓参りの理由だ。盆でもなく彼岸でもなく、ましてや誰かの命日というわけでもない。思いつくことといえば、年末は商売が忙しいから前倒しで参りにきたということくらいしかない。詰めが甘いような気もするが、早めに届けるに越したことはないだろう。

 そうして隣町の警察に届けたのだ。


 受付で用向きを伝えると、会計課へ行けとつまらなそうに言われた。しかし、俺が動こうとしないものだから、事務員が胡散臭そうにジロジロ見つめてくる。それでもじっと動かずにいると、定年間近の警察官が席を立ってきた。

「落し物? さがしに? 届出?」

 人の良さそうな男だ。図体が大きいわりに温厚な声音である。

「ひ、ひろ、ひろ……、ひろったのです」

 高額の拾得ならこうなって当然だろうと、俺は遠慮せずにどもってみせた。

「ああ、拾ったのね? 落ち着いて話してね、正直に届けてくれた人に何もするわけないからね。拾得物の届けは会計課で受け付けてるんだけど……。いいや、案内しましょうね。それで、現金かな? それとも……」

 メモ用紙にペンを走らせるのは日常で身についた癖なのだろう。ちらっと壁の時計に目をやって来庁時刻をササッと書いた。

「げ、げ、げ……げんきん……、現金です」

「現金ね。ずいぶん慌てているところをみると、高額のようだ。で、いくらだった?」

 警察官は、柔和な表情のまま俺の答を待った。が、俺はフルフルと顔を振って数えていないことを伝えた。

「そうかそうか、数えていないんだ。じゃあね、財布は? 財布を拾ったのでしょ?」

 再びフルフルと顔を振り、スポーツバッグを掲げてみせた。

「えっ」

 警察官がいぶかしげにバッグを取った。そして、カウンターに置いたバッグを無造作に開く。

「……嘘だろう! なんだ、これ……」

 しわがれた声を絞り出したきり絶句してしまった。

 それから大騒ぎになった。

 取り敢えず署長室に通され、会議室に場を移し、中味の確認作業に立会わされた。

 パシャパシャと写真が立て続けに写される中で一枚づつ丁寧に数えられ、一部始終を見ているように求められた。それから事情を詳しく尋ねられたのである。

 発見した場所、発見時の状況、その場へ行った理由。同じことを何度も尋ねられ、所持金の提示も求められた。そして、警察の車に乗せられて現場で説明もした。


 事情を説明し終えると、事件性はないということで正式に拾得物として手続きが完了したのである。一億二千三百四十五万六千七百八十九円。冗談のようだが、数字が順に並ぶ額だった。

 警察からの帰り際に、俺はくどく念を押しておいた。拾った者についての情報を漏らさないようにと。

 それが昨日のことだったのだ。

 新聞を確かめた俺はそそくさと夕飯をすませると、すぐに寝室に籠ってしまった。腹具合が悪いとだけ言い残して。



 ゾワゾワと鳥肌を立てながら、俺にとっての一番長い三ヶ月がすぎた。年末大売出しも、正月行事もすべて上の空だった。そんなことはどうでもいいのだ。少しばかり商売につながったところで、雀の涙ほどでしかないではないか。それよりも確定申告をすますことのほうが大事だった。なぜなら、申告の受け付けが始まる日が保管期間満了日だったからだ。

 まず間違いなくあの金は俺のものになる。そうなれば、金の使い道を考えるので気もそぞろになってしまうだろう。だからといって申告を怠ると痛くもない腹を探られる。それくらいなら、先に面倒事をすませてしまうに限るからだ。


 期間満了日、俺は書き上げた申告書を郵便で投函し、努めて平静に仕事をしてすごした。

 そして翌日、待ちに待った電話が鳴った。誰も受け取りに現れなかったから、拾ったあなたのものになりました。印鑑を忘れずに持って来庁してくださいということを告げて切れた。

 すぐにでも取りに行きたい。しかし、どんな困り事があるかもしれない。ここが正念場だ。うっかり出かけて新聞沙汰にでもなったら予定が狂ってしまう。

 人なんてものは欲のかたまりだ。欲だけでできていると断じてもいいくらいだ。もし俺がお宝を手にしたと知れば、きっと皆が押しかけてくるだろう。福祉関係や商店街が寄付を求めて押し寄せるだろう。そこで断りでもしたら、手の平を反したように悪口を言い立てるはずだ。そんな醜いことは嫌だ。せっかく掴んだお宝を減らすのは嫌だ。悪口を言われるのも嫌だ。だから誰にも知られないようにしたい。そう思うからこそ、女房にも内緒にしてあるのではないか。俺が寄付をするのは警察だけ。そうして秘密を守ってもらうつもりだ。

 翌日、俺は配達のついでに警察署の周囲を一回りしてみた。

 普段がどうなのかなど、俺にわかるわけがない。が、見たところ駐車している車は次々に入れ替わっている。駐車車両から見る限り、報道の車はないように感じた。

 車が一台、駐車場から出てきた。すかさずそこへ車を留め、玄関をくぐった。


「やあ、齋藤さん。お待ちしていましたよ」

 親切に対応してくれた警察官だった。

「まあまあ、ここは人目があるから」

 署長室に案内してくれる。前回と違ってすぐにお茶の接待があった。

「昨日にでも来られると思っていました。落とし主があらわれませんので、届け出のあった現金は齋藤さんの所有物になりました。すぐに配ばせますので、中味の確認をお願いします」

 署長も副署長もにこやかに愛想笑いを浮かべている。俺は、ドギマギしながらただ黙って頭を下げていた。


 届け出のリストと内容物が同じであることを確認すると、受取書に押印した。これで、晴れて俺のものになったのだ。

「こんなことを言うとご迷惑かもしれませんが、この中から僅かですが警察活動にお役立ていただきたいのですが……、ご迷惑でしょうか?」

 おずおずと寄付の申し出をすると、幹部連中の顔が輝いた。それはそうだろう。保管させられるだけで、お宝は一円残らず他人のものになってしまうのだ。たとえ一パアでもご祝儀を置いてゆけ。そう考えるのが人情だ。だから先手を打って寄付を申し出たのだ。寄付だのチップだのは、請求されてからでは有難味が薄いものだ。相手が求める前に出せば、多少額が少なくても喜ぶものだ。還暦を迎えるような歳になると、それくらいの知恵はついている。俺は、帯封がついたままの束を二つ、テーブルに載せた。

「いやっ、これはまた……。正直なうえに気風の良い人ですな。いや、畏れ入りました。せっかくのお志ですので、交通安全やら防犯活動に役立たせていただきます」

 丁重な言葉が返ってきて、ついでにお茶がコーヒーに取り替えられた。

 ただし、厳重に口止めすることを俺は忘れなかった。


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