第○○九話 『夢の終わり』
『ガブッ!!』
周囲一帯の霧を、ベルトが――イヴが喰らい尽くす。「けぷ」と可愛らしい吐息と共に、栗原晴之の姿が顕わになる。
「驚いたな……」
この霧は単なる霧ではなかった。栗原の持つオモチャによって生み出され、様々な効果を持った霧だった。それがまさか、喰われてしまうとは。
同時に、栗原の右手にあったソレも姿を見せた。
「……水鉄砲?」
「バレちゃったか。そう、これが俺のオモチャ。……不思議なもんだろ? 水鉄砲だってわかった瞬間、キミに恐れはなくなる。いっそのこと最初に見せといて油断させてもよかったんだけど、知らない恐怖ってやつの方が、中途半端な子どもには効果的なんだよね」
今さら油断なんて誘えはしない。これだけ聖を痛めつけたのだ。十分に警戒され、しかし倒せない相手ではないと思われてしまう。栗原にとっては上手くない状況だ。
だが雨は降り続いている。あと十五分程度で止んでしまうが、それだけあればまだなんとかなる。聖を倒し、そのベルトを、姫さんに謙譲する。それこそが、騎士としての栗原の役目。
果たして、自分はなぜここまで大崎みぞれに従うのか。そんな疑問は、考えるまでも無いと頭の隅へ追いやる。
栗原にとって、その疑問は疑問になりえない。
「さあ、形勢逆転みたいな雰囲気だけど、そうはいかないよ? 未だ無傷な俺と、満身創痍なキミとでは立ってるステージが違う。そもそも、ここは俺の用意したステージだ。俺の有利は揺るがな――」
「……いい加減、お喋りが過ぎるよ」
――ゾクリ、と。
笑みを浮かべながらも、冷や汗が流れ落ちるのを止められない。なんだ今の威圧感は。一介の女子高生が放っていいものではない。
……いいや、それを言ってしまえば、変身ベルト一つで四ヶ月もヒーローをやれてしまっている時点でおかしいか。それを可能たらしめているのはベルトか、それとも聖自身か。
こりゃあ、ベルトだけ姫さんに渡しても意味無いかもしれないなぁ……。
きっと、ベルトを手にした彼女はヒーローになどなれない。実際にヒーローと戦っているからこそ、そう思えてしまう。
ならば、ここで戦うのをやめるかというと、
「そうは、ならないんだよ!」
栗原だって男の子なのだ。ヒーローに憧れ、夢を見た日もあった。そんなヒーローと戦えている。勝てるチャンスが目の前にある。なのに諦められるわけがない。
「来いよ憧れ! はは、怪人役でもいい。ヒーローに勝って、憧れに勝って、ただそれだけだ! 目的なんて意味が無い! 俺はただ、キミに勝ちたいんだ!」
「だから、うるさいんだってば!!」
策も弄さず、愚直に真正面から突っ込んでくる。はは、ヒーローはそうでなくちゃ。
栗原はその水鉄砲から、高圧で水を放つ。それは殺傷力のある水。その刃、コンクリートすら切断する切れ味である。それを横なぎに振るうが、聖には当たらない。
「懐には、入らせねえ……!」
水鉄砲をジェットのように噴射させ、後方へと跳ぶ。念のため、途中で方向を変え右に。その予防策は働いた。聖が栗原のいた場所に蹴りを放ったのだ。
「速えよ、化物か!」
「いいや、ヒーローだよ」
『――Entertainment 〝Eater〟』
聖がその右手を、ベルトのバックル部分にかざす。ああ、よくある必殺技ってやつか。
果たして、栗原のオモチャにはそんな機能はあっただろうか。イヴとやらが教えてくれたのはすべて試したはずだ。もうこれ以上、できることなど――、
「違う、な。教えてもらったことだけじゃ、きっと駄目なんだ」
栗原だってヒーローに憧れていた。そのヒーローたちは、ただ力を与えられていただけだったろうか?
いいや違う。ヒーローはいつだって、与えられた力を、最大限に活かし、自分のものにする。栗原のオモチャだってそうだ。与えられ、教えられ、そして最後に、自分の力で活かす。そうしてようやく、本当に、栗原のものだと言える。
このオモチャが、どうすれば栗原のものになるか。
栗原の全身を雨が叩く。いつの間にか、栗原の身を守っていた水流すらも消えてしまったらしい。これでは栗原自身も雨の影響を受けてしまう。もう一回張り直すか――、
「……ああ、そうか。そうだな、もうこんなステージ、要らない」
張り直したところで、聖の必殺技は止められない。そして、このステージももう、栗原に有利には働かない。
「そしたら、要らなくなったこのたくさんの水、使わなきゃな」
栗原は、水鉄砲のキャップを外す。無限に水が湧くというボトルに水を溜める必要など、本当は無いのだが。
『――Entertainment 〝Water Stream〟』
空に掲げたボトルに、水が注ぎ込まれていく。それは降っていた雨。撃たれた水泡。制限時間を待たずして空が晴れていく。
用意したステージは、彼自身の力になる。
「幕引きだ、ヒーロー!」
「喰らい、尽くす――!」
二つの必殺技が、ぶつかった。
◆
栗原の放ったそれは、巨大なミサイルだ。滝そのものが聖を襲っているようにすら見える。
対するは聖の放つキック。イヴが喰らった霧が、推進力を増すためのジェットとして背中から噴出されている。
滝を、聖のキックが切り裂いていく。
「ッ、――――!」
雲ひとつ無い空に、轟音が響き渡る。
――栗原は、敗れた。
◆
「あー、気持ちいいね、案外。負けたら、悔しいって気持ちしか残らないんじゃないかって思ってた」
空を覆う虹を見上げながら、栗原はそう呟いた。
変身を解いた聖は、粉々に壊れた水鉄砲を見る。
「……私は、アンタから、オモチャを奪ったんだね」
「そんなこと言うなよ。元々、こっちがキミからオモチャを奪おうとしてたんだ。その結果奪われたとして、文句は言えない」
思いの外、栗原は清々しい表情である。
「ねえ、なんで大崎さんの言うこと聞くの? 好きなの?」
聖は、この際だ、と気になっていたことを聞くことにした。
一歩間違えれば、栗原は死んでいたかもしれない。聖のキックをマトモに喰らっていたら無事では済まなかったろう。それだけの覚悟、あの大崎みぞれ相手に抱けるだろうか。
「ド直球ね、キミ。……好きか嫌いかで言えば、たぶん好きだよ? っていうか、あんな可愛い子を嫌いな男子なんて相当の捻くれ者だろ」
「そういう意味じゃなくて」
「……意外とめんどくさいな、キミ」
やれやれ、といった感じで、栗原は苦笑を浮かべる。表情がコロコロと変わる奴だ、と思いながら、
「雨を降らせていたのは、大崎さんの命令。ベルトを奪うように言ったのも大崎さんなんだよね。アンタたちは、どういう関係なの?」
「そうだなぁ。きっと、俺は騎士になりたくて、姫さんは王子になりたかった。そんな感じだと思う」
その説明はさっぱりである。もっとこう、わかりやすく言ってくれないものか。いっそのこと彼氏彼女であれば理解も早かっただろう。しかしそうでもないらしい。
「頼られるのが好きなんだ。俺のことを頼ってくれて、使ってくれて、命令してくれて。そんなことに力を使えるのが、たまらなく好きなんだ。俺ってさ、オモチャが無いとただ愛想がいいだけの男子なんだけど。だから余計に、そういう願望が強かったのかも」
そして、
「姫さんはって言うと、みんなに命令したいタイプ。好かれたいタイプ。目立ちたがり屋なんだ。自分が一番でなきゃ嫌だって感じ。そんな俺たちだから相性も良かったし、実際、この一ヶ月結構楽しかったんだぜ」
でも、
「姫さんはそれだけじゃ満足できなくなった。誰のせいだと思う? ……キミさ、イーター。街を守るヒーローなんてウワサを聞いて、いても立っても要られなくなったんだろうね。その力が欲しいって思うようになっちゃって」
「私の、せい? それじゃあ、私がいなければ、」
「今日もこれからも、気分で雨を降らせては予言者やってただろうね。でも、自分を責めることはないんだよ? キミは立派にヒーローやって街を守ってるんだから、むしろ誇るべきだ。だから、悪いって言うなら――」
粉々になった水鉄砲に目を向ける栗原は、それでも穏やかな表情で、
「こんなオモチャが、世に出回ったことなんだろうなあって」
いったい、このオモチャたちは、どこから、どうして聖たちの元へ来たのか。何度もそんな疑問にぶち当たり、だが答えは得られぬまま。
このオモチャに振り回され、暴走する子どもを何人も見てきた。夢を叶えようとして、夢を見ようとして、夢に手を伸ばそうとして。そんな子どもたちの夢を、聖は何度も喰らってきた。
夢を奪うヒーローなんて、そんなもの。
「姫さんには気をつけなよ。あの娘は、キミのベルトに執着している。いや、執着しているのはイーターっていう存在かな? どちらにせよ、オモチャは持っていなくても、危険な状態であることに変わりはないみたいだから」
それじゃあ、俺の出番はここまで。
そう呟いて、栗原は屋上から去っていった。
栗原の忠告は忘れてはならない。大崎みぞれが聖のベルトを狙っている。それは重く受け止めねばならない問題だ。
栗原との戦闘の途中、聖は強く願った。ベルトを奪われたくないと。奪われたらきっと、聖は壊れてしまう。それほどまでに、このベルトに依存している。
「人の希望を奪っておいて、自分の理想は失いたくない、か。なんて自分勝手なヒーローなんだろうね、私」
「……ヒジリさん、それは些かネガティブ過ぎます」
ベルトの中からイヴが現れ、口を開く。
「ヒジリさんが今までに壊してきたオモチャは、すでに希望などではなくなっていました。放置しておけば、酷いことになっていたのは確実なんです。あれは、奪っていい夢です」
「ううん、イヴ。オモチャで悪さをする子どもを叱るのと、オモチャを取り上げるのでは、やってることが全然違うよ。後者はきっと、いつまでも納得できないままなんだ」
だからといって、聖には実力行使以外の手段がない。
悩んだところで、聖はヒーローである前に、単なる女子高生なのだから。
「結論なんて出ませんよ。だったら、そう。悪さをする子どもは、同じ、オモチャを使う子どもとして懲らしめる。ヒジリさんは彼らの親なんかじゃないんですから、それで十分です」
「はは、親じゃないか。そりゃそーだ。だって私、まだ華の女子高生だもの」
本当はそれじゃダメなんだろうけど、逃げてるだけなんだろうけど。
せめて、聖はこのオモチャで遊び尽くそう。楽しもう。
それが本来あるべき、オモチャの形なんだもの。
「精一杯、遊んで、楽しまなきゃ!」
子どもだったりヒーローだったり、聖はまだ、自分が何者かなんて考える段階ではない。
大人になるのは、もう少し先の話だ。
◆
「――さって、姫さんにはなんて話そうか」
怒られるだろうな、なんて考え、だが危機感は抱かない。オモチャを失ったというのに、むしろ今の方が、負ける気はしないのだ。
「話す必要なんてないわ。だって、全部見ていたもの」
「おっと……いたのか」
階段の踊り場で、栗原と大崎が対面する。
「情けない。使えるから使っていたのに」
「悪いね、俺はもう、使い物にはならないっぽい」
飄々とした態度の栗原に、大崎は苛立ちを隠さず言葉をぶつける。
「これからどうするつもりよ。ベルトも奪えないし、あんなに粉々にされたんじゃ、雨を降らせることすらできやしない」
「どうするか、って言われれば、俺はもう、普通の男子高校生に戻るっきゃないね。姫さんはどうするわけ?」
「はぁ? だから、今それを聞いて――」
それじゃダメだよ、姫さん。
栗原はもう使い物にならないのだ。今頼られても、栗原にできることは何一つとしてない。知恵や力を貸すことも、道を示すことも。それはもう、栗原が手を出していいことではない。
「いいかい姫さん。俺はもう、退場しちまったんだ。退場した選手を、監督はフィールドに戻せない。今ある手駒でどうにかしなきゃ」
「上から目線で、何を言うの貴方……! ああ、もう、使えない。使えない使えない使えない! オモチャさえ、あのベルトさえあればあたしは、あたしはぁああああ!!」
オモチャを手にしていないのに、オモチャに魅せられてしまった子ども。その姿を見て、彼女もいつか、ヒーローに倒されてしまうのだろうか、なんて考えてしまう。
倒される? いや、違うか。
「姫さんに、一つだけアドバイス。これからも、宮城聖を追い続けるといいよ。きっと、あの娘なら、」
――救ってくれるから。
憑き物が落ちたかのような清々しい顔で、栗原は大崎の横を通り過ぎる。
聖は栗原を救ってくれた。彼女は奪っているのではない、救っているのだ。やはり聖は、ヒーローである。
まあそれも、救われてみて初めて気づくこと。今の大崎には、そんな栗原の考えは伝わらないだろう。
「それにしても、奇妙だよな、本当」
子どもが遊ぶためのオモチャ。なのに、クリスマスに配られたオモチャは、そのどれもが戦う力を有している。これでは本当に、兵器が配られたも同然だ。
オモチャを配った誰かがいるのなら、それは誰で、どんな目的があるのか。子どもたちに戦争でもさせようというのか。
「もう、俺には関係ないけど」
さて、もうクリスマスプレゼントに喜ぶ時間は終わってしまった。これからの栗原は子どもではなく、大人として、節度ある言動を心がけよう。
これから自分が生きるのは、夢ではなく、現実だ――。
次の投稿には時間をいただく、かも、しれません。