第○○七話 『夢のオモチャ』
「なんなんだよ、なんなんだよお前ぇ!」
「名乗るとすれば……そうだな、バレットだ」
照準を定めたまま、サングラスの奥から敵を射抜く。
「ぶ、ブラッド・バレット……!? なんだよ、俺まだ何もしてねえだろォ!」
確かに、この男はまだ何もしていない。だが、伊達は聞いたのだ。この男が、クラスメイトと話しているのを。その内容を。盗み聞きだと糾弾するならすればいい。
「『市民を意のままに操る』……か。どんなオモチャを手にしたのか知らないが、市民に害を及ぼす者を僕は許さない」
言って、弾丸を一発撃ち出す。それは男には当たらず、足元に着弾する。
日はまだ沈んでおらず、伊達と男とを取り巻く野次馬も目に付く。有名になるのもやはり困りもので、下手に暴れるわけにもいかない。ここは殺さず、この男を無力化するのが一番だろう。
――そんなところに、
「止まれ、そこの暴走癖不審者ぁああああ!」
ブラッド・バレットと双璧を為す噂、――イーターが現れた。
伊達と男の間に割って入るように飛び込んできたのは、黒を基調とした、露出の激しい衣装に身を包む馬鹿。その少女は伊達を指差し、
「いきなり何をしやがってるかこのすっとこどっこい!」
「……アンタの方が何をしてんだこのボケ」
うんざりとした声を投げかける。いったい誰が暴走癖不審者か。確かに伊達の格好は不審者のソレだが、痴女にどうこう言われたくはない。
「こんな明るいうちから人殺し? ニュース見てビビったんだけど」
「ヒーローとは思えない庶民的な方法だな、その情報収集」
もっとこう、市民の危機を察知するヒーローとか、そういう体を守ったりしないものか。
というかそもそも、今回は殺す気はない。今のところは。
実行犯というわけでもなし。伊達に銃口を向けられるこの男も、二人のウワサの出現により完全に萎縮してしまっている。これからどうこうできるわけでもないだろう。その程度の子どもだったというわけだ。
「じゃあ、今回はもうアンタに任せる。いつも通りとっととオモチャ壊して無力化でもしなよ」
「……え? 何、急に。そんな物分りのいいバレットなんて気持ち悪い」
譲ってやればこの野郎。
「喧嘩売ってるなら買うぞ。……別に、ソイツが今回何かしたってわけじゃない。オモチャを使って何かしようとしていたのは確実だけど、今さらだろ。無力化専門のアンタが来たなら、任せるよ。めんどくさい」
この四ヶ月で伊達も随分落ち着いたものだ。最初こそ、市民を守るのだと躍起になって冷静さを欠いていたこともあった。クリスマスに派手に街を壊しやがったイーターと対立することも何度もあった。
しかし今、伊達が彼女に真っ先に抱く感想は、
「めんどくさい」
それはどことなく、カップルの倦怠期のようであった。
「お、おおう、そう? なら遠慮なくいただきます」
妙に挙動不審な態度を取りながら、イーターは男に向き直った。その野獣の如き眼光を真正面から受ける男の哀れさよ。
伊達はモデルガンを下げ、ため息を一つつく。
「さあ、オモチャを差し出して。壊してあげるから」
「い、嫌だ……これは、俺の……」
声を震わせ、言葉では抵抗する男も、頭では理解しているのだろう。イーターが本当に殺す気はないのだということが。オモチャを差し出せばそれで終わり。差し出さなくても、多少痛い目を見るだけで済むということが。
イーターは脅しには向かない。それで今まで、よく一人も殺さずこれたものだ。
伊達には関係のないことだが、ここで男を取り逃がしでもしたら万一のことがある。イーターがオモチャを壊す、その瞬間を見るまではここにいよう。
そう思って、
「来るなよ、奪わないでくれよ……これは、俺の、力なんだよ――ッ!!」
――油断した。
「っ!?」
下げていたはずの右手が持ち上がる。それは伊達の意思ではない。何者かに操られるように、その腕に握られたモデルガンが照準をイーターに定める。
抵抗しようとして、しかしできないことを知る。引き金にかけられた指が徐々に絞られる。
そして確信する。操られるように、ではなく、操られているのだ。
「おい! 避けろ!!」
引き金を絞る指を止められない。そう判断した伊達は叫んでいた。
その声の直後、銃声が鳴り響く。
「――ッ!」
咄嗟に振り向いたイーターは、間一髪のところでその銃弾を頬に掠める。かわされた弾丸は軌道を変えることなく直進し――、
「……あ」
――バレットとイーター、その直線上にいた男の額に、着弾した。
◆
「――な」
何が、起こって。
聖は振り向き、バレットの右手にオモチャの拳銃が握られているのを確認する。撃ったのか? バレットが?
確かに、バレットは今までにも人を殺している。どうしようもないクズばかりだけれど、それはどうしようもなく事実である。
しかし、バレットはつい今しがた、聖に譲ると言ったのだ。バレットはそんな嘘をつくような男だったか。仮にもこの街を守る一つの正義だ。そんな彼が、こんな嘘を。
「……僕じゃない。撃ったのは、僕じゃない」
「何言ってんの……それじゃあ、その右手のそれは――!」
言及しようとすると、バレットに撃たれた男の左手から、カチャリ、と何かが零れ落ちた。それはどうやら、コントローラーのようで。
「ラジコンの、コントローラー?」
「……そういうことか」
バレットがこぼす。その声は、普段の彼以上に怒りに満ちている。
ここに来て、聖にも事の顛末が見えてきた。おそらくこのコントローラーが『オモチャ』なのだろう。その力を想像するのは容易い。きっと人間を、もしくはもっと様々なものをラジコンに見立てて、操作することができるのだ。
その力によって、バレットは撃たされた。その狙いはこの男ではなく、聖であったはずだ。
なるほど、だから「避けろ」と。
「クソ……この僕に、人殺しなんかさせやがって」
何を言うか。人殺しならば、いつもしているだろう。
そんな言葉をかける勇気は、聖にはなかった。たぶん、そういう意味ではない。彼はこれまで、犯罪者を裁いていたのだろう。しかし今回のは、ソレとは違う。事故とはいえ、断罪ではなく人を殺してしまった。
こんな力、長く存在してはならない。今すぐにでも壊さないと――、
「……あれ? どこ行った?」
「ああ?」
再度見てみれば、コントローラーはすっかり姿を消してしまっていた。一瞬目を離した隙に、どこに行ってしまったのだろうか。
「消えた?」
「んなわけがあるか。そこら辺にあるはずだ。もっとよく探せよ」
バレットの語気が荒い。相当苛立っているのだろう。しかし気持ちがささくれ立っているのは聖も同じだ。何度見ても、人が死ぬのは気持ちのいいことではない。
その後もよくよく探してみたが、やはりコントローラーはどこかへと消えてしまった。
ざわざわと騒ぐ野次馬。……もしかして。
「あのー! もしかして、コントローラー、拾って持ってるって人いませんかー!?」
聖が問いかけ、野次馬の騒ぎはさらに大きくなる。
「誰かが盗んだってのか……おい! 持ってる奴がいるならさっさと出せ!」
目を離したのは一瞬だ。誰かが持っているのだとしたら、この中にいる。
だが名乗り出る者はいない。
最後の一人がその場を去るまで声をかけたが、結局、見つからないまま、野次馬は散ってしまった。
「最悪だ……あんなの、とっとと壊さないと」
毒づくバレットに、聖は心の中で同意する。使い方次第では本当に最悪なオモチャだというのに。
「ああ、クソ! クソ! もういい、帰る!」
言って、バレットは苛立ちも隠さず去る。
その瞬間、聖は聞いた気がした。
――やはり子どもだな。
嘲り、笑う、そんな声を。
「……不気味」
どこかムカムカとする胸を押さえつけ、人通りの少ない路地裏へと隠れ、変身を解く。
こうして、何もかもが釈然としないまま、一つの事件が終わった。現場には、死体が一つ残されるのみだった。
◆
「やっぱり、貴女だった」
「…………」
翌日、唐突に声をかけられ、聖は微妙な顔をする。声をかけてきたのは大崎みぞれだった。
その口元には含み笑いが浮かべられ、細められた目は聖を射抜く。やはり、苦手だ。
「えと、何が、」
聖は昨日のことを引きずり、いまいち気分が乗らない状態である。授業にも身が入らず、ただでさえ危ない成績がさらに危なくなりそうで、それも追い討ちとなっている。
そこに大崎が現れた。率直に言って最悪である。
だが、それも大崎の言葉を聞くまでだ。その言葉を聞いた聖は、最悪ではなく、
「聖さん、貴女――イーター、でしょう」
……超最悪となった。
「……イーター?」
「知らないなんて言わせないわ。最近、川内市を騒がせている二つのウワサ……昨日貴女が見ていたニュースにも載っていたブラッド・バレット。そして、イーター。それが貴女でしょう、って言ってるの」
「はあ、何を根拠に――」
「ん」
ずい、と差し出されたのはスマートフォン。その画面には、聖が変身を解く、その瞬間が写っていた。嘘だろ。
「昨日、貴女がニュースを見ているのを覗いて、あたしも後からその記事を読んで、場所を知った。そしてその場所に行ったら、バレットとイーターがいて、しかもバレットが人を殺してた。本当だったのね、バレットが人殺しって話」
咄嗟に否定しようとする。バレットは人殺しではないと。だが、と踏みとどまる。思い返すまでもなく、彼は幾度も人を殺している。否定なんてできない。
「まあ、バレットのことは置いといて。何か面白いものが見れないかと思ってカメラを構えてたら、こんなのが撮れちゃった。おかげで確信できたわ、貴女がイーターだって」
「確信ってことは、私がイーターだって、前から疑ってたってこと?」
「ええ」
なぜ、どうして。そんな疑問が浮かぶが、投げかけたところで流されるだろう。
「別にバラそうだなんて思ってないわ。ただ知りたいの。『オモチャ』のこと」
「――――」
「ねえ。貴女はそのオモチャ……ベルトかしら? ソレはどうやって手に入れたの? 誰かに貰った? だとしたら誰から? クリスマス以降変な事件が増えたのは、オモチャが原因よね。そのオモチャは、どこに行けば手に入れられるの?」
大崎みぞれの目的はオモチャか。
しかし、どうやって手に入れたのだと聞かれても、聖には答えようがない。だって、
「……クリスマスの朝、起きたら枕元にあった」
としか言えないのだから。ふざけているにもほどがある回答である。
予想通り、大崎の端正な眉が歪められる。
「……はい?」
「嘘なんて言ってないよ。本当のことだもん。だから、欲しいと思っても、手に入らないんじゃない?」
言い捨て、聖はその場を後にする。昨日の今日だ。まだ気分は悪い。対応がぞんざいになってしまったが、大崎相手にはこれくらいでちょうどいいだろう。
子どもが楽しむための、夢のあるオモチャ。なんでそれが、気分を害するモノになるのだろう。
聖はただ、楽しく遊びたいだけなのに。
そう、聖の根底にあるのはやはり、『ごっこ遊びの延長』なのだ。
◆
「――はて、いいのかい?」
「ええ、いいわ。存分にやって」
彼女の言葉に嘘偽りがないのであれば、オモチャを手にするためには他人から奪う他ない。ならば、彼女から、力づくで。
「俺のはいらないんだ」
「だって、あたしが欲しいのはそういうのじゃないもの」
欲しいのはアレだ。ベルトだ。彼女をヒーローたらしめている、あのベルトが欲しいのだ。
変身して、戦って、街を守って、そういうことをしたいのだ。
そうして、あたしは人気者に――。
目立ちたがり屋、大崎みぞれ。ここに極まれり。