第○○六話 『小さな規模の計画』
「――ひぃ」
伊達が銃口を向ける。ただそれだけで萎縮し、怯え、逆らう気力が失せてしまう。
なんだ、コイツもただのヘタレか。
「……もういい。失せろ」
この程度の奴に、人殺しなぞできるはずもない。相手をするだけ時間の無駄だ。
「放っておかれるのですか、ヨル様」
「うん。これは僕じゃなくて、あっちの手合いだろ」
言って、思い浮かべるのは少女にあるまじき格好をした、イーターを名乗るヒーロー。幾度となく伊達の邪魔をし、その度にお子様理論をぶつけてくる忌々しい存在。いっそのことアイツから倒してやろうかと思い、何度かこの銃口を向けたこともある。一度も捉えることはできなかったが。
最近になってようやく、オモチャによる事件が沈静化してきた。イーターの活動も消極的に、同時に伊達も静かな行動を心がけるようになった。
バイト先にまで噂が流れてくるようになったとあれば、さすがに伊達も自重する。
「あの痴女と同レベルの存在で噂されるなんて耐えられない……マジで」
「同レベル、とも少々違うようですが。世間では、ヨル様の評価は二分しておりますし」
そうだったか。確か、バレットは犯罪者か否か、といったものだったはずだ。
いくら犯罪を犯した者だろうが、人を殺せばそれだって犯罪だ。伊達も同類に過ぎない。そう評する声と、救世主、ヒーローと呼ぶ声。その二つは、伊達も耳にしていた。
伊達にとって世間体などどうだっていいことではある。そんな伊達が黒ずくめの格好をしているのは、一応の自衛策だ。どこの誰が見ているかわからない。万一知り合いに見つかったら、こんなことは続けられなくなってしまうだろう。
それは困る。父の遺志を継ぎ、この街を守る。そのために伊達は戦っているのだから。
――果たして、本当にそうだろうか。
「……?」
伊達は、本当に父の遺志を継げているのだろうか。父は、犯罪者を殺すなどしたことがあっただろうか。
「違う、そうじゃない。……親父の遺志を継ぐだけじゃ駄目だ。継いで、進化させなきゃ」
その遺志を。
親父の真似をしていては、いつか親父のように死んでしまう。ただ背中を追うだけでなく、死を活かさなくてはならない。
だから伊達は、犯罪者に対し非情を徹底する。
……そういえば、父はどのようにして死んだのだったか。殉職と記憶している通り、当然、職務に当たっていたのだろうが。
「僕は、死なない。ずっとこの街を守り続けるんだ」
人はいつか死ぬ。そんな当たり前をも、いつかは克服できたら。そうしたら永遠に、親父が守りたかった街を守れるのに。
そんなことを考えながら、今日も伊達は、夜闇に姿を消す。
◆
「――そうね、ええ、今日は雨が降るわ」
その日、久々に大崎みぞれが雨の予言をした。もはや占いなど生ぬるい、予報にない雨だけをピタリと当ててしまうそれは、予言とまで呼ばれていた。かなり限定的ではあるが、予言と称して過言ではない的中率に、大崎のクラスに疑う者はいない。
「マジかよ……傘持ってきてねえや」
「なんなら俺の傘に入ってくか?」
「美少女になって出直しやがれ」
そうして湧き上がるクラスを見て、大崎は冷めた目をする。
簡単なものね。少しでも不思議なことがあると、それを神秘としたがる。なんて単純な年代なのかしら、思春期って。
思春期に限らず、不可思議なことがあれば、それが神聖なものであると考えてしまうのが人間だ。もしくは邪悪なもの、か。
大崎は美人だ。それゆえ、邪悪なものになどなりえない。本当に、単純。
「……それじゃあ、よろしくね」
大崎が小さな声で呟く。すると、大崎の右後ろに座る男子が立ち上がった。
「はいはい」
一言だけ、それを応答とし、学ランのボタンを一番上まで閉めた男子生徒は、教室を出て行った。しばらくして、大崎もそれを追うように教室を出る。
「帰りは気をつけてね、みんな」
そう言い残すのを忘れずに。
「おっと」
「うわっ」
大崎が教室を出て、階段を上ろうとしたところで、逆に降りてきた生徒とぶつかりそうになる。その相手は何の因果か、宮城聖であった。
「……うわ」
聖が、今度は驚きとは別の意味で言う。ああ、これは避けられているな、と思いながら、しかし笑みは絶やさない。
「あら、宮城さん。四階には一年生の教室しかないはずだけど……どうかしたの?」
「え? いや、別に」
見れば、聖の髪が、まるで風に煽られでもしたかのように乱れている。そんな強風が吹く場所なぞ、この上には屋上くらいしかないはずだが。
「ふぅん。まあいいわ。……そうそう、これから雨が降るから気をつけてね。傘、持ってきてないでしょう?」
「……持ってくるはずないじゃん。だって、予報では、」
「晴れ――そんなこと知ってるわ。あたしも朝は天気予報、見るもの」
今だって、外を見れば雲ひとつ無い快晴だ。夏にはまだ早いが、清々しさを感じることができる。今年の夏はあまり暑くならなければいいが。
「なんだったら帰り、傘、入れてあげましょうか?」
「え、遠慮しとく」
引きつった笑みを浮かべ、聖は去っていく。
あらら、フられちゃった。仕方ないわね。
見れば、聖は今日もお気に入りのパーカーを着ていた。季節はすでに春。暖かさも慣れ始め、上に羽織るモノなど必要ないくらいに過ごしやすい陽気なのに。
ため息をつき、大崎は上へと続く階段を上っていく。一年生の教室がある四階に辿り着くと、「あ、大崎先輩! こんにちは!」「今日は雨、降りますか?」なんて声をかけられる。それらを適当にあしらいながら、五階、そして屋上へと辿り着く。
そこでは、先に教室を出ていた男子生徒が待っていた。
「遅かったね、誰かに捕まってた?」
「ええ、聖さんと、一年生に、ちょっと」
「はは、みぞれさんは相変わらず人気者だ」
思っても無いことを。
心の中で思いつつも、表には出さない。
「で、今日はどれくらい降らせる?」
「そうねえ……三〇分程度のにわか雨でいいわ。止んだらすぐ渇くくらいの」
「あれまあ、随分注文つけるようになっちゃって。人使いの荒い姫さんだ」
「使ってやってるのよ。感謝しなさい」
「普段のおしとやかな大崎みぞれとは思えない発言いただきました、っと……んじゃ、放課後に降ってくるよう調節しとく。午後の授業頑張れー」
ひらひらと手を振る男子生徒を確かめ、大崎は屋上を去る。上ってきた階段を今度は降り、教室に戻ると、ちょうど始業のチャイムが鳴った。右後ろの席は空白のままだ。
「あー……栗原はまたサボりか? まだ五月だってのに、先が思いやられるな……」
そう呆れ声を出す教師も、いささかウンザリしているようだった。
◆
「うぇ、本当に降ってきた……」
放課後、今日もニュースを漁ってみたが、オモチャの事件らしいものは見当たらず。まっすぐ帰ろうと思ったらこれだ。
不思議なものだ。予言なんて、本当にできるものなのだろうか。それとも、そういう体質だとか? 雨が降りそうな空気を肌で感じることができるとか……だとすれば、予報にある雨もわからなければおかしいだろう。いやまあ、予報にある雨を予言したところで、そんなん知ってるわ、ってなるけれど。
――もしかして、大崎みぞれの不可解な力には、『オモチャ』が関係しているのでは?
「はは、なんて」
最近オモチャによる事件が起きないから、そんなことを考えるのかもしれない。事件が起きないから、起きて欲しいなんて、
「まったく、不謹慎――」
「何をぶつぶつと喋ってるの? 独り言?」
「っっっ!?」
いつの間に背後にいたのか、そこには大崎みぞれの姿があった。思わず後ずさってしまう。さすがに失礼すぎたろうか。
「言ったでしょう? ……そのパーカー、濡らしたくないんじゃない? あたしの傘に入っていけば?」
「だから、遠慮すると――」
「これからこの雨、局所的に激しくなるわよ」
ぞくり、と。
大崎が目を細め、笑みを浮かべる。それだけで、何かに縛られたかのように動けなくなる。そんな威圧感が彼女から発せられ、思わず言葉に詰まってしまう。
大崎が纏っているのは自信だ。どうしようもなく傲慢で、高慢な。
「ほら、入っていくことをオススメするわ」
見れば、彼女の手の中には比較的大きそうな傘があった。女子二人ならば余裕で入れそうな、大きな傘だ。
「ど、どうしてそこまで……」
「強情ねえ……――入って。貴女と話がしたいの。いいでしょう?」
そう強く言い寄られ、聖は不気味なものを感じ、断ることができなかった。
「それでね、貴女と話したい、そう言ったことに嘘はないわ」
大崎の言うとおり、激しくなってきた雨に傘が打たれる。雨音にかき消されないようにと、大崎は耳元でも大きな声で話し続けた。
「貴女、ずっと制服の上にパーカー着てるわよね。あたしが転校してきた時にはもう着てたから、そう、四月より前なのは確か。いつからなの?」
「……ずっと、だけど。パーカー自体は、子どもの頃からずっと」
幼少の頃にハマった仮面ヒーロー。一番最初に見たヒーローが、学ランの上にパーカーを着るという、高校生ヒーローだったことに由来する。
以来、ことある毎にパーカーを着ては変身ポーズを取っていた。聖は、この頃から恥じらいというものを知っていて、両親に知られるのは極力避けていたけれど。両親共に日曜日は仕事があって助かった。でなければきっと、見ることも叶わなかったから。
その中でも、今日着ているこのパーカーはお気に入りだ。似ているのだ、配色が、高校生ヒーローの着ていたパーカーに。
「そのファッションが目に付いて、気になっちゃったのよね。貴女のこと。以来、見つけては姿を追うようになった。それで気づいたんだけど、」
思わせぶりに言葉を切り、その視線を聖に向けたのを感じた。しかし聖は大崎の方を見ず、視線は前方に向けたまま。
「貴女、時々授業をサボってどこかに行ってるわよね。それも、学校外に」
「――――」
不意を突かれた。まさか、パーカーからそんな話に繋がるとは。
「どこに行ってるの?」
「……どこだっていいでしょ」
ニュースを見て、何か事件が起これば聖はそれに駆けつける。その際に授業をサボることも何度かあったのだが、大抵は立ち入り禁止の屋上で変身して、そのまま屋上伝いに駆けるのだ。
大崎とぶつかった日は、どうしようもなく体を動かしたくなり屋上に出向いたのだが、いざ変身しようとしたら男子生徒が来たので中止。急いで教室へと戻った。
もしや、今までに見られたことがあるのか。
「気になるじゃない。お昼休みはそんなに長くないし、なら、その短時間でどこに行ってるのか。人間だもの、知的好奇心が働いたとしても何の不思議もないわ」
めんどくせえ。
適当にあしらうことすらさせてくれない。厄介な相手に捕まったものだ。ふと、気分転換にスマートフォンを除いてみる。いつものクセでニュースアプリを起動し、川内市の事件などを検索する。
「あら、ニュースなんて見るのね」
「高校生だもん、おかしくない」
「ううん、女子高生ならもっとこう、コスメとかの情報をチェックしたりとか、オシャレ? に関することとか……」
「あー、最低限でいいよ、そんなの」
特に目立った事件なし、今日も今日とて川内市は平和――、
「――あれ?」
一番最後の記事に、『バレット出現!』の文字を見つけた。
「えっと、ブラッド・バレットさん、だったかしら。ここ最近あまり見なかったけど。彼も有名よねえ」
何勝手に人の携帯を覗いてやがる、なんて悪態を付くことすらせず、聖はその記事を読み進める。
そして、
「傘、入れてくれてありがとう。それじゃあ私、こっちだから」
言って、聖は雨の降る中一人で駆け出した。
「……あらあら、ヤキモチ焼いちゃうわね、バレットに」
口元に笑みを浮かべ、聖を見送る。
いつの間にか雨は上がり、空には虹がかかっていた。