第○三六話 『父の言葉』
お待たせして申し訳ありません。
別のお話を書いていました。よろしければ『仮面=ラヴァー』の方もよろしくお願いします。( http://ncode.syosetu.com/n9095dd/ )
今まで、両親を拒絶したことなどあったろうか。……いいや、ないはずだ。聖はいつだって両親が大好きで、大好きで。
母親は少しばかり聡い。それが時に嫌だなあ、なんて思うこともあるが、いつだって聖の悩みを見抜いてしまっていた。おかげで背中を支えてもらっているという安心感があり、どれだけ悩んだって挫折することはなかった。
父親は少しばかり聖のことが好きすぎる。それだけ愛してもらえて嬉しいとは思うが、聖はもう子どもではない。そう思って、もう一人でも大丈夫なんだってところを見せつけようと躍起になって、上手く行かなくて、まだまだ父さんがいないと駄目だな、なんて調子に乗せてしまうのだ。
そんな大好きな両親を、拒絶するなんて。
きっと驚いているだろう。失望しているだろう。自分の娘が道を誤ってしまったことを、自分たちのせいだと後悔するだろう。そういう人たちだ。悪いのは聖自身なのに。
だから入ってこないでほしい。このまま聖を放っておいてほしい。今どちらの顔を見ても、聖は壊れてしまいそうだ。
だというのに、
――――ガチャ。
そんな甘えを、誰よりも優しく、誰よりも厳しい親は許してくれなかった。
「入るぞ、聖」
入ってきたのは、父親だった。
◆
――動けない。
まるで時間が止まったかのように、振り下ろそうとする両腕は重く、無様を晒す。
「いい眺めだなぁ……オレ以外の全てが、オレの意のままだ」
目を動かすことすらできない世界の中で、真っ黒に染まった敵だけが自由に動く。
それはさながら、世界の支配者。
「アイツは飲まれてたようだけど、オレならこうして自在に扱える。……ハハッ、アイツは弱くて、オレは強かった!」
何を、言っている。
そう言葉にしたくとも、口が開かなければ喉も震えない。
自分の身体が思い通りにならない感覚を、どう思うか。……最悪だ。
自分の身体が自分のものでなくなる感覚。他人に全てを支配される感覚。どれをどう取っても悪態しか浮かんでこない。
「ハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」
耳障りな笑い声が頭に響く。このまま栗原はやられてしまうのだろうか。
ヒーローの代役すら果たせず、自らが守ると誓ったモノさえ守れず。
「――このまま帰るつもりだったけど、こりゃ助太刀必要っすかね?」
ずぉぉ、と。何か、目の前の敵以上に黒い何かが近づいてきていることを感覚で知った。
誰だ? 見ようにも、視界を動かすことはできない。
「いやぁ、本当はここで登場するのはヒーローでなくちゃいけないんだけどなぁ。生憎と、長期休暇中らしいし」
「あぁん? 誰だ、お前――ガッ!?」
眼前で、真っ黒に染まった敵が消えた。否、飛ばされたのだ。殴られて、栗原の視界から消えた。
代わりに現れたのは、その両腕を黒い爪で覆った少ね――少女?
「動けないって辛いっすよねえ。ほい」
黒い爪が栗原の氷の鎧に触れる。途端に自由の利かなかった両腕が振り下ろされ、危うく少女の頭に落ちるところだったが、少女が間一髪でそれを避ける。
「あっぶねー!!」
「あ、ああ……ごめん」
いったい何者だ、この少女は。
……少女で合っているのだろうか。
長い髪を縛り、右肩から下げている。目は大きく、顔のパーツも整っていて両性的。着ている服も女物らしいが、男が着ていてもおかしくないモノだ。
「あっはは、俺のこと気になってる? でもまずは、あれ、どうにかするのが先なんじゃないっすかね」
言いつつ、ぽん、と白石にも触れる。またもや鉄球が少女(俺と言ったしやはり少年か)に飛来しようとするも、それを避ける。
「アンタらさっきからなんなんすかね!?」
「いやぁ、悪ぃ。アイツに攻撃しようとしてたとこだったからよー。……んでお前誰?」
「いやだからね? 今はそんなことよりアイツを――」
――UGalalalalalalalaaaaaaaaa!!!!
何かが、吼えた。
瓦礫を押し退け出てきたのは、全身を黒い瘴気で包んだ敵だ。
「ああ、そうだ。白石って言ったっけ。あれ、なんなんだ? 知ってるんだよな?」
「ん? ああ……悪霊、って言えばいいのかね。人の弱い心に取り憑いて、暴走させちまう厄介なやつ。でもなんでだろーな。普通ああなったら理性保てるわけねーんだけど、どういうわけかアイツは話せる状態らしい」
栗原が問えば、そうして解説をくれる白石。そんな二人を余所に、男女は、
「あっはっは、俺と同じ感じじゃねえっすか?」
――ふと、その両腕に宿るものと、敵の悪霊のソレは同質のように見えた。
「あんた、本当に何者なんだ……」
「恭しいと書いて恭。とりあえずはそう呼んでもらおうか」
言うなり恭は飛び出し、未だ倒れる悪霊にその爪を向ける。
「キサマぁ……どうしてオレの支配を受け付けない!!」
「さぁて、なんでっすかねぇ?」
肉薄し、その両の手の爪で黒い瘴気を引き裂いていく。
「アンタこそ、俺を誰だと思ってんだ?」
『Evil Spirit 〝Eater〟』
爪が巨大化し、牙になる。
「あぁ!? なんだってんだよぉおおおお!!」
悪霊が叫ぶと同時、幾つものサイコロが宙に浮かび、爆発する。
それを飲み込まんと、両手の牙が――閉じる。
「――全ての悪を担う人間っすよ」
牙が飲み込めなかった分の衝撃が辺りに広がる。轟音、地鳴り、全てを全身が駆け抜ける。
……それが止んだ頃には、恭の姿しかなかった。
「やー、逃げられちったかぁ」
黒い牙が黒い爪に、そして指貫グローブに変わる。
栗原も変身を解き、
「……もう一度聞くけど、良いか?」
「あー、駄目っすよ。他人を頼りすぎたらいつか駄目になる。もっと自分で考えなきゃ。お二人さんも、この街を守るヒーローとして戦いたいならね」
そう言って、恭は立ち去っていく。
まさかこの街には、三人目のヒーローがいたのだろうか。
イーターに、バレット。そして恭。
この街で、何が起ころうとしているのだろう。
◆
「入るぞ、聖」
嫌だ、出てって。いつもなら別の意味で言うその言葉も、この場面で言ってしまえば決定的な一言となる。それゆえ聖は口にできずにいた。
入ってきていなければまだ引き返せる。だが入ってきた父親を追い出すのは、引き返せないところまで行ってしまう。いっそのことそれがわからないほどの馬鹿ならどれだけよかったことか。
……いいや、そもそも馬鹿であったならここまで現状を悩んではいなかったろう。
聖の中に、自分の知らない聖がいるかもしれない、そんな現状を。
「聖――」
「…………どうして、入ってきたの」
出て行けと言わない代わりに問う。
「どうして、入ってきたの。私は入ってこないでって言ったのに」
「どうしてと言われてもなぁ……そういうお約束じゃないのか? ほら、押すなよ押すなよってやつ」
この状況でどうしたらバラエティ番組を想起できるのだ。やはり父は、どこか抜けている。
「そんなわけ、ないじゃん」
「おっ、今くすっと来ただろ。そうだろ? そうだろ?」
うぜえ。
しかし、少しばかりではあるが心が軽くなったのは確かだ。やはり聖の父はすご――、
――お父さん凄い!
――はは、そうだろ? そうだろ? これでも昔、正義のヒーローだったからな!
「――――」
なんだ、今の記憶は。
正義のヒーロー? 幼い頃の記憶だろうか。父が得意げな顔で、聖に笑いかけている。それを聖はただただ尊敬し、憧れ、そして……そして、どうしたのだろう。
「なあ、聖」
ふと浮かんだ記憶を押し退ける。枕に顔をうずめる聖の背後から父親が語りかけてきた。
「父さんはな、後悔してるんだ」
…………、ああ、やっぱり。
娘がこんな情けなくなってしまって、自分のせいだと後悔してしまっているのだろう。そんな父の姿は見たくなかったのに、よりにもよって自分のせいで、そうして後悔するなんて。
違う、間違っている。悪いのは全部聖で、後悔しなければいけないのも聖のはずなのに。
歯が痛くなるほど食い縛り、
「正義のヒーローになったことを」
その一言で、全身の力が抜けた。
「……え?」
思わず顔を上げ振り向いてしまう。
「言ったことあったか? 父さんはな、昔、正義のヒーローだったんだ。と言っても、テレビの中のヒーローのように世界を守ったわけじゃない。自分の手が届くところにいた人たちを守るために、泥臭く走り回っていただけなんだけどな。……それでも、正義のヒーローだったと思ってる」
語る父の顔は、何かを懐かしむようで。嘘ではないのだろう、一つ一つ過去を掘り返すかのように言葉を紡いでいく。
「ヒーローにもいろいろあって、守りたいものはそれぞれだ。父さんの周りにはな、ヒーローがたくさんいたよ。できるだけ多くを守ろうとしたヒーロー、自らの誇りを守ろうとしたヒーロー、たった一人の女を守ろうとしたヒーロー。そして、そういったヒーローの前には必ず悪意ってやつが立ちはだかる」
なぜだろう。こんなの、年頃の娘にする話ではないし、聖だって鼻で笑い飛ばす話のはずだ。
なのに、こんなにも刺さるのはなぜだろう。
「その悪意に歯向かって、挫折したヒーローもいた。戦うことをやめて、賢いフリしたヒーローもいた。戦う意味を考えて、空回りしたヒーローもいた」
「……お父さんは?」
「父さんか? 父さんはな、やめちゃったよ」
その言葉を口にする時、一瞬だけ辛そうな顔を見せた。
辛い。戦うことは辛い。
「いろんな人に責められた。救いっぱなしか、何のために戦ってるんだって。父さんは――俺は、ヒーローになっちゃいけなかったんだ」
なっては、いけなかった?
「ヒーローになるには覚悟がいる。助けるモノと、切り捨てるモノをはっきりさせなくちゃいけなくて、無い頭で考えて、自分で決めたつもりだった。でも結局迷ったんだよ。そして俺は、どっちも失った。拾ってくれる人がいなきゃ、俺は今でも燻っていた。……ヒーローってなあ、辛いんだよ。楽しいだけじゃない。必ず喜び以外の感情が付きまとう。それが辛いんだ」
父の言葉が流れ込んでくる。耳にではなく、心にだ。
聴くのではない、感じるのだ。聖にも、父と同じことを考えた時があったと。
ただのごっこ遊びではない。それでは本物のヒーローにはなれない。
「俺は、ただ憧れていれば良かったんだ。ヒーローになっちまったら、それすらできなくなった。……何十年も前の話だ。それでもまだ、後悔し続けてる」
優しい声だ。聴いていて心地いい。
理解できる。できてしまう。なぜだろう。聖はこれまで一度だってヒーローに憧れたことはないし、なろうとしたことも、ましてやなったこともない。
なのになぜ、そんな父の言葉に共感できてしまうのだろう。
「なあ、聖。何があったのかは訊かない。けどな、」
父の手が、聖の頭に乗せられる。
「辛かったら逃げ出して良いんだ。やりたくないことを無理してやらなくていい。んなもん、諦めちまえ」
――――ああ。
私はずっと、この言葉を聞きたかった。
そう思えるほどにしっくりきて、この言葉を聞くために今まで戦ってきたのだと感じて。
……なにと?
なんだっていい。
聖はもう、戦わなくていいのだ。
◆
結局のところ、単なる女子高生が背負うには重すぎたのかもしれない。
〝正義のヒーロー〟という看板は。
「……だからと言うて、それをアッサリ放り投げるようにも見えんかったのだがな」
しばらく顔を見せていないイーターのことを考えると、結局その結論に落ち着いてしまう。
今のイーターには、イーターとして戦ってきた記憶が無いと言う。多賀城は予期していなかった事態らしいが、このまま再起しなければイーター抜きで計画を進めるらしい。
結局、多賀城にとっての〝イーター〟とは何だったのだろうか。
「そう見えたならきっと、それは正しいんじゃないっすか。らしくもなく落ち込むのはやめた方がいいんじゃ? ねえ、童」
物憂げに顔を俯かせる色麻童に声をかけたのは、かつての友人だった。
「――恭、主、こちらに来ておったのか」
「あっはは、親父さんに呼ばれてっす。挨拶に行ったらいきなり変なもん渡してくるし、俺はどうしたら良いのやら」
かつて、とは言うが、色麻の引越しにより会うことが無くなっただけであり、SNSアプリやメール、果ては文通などでも連絡を取り合うほどの仲を保てている。久々に顔を合わせたというのにこうして違和無く話せているのは、そのおかげもあるだろう。
「相も変わらず惑わそうとする。今でもその格好はお気に入りか」
「いやぁ、なんかもう落ち着いちゃって。男か女かわからない格好ってさ、相手を警戒させるじゃないっすか? もしくはときめかせるか」
「いや、そんな同意を求められても……妾には理解できん」
そこらの女よりは女性的ではあるし、そこらの男よりは男性的である。しかしその中途半端さが、恭という人間なのだと言えよう。
どっちつかずの半端者。それが色麻の知る恭だ。
「童こそ、年上に向かってその言葉遣い。変わってないっすねえ」
「妾は単に平等なだけだ」
「俺の親父には従うのに?」
「…………」
言えない。あの男は少し、恐ろしいからなどとは。この友人の前では、口が裂けても言えない。
話を逸らすことにした。
「して、あの男に渡されたモノとは?」
「ああ、これっすよ」
言って恭が掲げたのは両手だ。そこには指貫グローブが嵌められていて、
「……オモチャ、とは言えんな。なんだその出来損ないは」
「悪いけど、オモチャらしいっす。人工のね」
人工の……まさか。そんなものを造れるはずがない。
「この人知を超えたオモチャを、人の手で造り出せたと?」
「いやぁ、そこが問題なんすよ。実際に使ってみて確かめたけど、オモチャとは呼べないっすねえやっぱり。……親父さんはこんなの造って、何がしたいんだか」
それを知るのは、あの男のみ。
色麻にオモチャを集めさせたり、造ってみたり。何がしたいのだろう。色麻だって問うてみたい。
「まあ、わからないのは今に始まったことでもあるまい。ほれ、腰をかけたらどうよ。久々の再会だ、茶を飲みながら思い出話に華を咲かせようではないか」
「落ち込んでたかと思えばすぐこれだ。我が友人は気まぐれっすねえ」
気まぐれ、それもそうだろう。
何せ色麻は、動物に喩えるのであれば猫なのだから――。
「あ、それは無いっす」
「殺すぞ主」
「諦めていい」という言葉は麻薬のようですね。一度でいいから父親に言って欲しい。




