第○三四話 『思惑の交錯』
お久しぶりです。
「――やぁ、美詩女の調子はどうだい?」
ベッドに横たわる少女を介抱する女性、富谷に多賀城は問いかける。
大分落ち着いたのか、先日まで苦しそうに呻いていた美詩女は、今ではすやすやと寝息を立てている。
「見てのとおりです。……それで、目的の方はちゃんと達成できたんですか?」
やや棘のある声。それもそうか。知らなかったとはいえ、娘をこんな目に遭わせてしまったのだ。自分を、そしてそれを指示した多賀城に、少なからずの憤りは覚えよう。
ここで目的を達成し損ねた、などと言い出せば、多賀城の命はここで終わってしまうだろう。
「安心したまえ。ここに、その答えがある」
そう言って取り出したのは小さな紙袋。
「……はい?」
「驚く顔は見飽きたよ。さっき、大和くんに見せた時も同じ顔をされた」
もう退院できるという大和にもこれを見せた。しかし彼は、微妙な顔をするのみで良い反応は得られなかった。
それでも、ここには大きな目的を達成するために必要なものがある。
「あとはこれを――」
「奴に渡す、というわけか」
美詩女が眠る部屋。その扉をノックもせずに開け放ったのは一人の少女だった。
「して多賀城、イーターはどう始末をつけるつもりよ」
「おや、色麻くん……オモチャ集めは順調かい?」
セーラー服に天女の羽衣を纏った、背丈中学生程度の少女は鼻を鳴らす。
「順調も何も、こんなもの、オンラインゲームで言えば初心者狩りの如しであろうが」
「ははは、キミからオンラインゲームなどという言葉を聞こうとは。存外、現代に適応しているのだね」
「たわけ。この口調は単にばあやのが移ったに過ぎん。というか、話を逸らすな。妾は、イーターをどうするのか、と問うておる」
「――――」
はてさて、どうしたものか。
信じてもらえるだろうか。この少女に、自分も想定外だった、などと言って。
当初の予定では、美詩女のオモチャの力を用い、イーターの力を抽出。美詩女より溢れた力を別の器に収めることで、新たな力を創造する。ここまでで完遂だった。
しかし、想定外のことが起きた。美詩女は、イーターという力に内包された力さえも喰らってしまったのである。
その影響か、美詩女も高熱を出し寝込んでしまった。ようやく落ち着いてきたらしいが、さしもの多賀城も冷や冷やしたものだ。
やはり、大和の力がなければ所詮、大人の力などこの程度のものなのか。
「……それは、イーター自身が決めることだ」
結局、こんな曖昧な言葉で逃れようとする。ああ、大人になってから自分は、どこまで卑怯になっていくのだろう。
◆
「……あら」
居間に置きっぱなしであったスマートフォンが、おどろおどろしい音を鳴らす。確か、この着信音に設定していたのはあの人のメールだったはず。
開いてみるとやはり、あの人の名前が表示されていた。用件は待ち合わせのもの。
『三日後、新都の東端にある喫茶店』
「……あら」
ここを待ち合わせ場所に選んだ、ということは、彼に関することか。何か進展があったのであれば、それを聞かずにはいられないだろう。
まだあの娘も見つかっていないが、そちらはすでに半分ほど諦めている。だって、もう人ではなくなっているだろうから。
この街をオモチャが騒がせて七ヶ月。最早無関係の人間などいないのではないか、とさえ思うほどに、この街にはオモチャが溢れ返っている。他の街もこうなのだろうか。
「いいえ、違うんでしょう」
明らかに、この街に向かってオモチャが流れている。まるで、これからこの街で事を起こすぞと宣言しているかの如く。
それに気付いているのは何人ほどなのか。
「それが少数だとしても……構いません。ねえ、栗原くん」
街を守るヒーローとして戦う少年を想い、川崎雹は立ち上がる。
クローゼットを開き、無難な格好へと着替える。スウェット以外の格好をするのもいつ振りか。
この街を守るために少年が戦っているのに、大人が何もしないわけにはいかない。
◆
「これで良し……っと」
「何? 浮気メール?」
「うぇ!?」
「え、まさか図星?」
唐突にスマートフォンを覗き込まれ、そんなことを言われてしまえば驚く他ないだろうに、何を言うか。
「違うよ……ちょっと仕事先にメールをね」
一成の言葉に納得したのか、佐奈はそれ以上興味を示さず、また家事へと戻る。
――もちろん、今の言葉は嘘だ。いいや、一成にとっては嘘ではないのだが、佐奈が思い浮かべる仕事先ではない。
さらに言えば、此度の出張も仕事関係ではない。会社には有休ということにしている。
過去の因縁を払拭するための。一成という、大人になってしまった少年が果たせなかった願いを果たす為の。その下準備だ。
自分に何ができるか、などと考えるのは後回し。ただひたすらに、がむしゃらに動いた結果が、ようやく実ろうとしている。
……焦るな。ここで事を急いてしまっては、上手く行くものも行かなくなる。
そうだ、今娘は夏休みだったか。一息つくついで……いいや、単純に娘と遊びたいし、明日にでもどこかで連れて行こうか。
「なあ、母さん。聖って明日暇かな」
「んー? ……まあ、暇だと思うけど。何、どこかに連れてくの?」
「ははっ、さすが、よくわかってる。久々に帰ってきたし、存分に遊んでやろうかと」
そう告げると、佐奈は少々言いづらそうに、しかし言わないわけではなく、
「残念。私は明日、暇じゃないんだけど」
「え、何か用事?」
「そう。だから二人だけで楽しんどいて。積もる話もあるんじゃない?」
それならば仕方ない、か。家族三人で、と思っていたのだが。
まあ父娘二人というのも悪くない。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
「あんまりテンション上がって、聖に嫌がられないようにね」
「…………、…………」
「ちょっと?」
「気をつけます!」
少しだけ、自分のことが心配になった。
◆
世間で言う夏休みも、二週間が経とうとしていた。
「……どいつもコイツも浮つきやがって」
退院日はもう少し先なのだが、妙に両腕が疼きいても立ってもいられなくなった。そんな大和は病院を抜け出し、新都の街中を歩いている。
夏休みという長期休暇によって、街には学生……クソガキがウロチョロしている。視界に入る度捻りつぶしたい衝動に駆られてしまい、目つきが鋭くなっていく。
そこに、以前の爽やかさなどは微塵も感じられない。
肩から指先まで、両腕を覆う包帯。それは、大和が無残にも敗れ去った証拠。
人生のほとんどを思い通りにしてきた青年が、初めて敗北を喫した証拠。
「許さねえぞ……バレット」
化物と化した彼はどこへ行ったのか。まだこの街にいるのだろうか。いるのであれば出て来い。いないのであれば、
「いないなら……ああ、めんどくせえ。それを悩むのは――確かめてからでいいだろ」
大和は二つのダイスを取り出し、それを巨大化させる。ただそれだけで、通行人は何事かと目を見張り、注目は大和に集まる。
「平和ボケした連中にぃ、刺激をプレゼントォオオオオ!!」
膨らんでいくサイコロは、やがて風船のようになり――破裂した。
パァン!! と乾いた音と共に撒き散らされたのは灰色の粉。視界を覆うそれは当然、周囲にパニックを呼び起こした。
「さあ、いるなら出て来いバレット! この街が傷つけられるのってのが、死ぬほど嫌なんだろ? おぉい!!」
高らかな呼び声と、それに追随する笑い声。
夏休みによって賑わっていた川内市に、再び混乱が巻き起こる。
ああ、愉快だ。やはり愉快だ。人が戸惑い、逃げ惑い、道に惑うその姿が、途轍もなく愉快だ。
この圧倒的な支配感。これこそが大和の求めていたものである。
あとは、その支配に置けなかったバレットを完膚無きまでに叩き潰せば、大和はもう一度自信を持て――、
「――――あ?」
まるで、今の自分には自信がないと言わんばかりの思考に、大和は思わず自らを殴り殺したくなった。
いつから自分はそんなに弱くなった。たった一度の敗北で、ここまで弱気になってしまうような男だったか、大和という青年は。
「そういやぁ、アレが久々の負けだったなぁ……ああ、クソ。まだ負け犬癖が抜けてないのか」
ドクン、と。両腕が鼓動する。
「……だったら、勝たなきゃなぁ。こんな悪癖、洗い流せるほどに勝たなきゃなぁ」
灰色の粉塵の中に、何かが入ってくる感覚を得た。これは……違う、バレットではない。
しかし、
「誰でもいい。ひとまず、オレに勝たせろよ」
振り返り、振り下ろされた大剣を素手で受け止めた。
◆
「んなッ――」
完全に音を消した背後からの一撃。しかもそれを、素手で止められたとなれば栗原の衝撃も大きい。
「よぉ、オレが入院してる間に、また変なヒーローが出てきてたのか?」
距離を取ろうにも、大剣を掴むその膂力が凄まじい。なんだこの男は、化物か。
「く、そ……!」
「まあまあ、初めましてなんだからさぁ……少しお話でもしようぜ?」
全力だ。変身した栗原の、持てる力を持って大剣を取り戻そうとしている。しかし相手は涼しい顔で、それをさせようとしない。
「なあ、氷の騎士さん。アンタさ、バレット知らない」
「……バレット? 誰だって知ってるだろ。この街を守っていた、二大ヒーローの一人だ」
「あー、そういうんじゃなくてよ。……どこにいるか知らねえ? ちょっと捻り潰してえんだ」
こんな風に。
その一言が聞こえた時には、栗原の身体は宙を舞っていた。
「は――」
手にはしっかりと大剣が握られている。ということはつまり、あの男が片手のみで、大剣を介して栗原の身体ごと投げ飛ばしたということか。
そう理解して、しかし頭は拒絶する。
そんなことがただの人間にできるはずがない。オモチャの力で間違いないだろう。
……ならば、それはどんなオモチャだ?
至近距離まで近づいて、この目で見た。あの青年は、オモチャらしきものを持っていなかった。
気になったのは腕に巻かれていた包帯くらいか。しかしあれがオモチャだとも思えない。
「おいおい、しっかりしろよ新ヒーロー。この程度でくたばってもらっちゃ困るわ」
まだ宙にいる栗原に接近する男。本格的に化物か、コイツ!
咄嗟に吹雪の防壁を張り、その接近を防ぐ。上手くいったようで、栗原は無事着地した。
「なあ姫さん、今さらだけど、コイツただのオモチャ使いじゃないよな?」
『相当戦い慣れてるっていうか……命のやり取りを知ってるって感じがするわね。マトモにやったら貴方、勝ち目ないんじゃない?』
こんな時にまでドライなお姫様に、ある意味叱咤される。
「なら、アイツに勝ったら俺って超カッケーよな」
『……まあ、確かにね』
勝てるなら、という条件付きではあるが、それはとても魅力的だ。
バレットを探しているようだが、彼が来るまでもない。今この場で、自分が押さえ込んでやる。
……そういえば、最近バレットのウワサを聞かない。
今、バレットというヒーローは、どこで何をしているのだろうか。
◆
「――おー、やってるやってる」
物陰に隠れつつ、栗原と大和の戦闘を覗いている少年がいた。
「これがオモチャ使い同士の戦闘ってやつっすか。まー迫力満点でねえの」
だが、しかし、
「……なんかモノ足りなくない?」
二人とも全力を出し切っていないというか……いや、氷の騎士の方は割といっぱいいっぱいか。いや、だとしても、あの力にはまだ先がある。
無自覚にか意識的にか、あの二人は全力を惜しんでいる。
「もやっとするわぁ。……ここは、俺が嫌われ役を演じてやるべき?」
ニヤリと笑みを浮かべる少年は、その両手に指貫グローブを嵌めた。
途端にのしかかるのは重圧。この力の本来の持ち主が知らず知らずのうちに抱えていた、圧倒的な責任。
それすらも面白い、と少年は舌なめずりし、
『―――― ――――』
グローブが形状を変化させ、黒い瘴気が溢れ出す。
瘴気が少年を飲み込まんとし、
「うるせえ、ただ俺に扱われろ」
それを、少年が拒絶した。
瘴気は段々と形をなし、グローブに追随する。
それは巨大な鉤爪。全てを切り裂かんと存在する、悪意の爪。
「そんじゃあ、この世の全ての悪を担いましょう」
物陰から飛び出し、二人が繰り広げる戦闘に突っ込んで行った。




