第○三一話 『言の葉』
第五章エピローグ&第六章プロローグ
ベルトを手にし、数日が経った。
未だ変身する勇気は湧かず、しかし確実にその力が手の中にある事実。それだけでも、優越感に浸るには十分であった。
そこで満足していたのは――否、満足したフリをして、変身することを避けていたのはなぜだろう。得体の知れない力に怯えたのか。それとも、
――いい加減、お喋りが過ぎるよ。
ぞくり。思い出した言葉。興奮気味に声を上げる栗原に対し、恐ろしく冷えた声でそう言ったヒーロー。正直、恐かった。
イーターとして街を守る少女、宮城聖。その根底にあるのはなんなのだろうか。
ヒーローに憧れた少女? いいや、きっとそれだけではない。
自分なんかが及びもつかないような何かを抱えていて、そんな少女が抱える力と同等のものが手の中にある。それこそが恐ろしいのだろうか。
そんな負の感情が隙を生んだのだろう。そんな恐れと、自身が元々持ち合わせていた偽りの冷たさに、イヴが同調した。
◆
「貴方に見せてあげる。そう約束した次の日、あたしは廃工場にいた。そこでね、変身した姿を見えてあげようって思ったの。あたしの初めての変身は、貴方に見て欲しかったから。……なんでそう思ったのかはわからないけれど」
「はぁ……でも恐かったんだろ?」
「そりゃあ――い、いや、恐くなんてないわよ。……ビビッてないからね!?」
イヴとなった少女、大崎みぞれの話の腰を折り、失敗したと栗原は耳を塞ぐ。
「わかった、わかったって。姫さんが恐がってなかったのも、ビビッてなかったのも。変身しなかったのは気味が悪いと思ったからだってわかったから」
「そういうのとも違うわよ!」
さらに話の腰を折ってしまった。
「はぁ。……で、そう。変身したのよ。でも、できなかった。代わりに出てきたイヴに、引っ張られて、この身体ごとベルトの中に……そのまま何日か眠ってたみたいね。貴方の話を聞くなら、一週間」
今度こそ話を聞き終え、ようやく理解が追いつく。
本当に、困ったことになったものだ。行方不明だった大崎みぞれは見つかった。しかし、周囲の人間には報告できない形でだ。例えば川崎さん。従姉妹がオモチャに宿る仮想精霊になってしまいました、などと説明できるはずがない。
いっそのこと誰も頼らずにいれば、大崎が家出した、で済むのかもしれないのだが。
「……あ、いや、それでいいか。姫さんが家出したことにして、俺が探してるフリすれば……いずれ川崎さんの方から『もういいです』なんて言ってくれて、探さなくてよくなるかも?」
「……貴方、ヒョウに会ったの?」
「会った」
正直に告げると、大崎は宙に浮かんだまま器用に膝をつき「なんてこと……」と呟いていた。あまり知られたくない関係なのだろうか。
……あの性格というか、ド下ネタを初対面の男子高校生の前で口走るあの人ならば、それも納得かもしれない。
「まあ、川崎さんへの説明はそれでいいか……下手に手間をかけるよりもストレートに、捻らない方向で。具体的には『家出を決意した姫さんは、しばらくネカフェで過ごしていた。しかし俺が探していると知り、一度だけ顔を見せ、家出することにした、とだけ告げ再度姿を消す。街を出たらしい姫さんを探そうとするが、高校生には無理があり、捜索を断念』……こんなもんか。あとは川崎さんが捜索願とか七面倒なことしなきゃラッキーなんだけど」
「それは大丈夫。あたしが家出する、って言ったなら、むしろ応援する、って人だから。ホント、やりづらいったらないのよ、あの人」
「ならオッケー」
当面の方向性は決まった。簡単にではあるが疑問の解消も済んだ。後は、
「……宮城が目を覚ませば、万事解決、だな」
◆
数日後、宮城聖は目を覚ます。
病院に駆けつけた母親は泣いて安堵し、栗原もほっと胸を撫で下ろした。
外傷も無く、そもそもなぜ意識を失っていたのかがわからない。念のためと精密検査を受け、問題無しと診断され退院。
これで、一件落着――。
「この街のヒーロー? なにそれ」
その一言を、聖の口から聞くまでは。
「は? いや、え?」
驚きを禁じえなかった。しかしそれも一瞬のことで、
「……まったく、わかりにくい冗談は寄してくれよ。それともアレか、他人に聞かれるとマズいからか? ここなら大丈夫だって、よく俺と姫さんが内緒の話をするのに使ってた場所なんだ」
栗原は、退院し、再び学校に通えるようになった聖を連れ、外階段の踊り場に来ていた。校舎の裏側に位置しているため生徒に目撃されにくく、基本的に鍵がかかっているため使えない。栗原はそれを、水鉄砲のオモチャで鍵を壊し、無理やり開けて以来、密会に使用している。
今回は、聖に忠告を、と思ってのことだったのだが、唐突な冗談で出鼻を挫かれてしまった。
「もう一度言うよ? 真面目な話なんだ。……宮城、キミは狙われてるってことを意識した方がいい。イーターは有名になり過ぎたんだ。常に気を張ってろってわけじゃないけど、ベルトは手放すな」
「だ、だから、何の話なの? イーターとかベルトとか……狙われてるって言葉も穏やかじゃないし、なに、私のストーカーでもいるの? 恐いなぁ」
「――――」
いいや、まだだ。
「この間襲ってきた二人組! スーツ姿の眼鏡の女と、ナイフとフォーク持ったオモチャ持ちの女の子! アイツらが言ってたんだ、イーターの力を手に入れるって。あの時何の脈絡もなく襲ってきたのは、どういうわけかキミが常では考えられないほどに油断していたからだって!」
「この間……いつのことだっけ。というか、女の人? 女の子? 私のストーカーって女の人なの? そこはかとなくアブノーマ――」
「宮城ッ!!」
「っ、……なに、なんなの」
思わず声を荒げてしまった。聖が栗原を見る目、それは猜疑に彩られていく。
「ねえ、そもそも私と栗原くんってそんなに仲良くなかったと思うんだ。精々が名前を知ってる程度で……呼び出された時は、告白かな、なんて思っちゃったんですけど」
嫌だ。
「まあそんなわけないかぁ、とも思ってたよ。だって私だもん。有り得ないって思ってたけど……ここまでは、想像できなかった」
認めたくない。
「はっきり言うよ?」
思い出すのは、五月のあの日。聖と栗原が全力を賭してぶつかったあの日。そういえば、あの日も似たようなことを言われた。
『ストーカーに会った気分』
『んな……いきなりキッツい言葉投げかけてくれるなぁ』
あの日の宮城聖は、あの日のイーターは、
「栗原くん、すっごく気持ち悪い。むしろ栗原くんがストーカーみたい」
――ここにいない。
◆
放課後になり、仲の良いクラスメイトと言葉を交わし、共に帰路に着く。
「んでさ、気になったのよ。聖、アンタ栗原に呼ばれてたけどなんかあった? もしかして告白とか? 付き合っちゃったり!?」
「ないない。……有り得ないでしょ」
「だっよなー。アンタみたいにズボラな子を、栗原みたいな顔だけは良い優男が好きになるはずないってね。いやー、一瞬ビビッたわ。先越された!? って。ま、戻ってきた時の顔見て思い過ごしだってわかったけど」
違う。有り得ないのは栗原の方だ。栗原が聖を好きになることが有り得ないのではなく、聖が栗原を好きになることが、だ。万が一告白されていたとして、あんな男をどうして好きになれようか。
「今日はどこ行く? 遊んでく? どっか食べに行く? それとも真っ直ぐ帰る?」
「んー、疲れた。今日は帰る」
「あいよ」
なぜだろうか。ただ一人の友人であるはずなのに、こうしてゆっくりと一緒に帰るのが久々に感じてしまう。入院してたから? いいや、それ以前から、もっと。
「気のせいだよね」
クラスメイトと別れ、家まで歩く。ぴょんぴょんと跳ねる前髪を押さえつけ、そういえば今日は……今日も寝癖直すの忘れてたなぁ、と思いながら。
家に着くと、わざわざ玄関まで母が来てくれていた。おかえり、ただいま。これまた随分懐かしいやり取りに、微妙な違和感を抱く。
「お母さんが珍しいことしてるからかな」
退院したばかりだ。心配になるのも致し方ない。しかし、違和感の正体はソレではない気もする。
深まるばかりの謎は、自分の部屋にて追い討ちをかけられる。
「――なんだろう、これ」
部屋にあったのは、扉を模した何か。机の上に置かれていて、一瞬小物類かと。しかし聖は、このようなものを買ったことはないし、そもそも机の上には何も置かない主義だ。
「なぜならすぐ散らかしてしまうからー、っと」
手に取り、やけに凝った意匠だな、と思う。やはり、いつから持っていたのかの記憶が定かではない。試しに扉を開こうとしてみるも、まるで鍵がかかっているかのように開かない。コンコンとノックしてみても同じことだった。
「……なんか、気持ち悪い」
違和感が続き、妙なモヤモヤが聖の胸中を支配する。気にしなければいい話なのだが、栗原が言っていたことも気になる。
――宮城、キミは狙われてるってことを意識した方がいい。
聖が狙われる要因なんて、数えるほどもない。精々小さいから誘拐しやすそうとか、そんなところだろうか。
って、これじゃあストーカーじゃなくて誘拐犯か。いや、どっちでも危ねえ。
栗原の言う事をいちいち真に受けるつもりはないが、この違和感を払拭できるまでは頭の片隅にでも留めておこう。
夕食を終え、再び部屋に戻る。そうすると、改めて気付くことがあった。
「この部屋、何にもないなぁ……」
女子高生の部屋にしては色気がない。どこまでも無機質に、まるで何にも興味はないと必死にアピールしているかのような部屋だ。
なぜこのような様相にしたのか。やはり思い出せない。
「別に困らないけど……機能性で考えれば、ごちゃごちゃと物を置いてないほうがいいし」
ぴょーんとベッドにダイブ。セーラー服がしわになってしまうだろうか。いいや、構うまい。どうせ聖はいつも、上にパーカーを着ている。誰からも見えやしないだろう。
「とはいえ、さすがに暑くなってきた。半袖にシフトチェンジしなければ」
あと、髪も重い。寝癖も酷いし、夏休みに入ったら散髪にでも行こうか。
「ああ、駄目だ、眠い。……お風呂、明日で……いい、や――」
唐突な眠気に襲われ――まるで、これまで蓄積された疲れが表に出てしまったかのように――聖は、眠る。
◆
――夏休みだって、何しよう 。毎年の如く、意味も無くダラダラするのも良し。例年とは趣向を変えて、旅行に行くも良し。そうだなぁ、北海道に行って、旅館でゴロゴロしたいかも。
――やめて! やめろぉ! 私の前で青春とかいうクソ甘ったるい二文字の単語を口にするなぁ! 私はね、その青春とやらを に捧げてるの! 甘酸っぱさとかそういうのは一切ナッシン反吐が出る! 心、 魂、 の ! これが私の掲げる青春三大理論、だからそんなんじゃないの!
――少し、付き合ってくれない? 私が を喰らい尽くす――ううん、 に まで。
――私から、この を奪わないで――!
――私、 になりたい。
◆
一日一日があっという間に過ぎていく。
クラスメイトと遊び、暇を満喫し、授業中に寝て、出される課題の山に絶望しながら、あっという間に過ぎていく。
家に帰れば母が迎え入れてくれ、部屋に戻れば簡素な空間が待っている。相変わらず机の上には扉のような何かが乗っているけれど、極力それには意識を向けないようにした。
たまに、廊下で栗原とすれ違う。その度に彼は苦しそうな顔をして、早足で聖の横を通り過ぎていく。もしかして、聖は栗原をフった形になってしまったのだろうか。まあ、どうでもいいけれど。
クラスでは、二年生のナントカっていう人が家出して行方不明になっている、なんて噂が流れている。こんな身近に家出少女がいたなんて少し驚きはしたが、聖には関係ない。
そんなこんなで、夏休みが訪れた。
――さて、何をして遊ぼうか。




