第○二八話 『捕食者の牙』
やっと思い出した。ここがどこなのか、あたしが誰なのか。
――彼と出会ったから、かな?
当たり前だろう。いいや、それを認めてしまうのも癪なのだが、見知った人間と出会い、朦朧としていた意識が覚醒したのは事実だ。それが彼だったからなのか、そうでなくても意識は目覚めたのか、ハッキリしないけれど。
なんにせよ、思い出したならいつまでもこんなところにいるわけにはいかない。早く、ここから出して。
――そういうわけにはいかないし、そもそもそれはできないよ。だって、あたしはアタシと完全に同化しちゃったから。今のあたしはイヴなの。言っている意味、わかる?
あたしがイヴ、とはどういうことなのか。いいや、もう気付いている。全てを思い出したのだから。
だが、それを認めたくなくて、元に戻る手段があると信じて――。
ああ、もしかしたら。
彼ならば、どうにかしてくれるかもしれないと。たった一つの希望に縋るのだった。
◆
「――ッ!?」
目が覚め、すぐに今見た夢の内容を忘れた。何か、とても重大な内容だった気がするのだが……いや、所詮は夢。大した意味など持つまい。
目覚めた栗原は、顔を洗いながら、昨日のことを思い出す。
廃工場で拾ったベルト。冷静に考えれば、イヴが他人に見えるはずがない。そのイヴが栗原に見えた、ということは、
「このベルトは、持ち主のいない野良のオモチャ……?」
というか、あの時点で栗原を所有者としていた? いよいよ持って、ベルトの謎が深まっている。
「姫さんの姿をしたイヴもそうだけど、似たようなオモチャって存在するのな」
勝手に同じオモチャは存在しないと思っていたが、そうでもないらしい。
念のため、聖に報告しておこう。
「……あ、俺、宮城の連絡先も知らなかった」
仕方ない。明日、学校に行った時にでも。
日曜日である今日は、ひとまずゆっくりしよう。そう思っていたのだが、
「……ん?」
ぴんぽーんと鳴らされたインターホン。まだ朝早いと呼べる時間帯で、こんな時間に尋ねてくるなんて誰だろうと思いながら扉を開ける。
「はい、どちらさま――」
「どうも、ベルトの調子はいかがかな?」
扉を閉めた。
あ? なんだ今の。一瞬しか姿を見なかったが、スーツ姿の男に見えた。気味の悪い笑みを浮かべ、気味の悪い声で、……気になることを言いやがった。
ベルトの調子。思い当たるのはただ一つ。昨日拾ったベルトだ。その行方を知っている。どう考えたって普通ではない。怪しすぎる。
なんなのだ一体。大崎がいなくなり、奇妙なイヴが現れ、家には不気味な男が来訪した。これら全てにベルトが関係しているのだとしたら、なんと始末の悪いことか。
持っていてはロクなことになりそうもない。今の男がベルトの持ち主だというのなら、さっさと返してしまおう。
ベルトを持ち、再度玄関の扉を開ける。
「……あれ」
だが、そこには誰もいなかった。
「なんなんだよ……ああ、くそ」
今日はゆっくりしている気分だったが気が変わった。ジッとしていることなどできそうもない。なんでもいいから体を動かそうと、栗原は出かける準備を始めた。
「おお、偶然だね栗原」
「……たまには、休日にも出かけてみるもんだな」
特に当ても無くフラフラしていた栗原であったが、偶然にも聖に会うことができた。運がいいと言えばそうなのだが、こんな偶然ですら怪しく思えてしまう。誰かに仕組まれたのではないかと。
それもこれも、先の男のせいだ。
「どったの、暗いけど。大崎さんが見つからなくて参ってる?」
「ああ、まあそれもあるけど……ちょっといろいろあってな」
ともかく、ここ最近で起きたことを話しておこう。少しでも誰かと共有しておきたい。
どこか喫茶店でもないだろうか。
「んー、それならこっちにいい場所が――」
「――ねえ、あれ食べて良い?」
ゾッとする声が聞こえ、二人はその口を噤んだ。振り返った先にいたのは、どこかで見たことのある二人組で。片方はスーツ姿の女性、もう片方は、右手にナイフ、左手にフォークを持った女の子だ。
どこで見たのだったか。思い出せそうで思い出せず、モヤモヤが栗原の記憶を埋め尽くす。
「こら、美詩女。まずは挨拶からでしょう? 食べるのはそれからですよ」
「あーい……」
異様な空気を放っているのに、本人たちはいたって平穏だ。そのアンバランスさが不気味で、不気味で不気味で仕方ない。
この不気味さを、栗原はつい先ほども味わった。
「さっきのスーツの男の……」
「ん? ああ、多賀城さんですかね。あなたの家を訪れたスーツの人でしょう? どうも、初めまして。私、富谷と申します。それでこっちが、」
「……んー? あ、ミジメだよ。ねえ、食べてもいい?」
もう少し待ちなさい、と少女を嗜める女性は、その視線を聖に向けた。
「貴女には、こう言えば伝わりますかね。――《大人達》の一人です」
《大人達》という言葉を聞いた聖が、その目を見開いた。
「アンタら、色麻童の言ってた……!」
「色麻さん……彼女は喋りすぎましたね。いいえ、責めるつもりはありませんけど。さあ、お喋りはここまで。娘もガマンできなくなってきたようですし……手合わせ、お願いしますね?」
「いただきます――!」
瞬間、ナイフとフォークを持った少女が聖に肉薄した。
「こんな街中で……! 変身ッ!」
『Entertainment 〝Eater〟』
文字列が宙を舞い、美詩女の動きを止める。さらに文字列は聖の身を包み、その姿を変えていった。
これが、この街を守る二大ヒーローが片割れ――イーター。
栗原が一度戦い、敗れた相手である。
「下がってて栗原。今のアンタ、戦えないでしょ」
「で、でも」
「邪魔!」
そう言われてしまってはどうしようもない。栗原は、後ろ髪を引かれる思いで戦線から引き下がる。
わかっている。イーターはこの街を守ってきたヒーローで、オモチャを持った栗原よりも強いということは。しかし、栗原はイーターの女子高生の側面を知りすぎた。女子に守ってもらうこの構図が、少しだけ胸に刺さる。
が、それはそれ、これはこれ。ヒーローの戦いを目の前で見れることを、純粋に嬉しく思う。
「……やっぱヒーローは、なるよりも見る方がいいな」
物陰から、そんな呟きをもらした。
◆
肉薄してくる美詩女を、聖は危うげなくかわしていく。すぐには攻撃に転じず、手の内を読むことに集中する。
「この子も《大人達》の一員だとしたら、油断しちゃ駄目だ。色麻の時を思い出せ、私」
幼い外見に惑わされるな。おそらくだが、この少女も相当な実力の持ち主だ。
襲ってくる理由はわからないが、色麻は言っていた。《大人達》には気をつけろ、と。どうやら一枚岩ではないらしい。とにかく、慎重に行こう。
「あはっ♪」
振るわれるナイフは少女の身の丈ほどあろうか。戦闘が始まる前はただの食器にしか見えなかったため、オモチャの力だと考える。
「ねえ、あなたを食べさせて!」
「何言ってんのこの子……! 私は食べても美味しくないっつーの!」
横に薙ぐナイフを、身をかがめることでかわし、その際に美詩女の足を蹴る。体重がかかっていた右足を突かれた美詩女は、「お?」と可愛らしい声を上げながら倒れ――ない。
「よ、ほっ」
「なんて運動神経……!」
「私ね? あなたを食べて、本物になるの! 今はまだ偽物だけど……」
何を言っているのだろうか。理解はできないけれど、本能が恐ろしいと告げている。このままでは、幼い少女に呑まれてしまう。
「くぉんの……イヴ、トランス! モデル〝Heater〟!」
「熱ちっ!?」
今まさに聖に切りかからんとしていた美詩女を跳ね除けるように、全身が炎に包まれる。
『Entertainment 〝Heater〟』
――炎の戦士が顕現する。
「どう、これでもまだ私を食べる気?」
「うーん、どうだろ」
……は?
「ねえ、あれ食べていい、ママ?」
「ええ、構いません。姿や能力が変われど、あれもれっきとした『イーター』ですので」
「うん、じゃあ、いただきます!」
マジですか。
理由はわからないが、美詩女は聖を食べようとしているらしい。やはり休日に外に出るのではなかった。ロクなことに巻き込まれない。
しかし、聖は大崎を探すために協力すると決めたのだ。であれば、休日こそその足を動かすチャンス。そうしたら栗原と遭遇し、こんなのに襲われた。
「ちょーっと痛い目見てもらおうね……っと!」
聖の右手拳を炎が包む。
そんなに食べたいのなら、自分の肉を食べればいい。
「さ、レアかな? ミディアムかな? 焼き加減はどんなのが良い!?」
『ガブッ!』
――捕食対象《距離》。再起動、準備。
聖の体が、少女の背後にまで移動する。その位置までに存在した距離を喰らったのだ。
「すごい! イーターってそんなこともできるん――」
ゴォォオオオオウッ!!!!
「小さいからって、容赦はしないよ。だって、アンタらは《大人達》なんでしょ?」
振り返り、燃ゆる右手で少女に殴りかかった。
「――うん。でも私はまだ、子どもだよ?」
『Entertainment 〝Eater〟』
巨大な牙が――口が、聖の目の前に現れた。
「いぃ……ッ!?」
「ホントのホントに、いただきまァす♡」
いつの間にか右手の炎は消え、目の前では巨大な口が聖を喰らおうと迫っている。これこそが、本当の『喰らう者』だと言わんばかりに――
――聖を、喰らった。
◆
「……あ?」
何が起こっているのだろうか。突然聖が動きを止めた。まるで目の前に、何か恐ろしいものでもあるかのごとく目を見開き、そのまま動かない。
対しナイフとフォークを持った少女は、何かを咀嚼するかのように口を動かしていた。何が起こっているのだ。
「おい、宮城! どうしたんだよ、おい!」
思わず物陰から叫んでしまう。隠れていろと言われたが、このままではマズイと思ったのだ。そして、栗原の居場所がスーツ姿の女性と美詩女に気付かれてしまう。
「あら……逃げたと思っていたんですけど。意外に度胸がありますね。顔も良いですし……どうです、私とお付き合いなど」
女性の方が右手を差し出し、そんなことを言ってくる。一体何の話だ。
「……むぅ。無視は少しばかり傷つきますね」
「ねえママ、アレも食べていい?」
少女の視線が、栗原に向いた。
「ええ? 今イーターを食べたばかりでお腹いっぱいでしょう?」
「全然!」
今なんと言ったのか。イーターを食べた? いいや、しかし、聖はその動きを止めてるとはいえ、そこに存在している。
「なあ、アンタらは何言ってんだ……? そもそもアンタは何なんだよ……?」
得体の知れないものに踏み込もうとしている。そんな感覚が栗原を支配する。
五月。栗原は聖と戦い、もう二度とこんなことに足を突っ込むことはないだろうと思った。夢を見るのは終わり、大人にならなければと。
しかし、栗原はまだ夢を見ているのだろうか。それも、相当に性質の悪い夢を。
「ああ、初対面でしたか? どこかで会っているような気もしたのですが……そうですね。《大人達》とは、端的に言えば――」
美詩女が、動き出した。
「――子どもであれなくなった、哀れな大人たちの集団です」
そういうことを聞いているのではない。栗原は、眼前に恐怖が迫る中でそう呟いた。
◆
「あたしと代わりなさい、早く!!」
はっきりと覚醒した意識で告げる。そこを早く退け。あたしと代われ。このまま見ているつもりならば、殺してでも主導権を奪ってやる。
――いきなり過激だね。違うでしょう? あたしはもっと、冷たくなくちゃ。
冷たいだとか過激だとか、そんなのはどうでもいい。なぜかは知らないが、今ここで、彼が危機に晒されるのを黙って見過ごせない。できることがあるならば、したいと思う。
そのために、
「退けって言ってんのよ……!」
――やれやれ。彼と再会したからかな? 急に熱くなっちゃって。でもその本質は変わらないね。やっぱりあたしの根本は、冷たいままなんだ。
会話が成立しないことに苛立ちが募る。なぜだ。なぜわかってくれない、代わってくれない。あたしがアタシに惹かれこうなっているのならば、少しくらいは共感してくれてもいいのではないか。
――別に拒んでいるわけじゃないの。この力を試してって言ったのもアタシだし、使うのならそれで構わない。けれど、それは彼の問題でしょう? 無意識の内に、戦うことを拒否している彼の。大人にならなきゃって、今しかできないことを、今しなければならないことを見失っている彼の。
ああ、ああ。それもそうだ。確かにそうだ。
だが、
「関係ない――ッ!!」
見失っているのならば教えてやればいい。戦うことを拒否しているのならば、戦うための理由を与えてやればいい。
何も見放す必要はないではないか。彼は――まだ、子どもなのだから。
「大人になりきれていない今しか! 教えてあげられないの!」
――……。
いつしか、アタシの声は聞こえなくなっていた。そして、しっかりと自分の体が存在することを知る。
主導権が、明け渡された?
なんにせよ、これで――、
「――頭の悪い大バカを、引っ叩きに行ける!」




