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女子高生のオモチャ  作者: 三ノ月
第四章 アナタの手を
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第○一九話 『逃走劇の開幕』


「はぁ、はぁ、はぁ――ッ!」

 何者にも追いつかれぬように、見られぬように、ただただ走り続ける。前を見ることもせず、下ばかり見て走る。何度もぶつかった。壁にぶつかった。人にぶつかった。その度に耳元で囁かれる。

 ――お前を見ているぞ。

「う、ぁ、ああああ……!」

「ヨル様! ヨル様ッ! もう何もありませんし、聞こえませんよ!?」

「うるさいッ!」

 擦り寄ってくるイヴの声ですら、悪魔の囁きに聞こえてしまう。

「――おい、おい!」

「もっと、遠くへ……隠れられる場所へ……」

「おいってば!」

 ああ、ああ、聞こえてしまう。あの悪魔の囁きが。どれだけ時間が経とうとも、未来永劫自分を縛るのであろう呪いの言葉が「大丈夫か、お前!」――違う?

 暗い底から意識を引っ張り上げられ、声をかけてきた少年を見やる。

 歳は伊達と同じくらいだろうか。短い髪を汗に濡らし、その眉間には皺が寄っている。息は上がっており、彼が走っていたのだと察することができた。

「顔色、かなり悪いけど……熱中症か何かか? 立てるか?」

「あ、いや……」

「待ってろ、すぐに病院に――うぉお、お、お」

 伊達を担ごうとするも、少年自身疲れているのだろう。上手く行かず、さりとて伊達は足腰に力が入らない。

「大丈夫、ですから……構うな……」

「大丈夫に見えねえよ。こんくらい、平気平気!」

 無理をしている。こんなのは望んでいない。伊達のために、誰かが汗水を流すことなどないのだ。そんな価値、伊達にはないのだから。

 むしろその役目は、伊達が担うべきなのに。

「アンタこそ、かなり顔色……悪そうですけど」

「ああ? いいやぁ、俺は大丈夫。全然問題ないって! ふん、ぬぁあああ!」

 しかし、伊達の体は持ち上がらない。

「くぁー! こういう時牛乳があれば……外に持ち出すと腐らないか心配なんだよな、暑くなってきたし……」

「…………」

 あ、駄目だ。意識が朦朧としてきた。視界がブレ、自分と青年の足元がぼやけて見える。ぐわんぐわんと世界が回る感覚がし、現実と意識が遠ざかっていくような、幻にでも包まれたかのような感覚を得て、声が遠く、色が、光が、消え、て、いく――


 ◆


「白石小太郎……彼は、《正義の体現者》の創立メンバーです。元々は小学生のごっこ遊びでした。正義のヒーローに憧れて、学校のいじめっ子たち相手に歯向かって、返り討ちに逢って、でも満足気に笑って、そんな日々を過ごしていました」

 唐突に語られたのは昔話。その話が聖にもたらすものは、おそらくゼロに近い。

 そもそも、この少年からして気に食わないのだ。できれば家に帰り、ぐーたらごろ介に戻りたいと思っている。

 だが、少年が語る男――白石小太郎のことは気にかかる。

「ある日のことです。そんな私たちに、転機が訪れることになる」


 ◆


「クソッ! 今日も負けた負けた!」

「ははは、中々思うようには行かないね……」

 地面に倒れ伏し、それでも笑顔を絶やさぬ二人。それこそが、最初の我らの形。

「なあ、圭介ケイスケ。俺たちさ、このままでいいと思うか?」

「え? どういうことさ……あ、勝たなきゃってこと? そうだねえ、そろそろ、奴らに一泡吹かせてやりたいかも。でもさ、小太郎。そんなことできる?」

「その気になりゃあできるぜ。でも、俺たち二人だけだとちとキツい。そこで、だ」

 立ち上がった彼は言いました。

「もっと仲間を集めよう。ああいう奴らに嫌気が差してるのは俺たちだけじゃないはずだ!」

 その提案はとても魅力的で、どこまでも正しくて、しかし、私はこうも思ったのです。

 ――二人だけの時間が、終わってしまう。

 それは私のわがまま。正義を目指す上で、許されざる裏切りの言葉。

「そうだね、うん、やろう!」

 だから私は、嘘をついた。本当は、今まで通りが良かったのに。

 そうして、《正義の体現者》の母体が出来上がる――はずだった。

 しかし、

「……もういいよ、そういうの」「というかやめてくんない?」「俺たちまで目をつけられる」

「え……?」

 彼は呆然としていました。当たり前ですよね、これまでの行いを、正義の真似事を、真っ向から否定されたんですから。


 ◆


「……なんで助けた」

「別に? 倒れてる人がいたら、助けるのは普通じゃね?」

 あっけらかんと言われてしまい、返す言葉がなくなってしまう。

 ここはどこだろうか。畳の上……和室か。

「運んできたのか……すげ」

「だろ? 大変だったんだぜ」

 大変だったのなら、放っておいてくれれば良かったのに。しかし、助けられたのは確かなのだ。感謝はせねばなるま――、

 待て。

 伊達はどうして倒れるまでに至ったのか。そうだ、あの言葉。あの言葉に踊らされ、伊達は冷静さを欠き、過呼吸でも起こしたのか。いや、問題はそこではない。

 あの場にタイミング良く現れたこの少年を、怪しまない道理はない。

 この少年が、伊達にあの言葉を投げかけていた人物だとしたら、この状況はピンチなのではないか。

「疑ってるな、俺のこと」

「……っ!?」

 お茶を持ってきた少年が、まるで伊達の心を読んだかのように呟く。

「疑われるのは仕方ない……っていうか、犯人みたいなもんだし、構わないぜ」

「んな、それ、どういう……」

「まあ、起きたんならとりあえずこれ飲んどけ」

 差し出されたお茶を受け取りこそすれ、口はつけず。相手の真意がわからないのだ。もしかしたらこの中には毒が――なんて。

「そう思ってんだろうなぁ……いいぜ、別に飲まなくても。お前が俺を怪しいと思ってる。それはこっちもわかってるから」

 寝起きだからだろうか。少年の言っていることが理解できない。整理すれば簡単な話なのだろうが、整理するための頭が働かない。

「道端で見かけた時は気付かなかったけどさ、アンタ、バレットだろ」

「…………」

 ここでそうだ、と答えた場合どうなる。常に先のことを考え、想定し、対策をいくつも考えておく伊達らしくもない。

 ああ、そうだ。ここ最近というもの、伊達は頭の回転が著しく遅い。元々下町へ来たのも、そういった頭のモヤモヤが原因だった。……来ようと思った理由は、もう一つあったのだったか。

「返事は無し、か。まあいいさ、こっちはアンタがバレットだと思って話を進める。……なんであそこで倒れてたのか、当ててやろうか」

「っ、お前、何か知ってるのか」

 思わず目を細め、警戒を強める。

 そういえば先ほど言っていたか。犯人と思ってくれて構わない、と。それは少なからず、伊達の事情を知っているということであり、

「五年前の事件、その再来」

 その言葉で、それは確信に変わった。

「テメェ!」

「落ち着けよ。俺は犯人だけど……敵じゃない」

 少年は指をピッと立て、

「自己紹介をしよう。俺の名前は白石小太郎。牛乳大好き、正義のヒーローに憧れる男だ」

「……僕の周りは、こんなのばっかか」

 また一人、ヒーローという言葉に魅せられた者と出会った。


 ◆


「貴女はどうです、宮城さん。ヒーローであることを拒絶される。そんな経験をしたことがありますか?」

「ない、けど……」

 昔話はそこで終わってしまった。何のために語ったのかわからないほどに短く、この場の空気にも流れにもそぐわない内容であった。語ったことで何か状況が変わるのだろうか。あまりにも関係のない話だった気がしてならない。

 しかし、なんとなくではあるが、白石小太郎という人物像が見えてきた。

「あー……なに、小学生時代のアレコレを今でも引きずって、えっと……《正義の体現者》内でイザコザが起きた。そういう解釈でいいんですかね?」

「大まかには、おそらくそうです。彼は今でも許せないのでしょう。悪に屈した者たちを。その者たちに同意を示した私を。なぜ今になって裏切るのかはわかりませんが、彼は彼なりの正義を掲げている。これは間違いありません」

 それならそれでいいのではないか。誰がどんな正義を掲げようと、道が逸れれば相容れない。本来正義とはただ一つのものではなく、複数存在するのだ。その白石という人物は単に、彼ら《正義の体現者》とは別の道を進み始めただけのこと。

「それをなぜ、悪と決め付けるんですか?」

「彼は裏切ったのです。その意味、お分かりになりますか?」

「全然」

 即答してやった。どうにもこの集団の空気は合わない。正義、正義と謳っているが、何かドロドロとしたものが詰まっているかのような……。

「我々は現在、とある計画を進めています。我らが正義として、この街を守れるようになるための、です。それを彼は妨げようとしている」

 あー、その、つまり。

 ……どういうことだろう?

「端的に言えば、正義の敵をしているのです、彼は」

 聖は一つ、ため息をつく。この少年、盲目的なところがあって苦手だ。人の話を聞かないタイプだろうか。

 この男と一緒にいると聖の思考まで鈍ってきてしまう。ああ、そうだ。この男は他者の意見を跳ね除け、考えることをやめている。まるでそれに引っ張られているかのような感覚だ。

「ああ、もういいや……えっと、なんて言ったっけ。懲悪? それはまず、その人をこの目で見てから、でいいですか。どうにもアンタたちの話だけじゃ要領を得ない」

「わかりました。それでは――我が同胞よ、裏切り者の居場所を探し出しなさい」

「はいっ!」

 人数にして十数人程度。それだけの少年少女が、一斉に集会場を飛び出していく。


 ――これが、下町で巻き起こる逃走劇(チェイス)の始まりであった。


 ◆


「……マズい。動けるか、バレット。ここを出るぞ」

「は? いったい何が――」

「事情は逃げながら説明する。立て!」

 未だフラつく足元。強引に手を引かれ、頭痛鳴り止まぬ中足音を響かせる。

 伊達が寝かされていた和室を出ると、まず目に入ったのは京都も顔負けの庭園である。砂利に小さな池、カコーンとししおどし。ここは武家屋敷か。

「っと、これ着とけ。お前の顔と特徴は全員が知っているわけじゃない。ちょっと違うもん着るだけで簡単に誤魔化せるはずだ」

「いや、だから、何が起こってるんだ」

「俺とお前を追ってくる奴らがいるんだ。名前は《正義の体現者》。五年前の事件を掘り返した犯人だよ」

 ――――ッ!!

 なら、つまり、今から追ってくるという相手は……、


 ――お前を見ているぞ。


 ぞわり。

 止まらない怖気。しかし、伊達はこの相手に立ち向かわなくてはいけない。これは絶対だ。逃げずに立ち向かって、そして殺して、過去を乗り越えて――。

「変なこと考えんなよ。今は逃げるんだ。……クソ、少し前のアイツらだったら俺一人で十分だったんだけどな」

「逃げるだと? ……ふざけるな。僕は逃げられないんだ。どうあったって決着を付けなきゃならない。僕の過去を少しでも知ってるなら……!」

 そうしてその場に残ろうとする伊達の手を、白石はがっちりと握り、

「少しでも知ってるからこそ、逃げるんだ。今の状態じゃあ意味がないんだよ」

「さっきから、何もかも見通してるかのようなことばかり言いやがって! なんなんだよお前は!? 今から追ってくるのが犯人だって言うなら、お前が犯人だって言葉はなんなんだよ!? いい加減、一つくらい答えやがれ!」

 つい感情的になり、それを止められない。

 白石の胸倉を掴み、互いの鼻がぶつかる位置にまで顔を近づける。目を覗き込み――その瞳に、昏い光が宿っているのを見た。

「……俺か? 俺はな、《正義の体現者》の一人だった男だよ。だから犯人みたいなもんだって言った」

 その瞳に吸い込まれそうだ。まるで、自分と近い何かがあるような、そんな感情を得る。

「とりあえず一つ。ほら、さっさと逃げんぞ」

 わけもわからぬまま手を引かれ、長い逃走劇が幕を開ける。


 ◆


 ああ、俺はもう駄目かもしれない。

 あれから何度も家に、勤務先に、ケータイに。同じ文面が何度も何度も送られてくる。確実に磨り減っていく精神は、ついには体にまで支障をきたし始めた。

 いや、そんなことはどうだっていい。どれだけ精神が磨り減ろうと、この身が朽ちようと、それが自分自身の問題で終わるのならば構わない。

 そう、問題があるのは周囲への影響だ。

 同僚は? 友人は? 何より、家族は?

 今はまだ何もされていない。ただひたすらに同じ文言が送られてくるだけだ。しかし、これから先何をされるかもわからない。心休まらない日々が、さらに俺を蝕んでいく。

 いつか手を出されるのではないか。もしかしたら今もどこかから狙われているのではないか。妄想と虚像と現実とが交じり合い、その境界線をなくしていく。

 この重圧を肩に背負うくらいならば、いっそ死んでしまいたい。

 駄目だ。それは許されない。問題を残し、家族を置き去りにしたまま死ぬことなど、あってはならない。

 だから、そう。犯人を、この手で捕まえる。そうすることでしか、安寧は訪れない。

 迷うことなど何も無い。元よりそれが仕事、使命の身。その過程でどれだけ命を削ろうとも、守れる何かがあるのならば惜しくは無い。

 ――ああ、でも、どれだけ悪人を捕まえても、平和な世界が訪れないのならば。



 いっそのこと、殺してしまえばいいのではないだろうか。






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