第○○二話 『オモチャの力』
「……えっと、」
歳は十三、四程度だろうか。赤みがかった茶色の長髪。寒くは無いのだろうか、薄手のワンピースに身を包んだ少女だった。
その少女は大きな本をパタリと閉じ、聖の方を向いた。
「――それが、貴女のオモチャですか」
え。
第一声がそれかよ、と突っ込みかけたが、それ以上の疑問が聖を踏み止まらせた。
この娘、今、オモチャと言った。
聖が腰に巻いているベルトは、しっかりとパーカーで隠れている。外からではわかりにくいだろうし、パッと見でそれが変身ベルトだと判断はできないだろう。
なのに、この少女は、
「……何者?」
身構え、問う。いざとなれば変身できるように、パーカーのファスナーに手をかけ、返答を待つ。
変身したとして何ができるかはわからない。それを試すためにここにやってきたのだから当然だ。まさか先客がいるとは思わなかったが。
「なぜそう殺気立つのです。イヴはイヴ、それ以外の何者でもありません。だから、そう、そのオモチャの力をイヴに向けないでください。貴女はイヴを穢すつもりですか? それならば喜んで」
「ちょ、待、そんなつもりは――喜んじゃうんだ!?」
「さあ、ばっちこーい」
右手に大きな本を持ち、両手を広げてカモンと言う少女。とぼけた態度を取ってはいるが、いかにも重量がありそうな本を悠々と片手で持ち上げている少女が只者であるはずがない。
聖は警戒を解かないまま、というより変質者を見たときのような態度で、
「イヴ? それが、名前?」
「はい、そうです。Entertainment Virtual Elemental――通称Eve。それがイヴの名前です」
――――。
はて、この少女が何を言ったのか、聖にはさっぱりであった。
わかったことといえば、この少女の名がイヴ、ということだけである。
「イヴさん、は、どうしてここに?」
「貴女が来ると思ったからです」
聖は頭を抱えた。
この少女、非常に話しづらい。聖は、どちらかといえば回りくどいことが苦手である。一方で、ここまで端的にされても理解が及ばない。中途半端が一番だと、そう考えるのが聖だ。
「ワン、モア、プリーズ」
「貴女が、来ると、思ったからです」
これ、聖の理解力の無さもそうだが、イヴの説明不足のせいでもあるのではなかろうか。
「ふうむ、そうですね。イヴは、貴女が持つオモチャ――そのベルトを介して存在しています。だから、貴女が行く先に現れることができるのです」
「ごめんなさい意味がわかりませんこれっぽっちもさっぱーり」
頭を下げつつ踵を返し、元来た道を引き返す。そんな聖をイヴが呼び止めた、
「ちょちょちょ、ストップストップ。まだ話は終わってないんです」
「私は話すことなんて最初からゼロなんで帰ります。さようなら!」
聖は脱兎の如く逃げ出した。
「……ああ、なにこれ」
「最後まで話を聞いてくださいよ、ヒジリさん」
結局、逃げることなどできなかった。
どういうわけか、イヴは聖の行く先々に現れる。まるで瞬間移動でもしているのかと疑うレベルだ。もしかしたら、実際にテレポートでもしているのかもしれない。
「無駄だと言っています。イヴは、貴女のオモチャを介して――」
そもそもだ。なぜイヴは、聖が変身ベルトを持っていることを知っている。思い返せば言動も不自然だ。
一度、詳しく話を聞いてみるべきか。
「ようやく話を聞く気になりましたか。ではさっそく……Eveとは略称であり、その正式名称は先ほどお伝えしたとおりです」
「ええー……思っただけで、まだ話を聞くなんて一言も……」
「日本語に訳せば……そうですね、『オモチャに宿る仮想精霊』、でしょうか。大分意訳になりますが」
話を聞けと申すくせに、聖の話は聞こうとしない。いい加減諦めよう。
「そんなイヴの役目は、貴女に『オモチャの使い方』をレクチャーすることです」
「……オモチャの、使い方?」
イヴは、右手に抱えた大きな本を広げた。本はイヴの手を離れ、宙に浮く。
物理法則を無視した現象に驚く暇もなく、イヴは語る。
「貴女が引き当てたオモチャ、仮に変身ベルトとします。変身ベルトが持つ力は強大で、おそらく、軍隊一個くらいならば軽く葬り去ることが可能でしょう」
「軍っ……!?」
頬が引きつる。
気がつけば聖は、滅多に来ない都市部へと来ていた。新都三丁目と書かれた看板が並び立つ大通りだ。当然、人通りも多い。そんなところだろうと、イヴは構わず続ける。
「それだけの力です。使い方を誤れば、身を滅ぼすことになります。せっかくのオモチャです、楽しく使うために、正しく使いましょう……ということを伝えたいんです」
「な、なんでオモチャにそんな物騒な……」
聖は問う。イヴは、先ほどまでの無表情とは一変、非常に獰猛な笑みを浮かべ、
「クリスマスプレゼントですから」
言い、そしてその姿は消えた。
一瞬の出来事に戸惑うも、周囲を歩く人々は聖には目もくれない。少女がいきなり消えたというのに、だ。
もしくは、
「最初から、他の人には見えていない……?」
ふと、右手をパーカーで隠しているベルトに触れさせる。
イヴの話が本当ならば、このベルトには軍一個に相当するだけの力があるという。そしてその力の引き出し方が、おそらく、変身することなのだろう。
そんな力が、何もせず手に入った。
……その事実自体は非常に恐いことだ。朝起きたらこれが枕元にあったのも、イヴの存在も、すべてが不可解で不自然で、不安でしかない。
しかし、厳然たる事実として、
「このベルトの力は、仮面ヒーローの力と同じ」
変身し、力を得て、そして戦う。
そこに、小さな憧れを見出し、聖は、
「……ハッ!」
パーカーのファスナーを開き、変身ベルトを露にする。そして、先ほどと同じポーズを取り、
「――変身!」
周囲の視線も構わず、変身した。
「あは、あはははは!」
新都のビル群、その屋上を跳び渡る。何の力も使わず、ただ己の脚力のみでコンクリートジャングルを駆け抜ける。
厳密に言えばベルトの力を借りているのだが、もはやこれは聖の力である。歴代の仮面ヒーローだってそうだ。悪の組織に改造人間にされたり、偶然手に入れたベルトだったり、境遇や状況こそ違えど、本人が努力することなく手に入れた力だとしても、以降それは本人の力として振るっている。
「最高、最高のクリスマスだ! こんなプレゼントがどこからともなく湧いてくるなんて!」
最初はそれこそが気味が悪いと思っていたが、そんな気持ちは遠く彼方へと消え去っていた。
今は、憧れの力を手に入れたことによる興奮が先立っている。
ふと、とあるビルの屋上に降り立つ。
「ふぃー、そろそろ飽きちゃった。さすがにただ全力疾走するだけだとなあ。もっとこう、戦いたいよね。都合よく悪の怪人とか出てこないかな」
言葉にしたところで、怪人は現れない。今日も町は平和一色、もっと言えば恋愛一色である。そういえば、今日はクリスマスであり、カップルたちが一年のうちでもっとも盛る日だったなと思い出す。
「……彼氏か」
思い出すのは、中学三年で破局した彼氏のこと。なんとなく付き合い始め、なんとなく楽しく過ごし、なんとなく、聖の好きなもの――仮面ヒーローのことを明かし、女の子らしくないと言われ、別れた。
それ以来、本当に誰にも趣味のことは話していない。これからも話すつもりはない。
そりゃあ、趣味を誰かと共有したいとは思う。しかし、聖は女だ。もう少し幼ければまだマシだったかもしれないが、高校生にもなって男児向け特撮番組が好きです、なんて言えやしない。
それは聖の偏見なのだが、なんとなくで付き合っていた彼氏の一言は、聖の奥深くまで突き刺さってしまっている。そう簡単にその偏見が消えることは無い。
「いやいや、せっかくのクリスマスだ。いない彼氏のことなんて忘れて、ぼっちはぼっちらしく、オモチャで遊んで退屈を紛らわそうではないか」
すっくと立ち上がり、
ぐぅぅぅぅ……。
「……その前に、お昼食べに家に戻ろう」
「アンタ、どこ行ってたの」
「んやー、少し、ボケーっと散歩?」
「はー。珍しい。どこ行ってもいいけど、事故だけは気をつけなよ。ただでさえドンくさいんだから」
「何も言えない……」
母に答えつつ、しかし今ならばそのドンくささも克服できるのでは、と思っている。
まだ試してはいないが、常時変身していればいいのだ。
二回変身して、黒を基調としたあの衣装は着脱可能だということがわかった。つまり、一度変身し、その後いつもの格好に着替えればいい。
まあ、そんなことをしたら変身する手間がなくなってしまうので、積極的にやろうとは思わないが。やはり仮面ヒーローの醍醐味は、その変身にあるのだから。
昼食を食べ、少し疲れたからと一眠りすればもう夕食の時間だ。さすがにお腹がいっぱいで食べられそうもない。
「うぇー……」
「昼食べてすぐ寝るからそうなるんだって。アンタ女の子なんだから、もう少ししゃんとしたらどうなの」
「別に、私太らないし……」
「駄目だこりゃ……」
居間のソファでゴロゴロしながら、何気なくニュースを見る。どうやら、聖の住む古都ではなく、東側の新都の様子を中継しているらしい。
新都はまさにクリスマス一色。あと数時間でそれも終わるというのに、未だ新都は賑わいを見せている。
そういえば、聖が彼氏と別れたのも、よくよく思い出せばクリスマスのことだったか。
彼氏に、クリスマスプレゼントに何が欲しいかを聞かれ、変身ベルト、と答えたのだったか。下手に高いプレゼントを貰うよりも、五〇〇〇円程度のベルトの方が、聖にとってはよっぽど価値があった。
しかしそれを、女の子らしくないと一蹴。聖もむきになって言い返し、そのままなんとなく破局。本当になんとなくの思い出でしかないから忘れてしまっていた。たった一年前のことなのに。
――ゴォォォォッ!!
ふと、中継画面に不自然な竜巻が現れた。
「――?」
それ自体はすぐに吹き止んだ。だが、それだけでは終わらない。
風が止んだ場所には、人間大の、プラモデルだろうか。大きすぎではあるが、間違いないだろう。それが立っていた。
ただ立つのではない。右手には長刀を、背中にはライフルを背負い、構えている。
このプラモデル、動いて――、
瞬間、そのプラモデルは飛び跳ね、とあるカップルを押しつぶした。
……中継はそこで切れた。画面には『申し訳ございません。少々おまちください』と表示されている。どうやらドッキリの類ではなさそうだ。
「……何、今の」
「聖ー? どうかしたのー?」
キッチンから母の声が聞こえる。それに答えることができない。
感覚で理解した。あのプラモデルは、聖が持つベルトと同じだ。それ一つで、軍一個に匹敵するオモチャ――。
それが、町で暴れ、人を傷つけていた。
「お母さん、ちょっと出かけてくる」
「え、また? っていうかこんな時間から? どこ行くの?」
母の問いには答えず、聖は一度部屋に戻った。
「……このベルトには、確かに力がある」
実際に戦ったことがあるわけではない。確かめたことは、衣装が着脱可能であることと、身体能力が大幅に強化されるということだけ。その力をうまく使えなければ単なる自殺行為になることを、今からしようとしている。
恐怖。
ベルトを握る手が震え、口の中がカラカラに乾く。
このベルトは強力なオモチャだ。あんな風に町を壊しているのが同じオモチャであるのなら、このベルトにだって同じことができるはず。
「そうだ、そうだよ。戦える。私は、このベルトで、戦える」
平和だった町を脅かす、悪のオモチャ。
聖が願った状況は現実となった。ならば、
「――――」
聖はベルトを装着し、家を飛び出した。
「――変身!」
叫びと共に、バックル部分の扉が開く。それは、未知の世界へと誘う扉のようで。
この時の聖には覚悟も何も無い。ただ憧れと、好奇心。それだけが、聖を戦場へと誘う。
――オモチャが、その力を発揮する。
聖の外見の特徴に関してはご想像にお任せします。ただ、普段の格好としてはセーラー服の上に、少々サイズの大きいパーカーを着用。これだけは揺るぎません。