第○一一話 『聖視点の伊達』
「聖ぃー? ちょっとおつかい頼まれてくんなーい?」
休日、三度寝もほどほどに、しかし布団から出る気のなかった聖に命令が下った。
「ちょっと、アンタまだ寝てるの?」
「後生ですからもう少しだけぇ……」
「着替えは制服と、いつものパーカーでいいね。まったく、女の子なら私服くらい――」
勝手にクローゼットを開け、制服とパーカーを取り出し聖に投げつける母。そう思うなら買ってくれればいいのに。どうせ着ないだろうけれど。
「はい、さっさと着替えて顔洗う。新都の方に行って欲しいんだけど……アンタ迷わない? 大丈夫?」
「迷う迷う。だから私にゃ無理」
「大丈夫っぽいね」
この母は人の話を聞けないらしい。布団を剥がされ、呻く聖は最後の抵抗とばかりに母をにらみつける。が、防御が下がった様子はない。
「行くしかないのか……」
「なんだってそう毎度毎度めんどくさいかねアンタは」
のそりと起き上がった聖は、ぴょんぴょんと跳ねまくる前髪を弄りながら、
「だってぇ、折角の休日だしぃ、贅沢したいじゃぁん。一日中寝たりとかさぁ、ロマンだと思わなぁい?」
母は部屋を出て行った。呆れられたのだろう。好都合だ、このまま寝直そう――なんて考えることはなく。
「そんなことしたらお母さん、噴火しちゃうし。そっちの方がめんどくさい」
仕方なく、聖は着替え始めるのだった。
おつかいも終わり、まだ日も高い中、聖は帰ることすら面倒くさく新都をぶらついていた。
「帰って昼寝、ではないんですね」
「お布団から出ちゃったらなんか、布団に戻るのすらめんどくさい」
筋金入りのダメ人間である。
まあ、たまにはこんな休日もいいのではないだろうか。
特に意味もなく街をぶらついて、無為に時間を過ごし、「ねえ、ちょっとお茶でもどう?」なんてナンパされたりする。うん、実に良くない。
「……は?」
思わず顔面から表情が消えてしまった。かもしれない。
寝癖もマトモに直してない。セーラー服にパーカーを羽織っただけの、ファッションも何もない格好。貧乳。チビ。女の欠片も感じられない、そんな聖が。
「……は?」
――ナンパされた。
◆
今日は午前で上がり、これから何をしようかと悩んでいた頃。
伊達の目の前で、驚くべき光景が展開された。
「ねえ、ちょっとお茶でもどう?」
いかにも好青年、といった雰囲気を放つ、爽やかイケメン。イケメンという言葉すら似合わぬ、なんかこう、……なんだコイツ。
「ヨル様、その、恐ろしいお顔になられていますが」
「ん? ああ、僕が許せないのは市民に害なす者だ。だけど、存在するだけで許せない生き物っているんだな。初めて見たよ、あんな害悪生物」
「ヨル様? あの、キャラが壊れていますよ?」
伊達だって男子だ。イケメンを恨むだけの人間味はある。
「なあ、イヴ。あれ撃っていいかな」
「駄目に決まってますよ!?」
さて、冗談もほどほどにして。どうやらそんな害悪生物がナンパをしているらしい。ああ、ナンパも実際に見るのは初めてだったか。
で、ナンパされている方はといえば、
「……は? ……は?」
ナンパされている、という事実が信じられないのか、ものすごい顔をして問い返していた。二度も。髪は寝癖が立ちまくり、格好もオシャレなど知ったことかと言わんばかり。背も低く、おおよそナンパの対象になるとは思えない、ズボラな女子だった。どこかで見た気がするが、おそらく気のせいだ。
ナンパされた、という事実をようやく飲み込んだのだろうか。途端に顔を赤く……いや、青くし、首を縦に……いや、横にブンブンと振り、OKを……違う、断ってるんだこれ。
あれほどの好青年にナンパされて断るとは、彼氏でもいるのだろうか。
一方青年の方はといえば、断られたことを特に気にもせず、しかし執拗にお茶に誘っているようだった。傍目に見ても、嫌がる女子を無理やり連れて行こうとする悪漢だ。ここまでくれば是非もない。
「――嫌がってる相手の手を無理やり握るな。折角のイケメンが不審者面になるぞ」
伊達としてはそれでもいいのだが、目の前で市民が困っている。見過ごせない理由には十分だった。
ここまでして気づく。ああ、今ものすごい気障なことをしている。どこの漫画の主人公だ。それも結構昔の漫画にしか出てこなさそうな。
「……えっと、いきなり、何だよ?」
ほら見たことか。青年も困っているではないか。伊達だって困っている。ここからどうしよう。
いっそのこと、この青年がオモチャを使って暴れてくれれば伊達としても問答無用で殺れるのだが。どうにも優しそうな雰囲気に絆されてしまう。いつもの調子が出ないというか。
「ヨル様……」
イヴにまで呆れられてしまった。
「……アンタ、なんで」
ふと、背中に庇った少女がそんなことを呟く。まるで、少女は伊達のことを知っているかのような口ぶりだ。どこかで見た気がするというのは、気のせいではなかったのだろうか。
「まあいいよ。少し話がしたくて声をかけてみたんだけど、断られたし。これ以上は本当に不審者だ。運が無かったって諦めるわ」
「あ、ああ……なんか、僕まで悪いことした気分だ」
じゃあな、と青年は行ってしまった。意外とアッサリ引き下がったな、と思いつつ、伊達は今さらながらに小恥ずかしくなってきた。むしろ大恥ずかしい。顔が赤くなるのを止められない。バレットである間は、何かスイッチが入っているため周囲の視線など気にならないのだが、スイッチがオフである今は、何もかもが恥ずかしい。
「え、えーっと……」
振り返り、少女と対面する。
「余計なお世話、だったりしたか、な?」
「い、いや、むしろ助かったけど……あの様子だと、私が断り続けるだけじゃ引かなかっただろうし」
助かった、と言いつつ、少女の顔は懐疑的だ。もしや、伊達のことをナンパの横取りだとでも思っているのだろうか。
「そういえばここら辺だった……迂闊」
何やらブツブツと呟いている。先ほどの変人も大概だが、こちらもこちらで変人だったか。
とにもかくにも、少し落ち着いてきた。ここらで引き上げるとしようか。
「まあ、ナンパなんてそうそうないだろうけど、気をつけなよ。それじゃあ、僕はこれで。あと、さっきのことは全部忘れてほしい……」
本当に、切実に。ナンパなんてされなかった、と思うくらいに少女の記憶が無くなればいい、とまで願う。
そうして、後悔の念に苛まれる伊達を呼び止めた。誰が? 少女だ。
「あの、」
声は少し上ずっていた。
「少し、」
頬は赤く染まっていた。
「お話、しませんか」
――前髪はやはり、跳ねていた。
◆
「ヒジリさんが恋に落ちたぁ――ッ!!」
「んなわけあるかぁ――ッ!!」
茶化すイヴに、割と本気の否定を示しつつ、しかし状況を見れば確かにそう思うかもしれないなあ、とも考える。
聖は現在、バレットを隣に歩いている。
人生初のナンパを経験していたら、あろうことか、バレットが間に割って入ってきたのだ。どうせまた、お得意の「市民を守る!」といった理由なんだろうが、なぜこうもエンカウントするのか、と頭を抱えた。
しかし、同時にチャンスとも思った。聖はバレットのことを表面的にしか知らない。その日常的な側面に触れてみれば、何かがわかるのではないか、と思ったのだ。
……いやまあ、バレットのことを知れたからなんだ、という話ではあるのだが。一度気になったら、そのままではいられないではないか。
と、見切り発車でバレットと休日を過ごすことになったわけである。
だけどまあ……バレット、凄いそわそわしてるなぁ。
普段とのギャップが凄すぎて、むしろ聖の方がビビってしまっているほどだ。なるほど、こうして見れば普通の男子だ。
「えっと、バレ――……名前、聞いてもいいですか?」
「ぇあっ? あ、ああ。名前、名前か。あー、伊達、夜」
「伊達、夜? なんていうか……」
「変わった名前だよなぁ」
思ったことをバレット――伊達が先に言ってしまった。
「僕自身、語呂が悪いし、変な名前だと思ってる。でもまあ、十九年と付き合ってれば慣れるもんだ」
伊達夜。それがバレットの名前か。
「……十九年? つまり、十九歳?」
「ん? ああ、そう。ちなみに大学は行ってない。受験逃したんだ」
「逃した?」
「ちょうど受験の日に、父親が――」
なんだか、少し、不思議だ。
こうして話していると、とても人を殺せそうな青年には見えない。
なのに、どうして伊達夜は、バレットになった途端、あんなにも冷酷になれるのだろうか。
私も、イーターの時は大分はっちゃけてるか。
しかし、伊達のソレはあまりにもギャップがありすぎる。二重人格を疑うレベルだ。
こんな優しそうな――それこそ、先ほどのナンパ青年にも引けを取らない青年が、冷酷無比の銃弾で人を裁く。
「――ところで、アンタの名前、聞いてないよな。なんて言うんだ? 僕にばかり喋らせて、秘密ってのは無しだかんな」
「え? あ、はい」
いきなり問われ、思考の海から引き戻される。
もしや、話を聞いていないのがバレたか、と慌てるが、伊達は「うわ、なんか今の大人げねえ……」と一人で自爆していた。ほっと息をつく。
「私の名前は、聖です。宮城聖」
「宮城……ここら辺じゃあまり聞かない苗字だ」
「父親の出身がここじゃないので」
そうやって、二人は少しずつ互いのことを知っていく。伊達は知らぬ間に、聖は意図的に。相手の裏側に触れ、意外な一面を見る。
そうすればやはり、聖の方は違和感を覚える。伊達と、そしてバレットとの差異に。
「イヴ、悲しいです。ヒジリさんが随分と遠くへ行ってしまったかのような気分で……」
「本当に、本当にそういうんじゃないから」
◆
「これは、これはこれはこれは。見物だ、傑作だ! この川内市を牛耳る二つのウワサ、イーターとバレットが、あんなにも仲良さげに並び立っている! 二大ヒーローの大盤振る舞いではないか!」
テンションにメーターという指標が存在するならば、それはとっくに振り切っているであろう興奮具合。スーツに身を包み、目を血走らせるその男。
「いやあ、まさかこんなに上手く行っちゃうとは。俺の勘も捨てたもんじゃない」
その背後に立つのは、爽やかさというメーターが振り切れている好青年。切れ長の目が、愉しげに、さらに細められる。
「相変わらず不気味な力ですよね、貴方のソレ」
艶やかな口紅。タイトスカートから覗く脚は、黒のストッキングで覆われている。胸元はあまり強調されておらず、全体的にバランスのいい、モデルのような女性。
物語の裏側で、着々と、何かが動き始めていた。




