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まばたき

作者: 安西治

 俺の正面に座っている濃いマスカラの女が手鏡を覗き込みながらまばたきをした。そして満足気に微笑みながら俺の方へ視線を戻した。

 「ねえ、安藤君は今なにをやってるの?」

 「時給九百円の派遣で工場勤め」

 俺は答えた。他人から嘘が下手だと言われ続けていたせいもあり、羞恥心よりも正直に話して相手の疑問や詮索する気力をなくしてしまった方がいい。そんな自暴自棄にも似たぶっきらぼうな口調で答えてやった。清潔感のある純白のクロスに覆われた円卓。上には人数分のグラスと取り皿に分けられた料理が混然と入れられている。

 「もったいないよ。それじゃ結婚できないじゃない」

 俺の隣にいた山本が残念そうな口調で言った。ある種の同情や哀れみがにじんでいる事には本人も自覚しきれていなかったような表情で。

 「最初からする気が無いよ」

 事実、その通りだった。一人暮らしもままならないような薄給では結婚など論外、実家から出て一人暮らしなんて夢のまた夢だ。現実は安い給料で少し遊んで食っていくだけの日々。

 俺が今日の同窓会に参加したのも、そんな日常にうんざりしていたせいかもしれない。

 四十も間もない年齢になると、転職そのものに危険が伴う。よくて今より待遇の悪い職場、最悪一生失業しかねない。だから今の職場にいるのだと自分に言い聞かせていても、欲求不満は見る間にたまっていく。

 これはまばたきのようなものだ。目を開け続けるために、たとえ一瞬でも目を閉じなければならないパラドックス。でもこの意識してやったまばたきは、みすぼらしくてみじめな暮らしをしている男にとって場違いとも言える同窓会への参加は、俺をさらにみじめにするには充分すぎた。

 憧れだった学級委員の女子は、家業の石工を継いだ同級生の女房になっていた。いじめられっ子だったあいつは、同級生のマドンナと一緒になっていた。鼻持ちならなかった優等生は今じゃ役職者になっている。その中で、俺は誰かにとっての何かにもなれず、かと言って社会にとっての何かにもなれず、宙に浮いたままの日々を送っている。

 「ちょっとタバコ吸ってくるよ」

 同席した同級生が俺への興味を失ったのを見計らって、俺は席を立った。

 誰かにとっての何かになれないのは、俺の日常に限ったことじゃない。


 目の前の灰皿には根元まで吸い尽くされたラッキーストライクが二本、無造作に転がっていた。会場からは時々笑い声が聞こえてきた。俺はその輪に加わることが出来ないまま、ここで一人タバコを吸っていないと、一人取り残されたみじめな気分を味わうような気がしたからだ。

 三本目のタバコをテーブルにトントンと叩き、火を着けようとした時だった。

 「よう安藤、何一人で黄昏てんだよ」

 「なんだ川村か」

 一瞬だけ背後からの声の主を確かめるためだけに振り向いたが、俺はすぐに視線を元に戻した。

 「俺が幹事やってるのが気に入らないってのか?」

 「どうしてそう思うんだよ」

 「お前がそうやって他人の輪から自分の意思で離れてるからだよ」

 そう言いながら川村は俺の左側にもたれかかるように腰を下ろした。

 「悪いか?」

 「悪いな。気がつかない分にはまだいいけど、こういうイベントでお前みたいな事やってる奴がいると興醒めするって、わからないか?」

 「わかるさ」

 「じゃあなんでだよ」

 「他につるむ奴がいないからさ」

 川村がため息をつきながら首を左右に振った。

 「大石とは中学離れてもつるんでたけど彼女できてから疎遠になっちまったし、福井もすっかり姿を見ない。そいつらと今日会えるかと思ったんだけど、拍子抜けしちまったよ」

 「他の連中はどうでもいいのかよ」

 「いいね」

 「なんだと?」

 川村が拳を握り締めながら尋ねているのが想像出来た。だから詳しく答えることにする。

 「だってそうじゃないか。俺がタバコを二本も吸っている間、誰も俺の事を気にかけている奴なんかいやしない。会場横のトイレからここに俺がいるのだって見えるはずなのに、声もかけない。さぞかし、今頃中では中学の時に仲がよかった者同士の昔話で盛り上がってるだろうさ」

 「だからってなあ・・・」

 「だいたい女どもはうるせえんだよ。俺が独立すらできない稼ぎだって話してるのに『結婚しろ結婚しろ』ってうるせえし、正社員だけじゃなくて役職者になった男子は俺の事をまだそんな生活してるのかって言ってきてるんだぜ?」

 「気にするなよ、そんな事」

 「気にするね。俺はこの同窓会に参加している同級生全員に見下されてるんだ」

 「なあ、どうしてそうやって他人と距離置くんだ?」

 「そりゃそうさ、俺だって中学の時にいじめにあってたのは知ってるだろ?そんな奴が愛だの絆だのって、震災からしばらくして流行り始めた胡散臭いお題目を鵜呑みになんかできるわけ無いだろ?」

 そう言い終えると、川村は胸ポケットからマールボロを取り出してテーブルに叩き付けた。そこから一本取り出してジッポーで火を着けた。煙を深く吸い込み、吐き出してから言った。

 「なあ安藤、こうなるんじゃないかって事、お互いにいい歳してるんだからお前だって想像はついてたはずなのに、どうしてここに来たんだ?」

 「付き合いなくて飲む機会が無いから退屈しのぎ」

 事実では無いが嘘でもない答えを口にする。

 「じゃあ俺がどうしてお前がそうなったのかを答えてやろうか」

 俺のとげのある口調を川村が話した。タバコは最初の一口以外は一切吸っていないのに気がついていないらしく、灰が折れ曲がりつつあった。

 「お前が誰かに踏み込んでいかないからだよ。だから誰の友達にも恋人にもなれないんじゃないのか?」

 「余計なお世話だ」

 動揺を隠しながら言った。たしかにいじめも原因の一つだが、俺は他人と一線を引くことでようやく思春期の頃とは比較にならない平和な日々を送っている。それが裕福か貧しいかどうかは別にして。

 「そういう過ごし方してれば当然、職場でも信頼されてないだろうよ。今の人生が自分でも惨めだと思ってるんなら、そういう部分改めた方がいいと思うんだよな」

 「何を今更。もう遅いよ」

 自嘲気味につぶやくように言いながら俺はタバコに手を伸ばした。その手を力強く掴まれる。

 「ついてこい。今からお前に見せてやるよ」

 「何をだ?俺これ吸ったらお前と担任に挨拶して帰るつもりなんだけどな」

 川村は俺の手を掴んだまま手元に引き寄せた。バランスを崩して川村の体に倒れ掛かる。まるで強引に口説かれている女にでもなったみたいだ。もっとも、俺は女じゃないし、川村みたいなのは好みじゃないけど。

 「この同窓会がお前の斜に構えた考えの世界だけじゃないって事」

 言葉の意味を理解できないまま、俺は川村に引きずられて会場の中へ言った。


 会場の中は相変わらずの昔話と笑い声。マイクスタンド脇の席に座らされた。

 「逃げんなよ」

 ドスを効かせた声で俺にそう言うと、川村はマイクに向かって話し始めた。

 「えー、皆様盛り上がっているところ申し訳ありませんが、ここで担任の先生方への花束贈呈と参りたいと思います。まずは一組の水野先生、壇上におあがりください」

 出っ歯が特徴の水野先生が壇上に上がった。教え子で生徒会長の久保田が苦笑いを浮かべながら花束を渡した。二組の大島先生には妊娠六ヶ月の松山が渡した。そして三組。つまり俺のクラス。

 「えー、三組の花束贈呈に関してですが、実は安藤君が花束贈呈の役を立候補したいと言い出しましたので・・・」

 観客の同級生達の視線が左右に泳いだ後、やがて徐々に俺の方に視線を移す確率が一気に高まる。急展開の状況を理解できずに、俺は何度かまばたきをした後に川村の耳に顔を寄せた。

 「そんな話は聞いてないし、立候補もした覚えは無いぞ。どういうつもりだ!?」

 「『花を持たせて』やったんだよ」

 「ダジャレを言ってる場合か?」

 「こうすればお前にだって会話に入るチャンスあるだろ?」

 川村の意図がようやく理解できた。俺のような孤立しがちな人間は会話に入るタイミングや席が埋まっているという理由で他人の輪から外れやすい。そこで川村は花束贈呈の時間を、恐らくは予定よりも繰り上げて会話を中断させて、俺に入る機会を作った。多分、そういうことだ。

 「さあどうする?花束渡して終わりかどうかはお前次第だぞ?」

 突きつけられた言葉と花束。両方受け止めて俺は壇上に上がった。

 人は生きてる限り目を開き続けなければならない。だがそのためには一瞬とは言えまばたきという形で目を閉じなければならない。

 一言マイクで話してから担任に花束を渡している時の俺のまばたきは、なんだか恥ずかしそうだったに違いない。

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