差し出された手
保はしてやったりだっだ。
よしよし、あの焼きもち大王を追い払ったぞ。少しくらい詩織ちゃんと話す時間くらいくれたってバチは当たらないぜ、僚。
それにしてもあの態度!どんだけ自分の妻に惚れてんだよ…。
「ねえ、あいつあんなにわかりやすいヤツだったっけ?」
「?? なんのことですか?」詩織が首をかしげる。
この二人、もしかしてなんもわかってないのか…?そう思った瞬間、保の視界がぐにゃりとゆがんだ。
ヤバイ…!咄嗟に右手で、顔をかくす。
「保さん?」
「いや、なんでもない…よ」必死にごまかそうとしたが額から汗が吹き出てくる。
「具合、悪いんですね?ここは騒がしいから向こうへ行きましょう」
そっと背中にまわされた彼女の手は、暖かかった。そう、初めて会った日も君は…気づいてくれたんだ…。
詩織は、人目につかない場所に保をすわらせ、脈をとり、目の動きを確認した。
噴出した額の汗をハンカチでそっと拭かれ、彼女に差し出した水を飲むと、せまくなった視界が戻ってきた。
「ありがと…落ち着いたよ。これじゃあ、最初に会った日とまるで同じだね…」
「病院に、いかないんですか?」
「行かないよ、行けないんだ。お袋が絶対にただの気のせいだと言い張るんだ。」
…詩織になら、話してもいい。
「僕さぁ、自慢の1人息子なわけよ。いい高校でて、いい大学でて、有名商社に就職して。そんな息子が…精神科に通うなんて事、絶対におこりうるわけないって。絶対に行くなって、泣いてわめいて…どうしようもないんだ。」
「仕事に支障は…?」
「どうしようもないときは病院いってきますって遅刻したり、早退したり…けど僕このキャラでしょ?病院が趣味なんて会社でも言われちゃってさ」
すべてにめぐまれて育ち、商社マンとして世界を飛び回る日々。それに伴い、どんどん責任が重くなっていく仕事。
絶対失敗出来ないというプレッシャーが、徐々に保つを追いつめ、精神的に病んでいった。
僕を育ててくれた親には感謝もしてるし尊敬もしてる。だが、そんな期待さえも今は苦痛でしかない。
苦しいんだ…生きていることが。
そんな様子を見て詩織がゆっくりと口を開いた。
「世の中で、自分を完璧に理解してくれる人は、誰でもなく自分自身です。だからこそ自分を救えるのは、自分だけですよ。
辛いことがあるなら、目を背けてもいい。逃げたっていい。でも、いつか向き合わなきゃいけない事ならば…立ち向かわなければならないんです。それがどんなに辛くても。自分が望むべき道でなくても…」
詩織の瞳は涙で潤んでいる。まるで、何かにいいきかせているようにも見えた。
「1人で立ち上がれないときは、人に頼ってください。保さんにはたくさん心配してくれる女性がいるでしょう?お願いです、病院に行ってください。」
詩織の言葉は、背中にまわされた手と同じくらい温かい。
初めて会ったときも気分の悪くなった僕に、今みたいに介抱してくれたんだ。人に気づかれぬように、こんな風に見えない場所で。
…君ならこんな僕を救ってくれるかもしれない、そう思った。
誰でもなく、君に頼りたいんだ。柔らかいその手を…どうか…僕にのばして…。
詩織に初めて会って、彼女の優しさに触れてから、何とかして連絡をとろうとした。しかし本人には見事にさらりとかわされてしまい、だけどどうしてもまた会いたくて、あきらめきれなくて、恥をしのんで僚に頼んだ。
だが、まてど暮らせど、連絡はこなかった。
詩織は、あまりこのような社交の場に出ることがない。聞けば、あの僚でさえ根気よく誘い続けなければ、顔をださないらしい。
なんとか会う機会があっても、いつも僚ががっちりとガードしている。職場を聞きだすことには成功したが、エステティックと言う「女の園」には仕事を通して接触することや客として出会うなど出来ず。自負していたコネやツテはなんの役にもたたなかった。
そして迎えた僚の結婚式。
「ああいう女性がいいんですよね」って寂しそうに君がうつむいたから、僚が好きなんだと気づいた。そして同時に安心した。僚は既婚者になった…これで、彼女を手にいれることができる!
恋愛経験豊富な保は、詩織は押しに弱いと見抜いていた。強引にいけば必ず落ちる、いや落として見せる。
しかし運が悪く海外への出張が続き、いまだ連絡先さえ知らない保は接触の機会さえままならなかった。
僚から離婚したと聞いたときは、すでに詩織とつきあっていた。
ショックは相当なものだった。しかしまだチャンスはあると思った。
二人のぎこちない様子は、とてもラブラブには見えない。まだ、大丈夫。あの元妻だって、一年ともたなかったではないか。
そうしたら、今度こそ彼女をこの手に…!
社交の場にも二人揃って出席することが多くなり、自然と詩織との接触も多くなった。
二人の関係はあきらかに「友達」で、僚から直接聞いてなければつきあってることなど気づきもしなかっただろう。
それから、傍目にもわかるほど、口説きにかかった。なりふりなどかまっていられなかった。
彼女は僕の唯一の、希望の光。
しばらくして「詩織と結婚する」聞いたときは、思わず目をとじた。
僚は見事に僕から彼女を…かすめとっていった。




