ライバル
「迎えにきて」との夫からの電話。
普通の女性ならば、「好きなだけ遊んで向かえにこいなんて冗談じゃない!」と言うかも知れないが、詩織はそんな連絡さえも、嬉しくて仕方がなかった。
たとえ他人から見てただの都合のよい女であろうが、必要とされてる方がよほどいい。
良かった、お風呂に入らなくて。美容院の帰りで髪はツルッツルのストレートだ。化粧もまだしっかりしてる。リップを塗りなおし、パウダーを軽くはたいて、すぐに家を出て駐車場に向かう。時刻はまだ夜の9時。もし夫がちゃんと食べていなかったら、帰りにどこかのレストランにでも誘ってみよう。
結婚前から所有しているシルバーの軽自動車は、夫は買い換えたらと言ってきたがそのまま使っている。確かに小さいが小回りもきくし、運転しやすい。30分ほどで、繁華街の中心部にある、僚のいきつけのバーの前についた。
電話をしても、繋がらない。
仕方なく、扉を開けて入っていく。
暗めの照明に、木のぬくもりを感じる落ち着いた店内。一番奥のカウンターに座って、話こんでいる僚を見つける。
だが夫に声をかけるよりも、先に声をかけてきたのは愛美。
「あ、詩織さん!わ~久しぶりですね!髪がストレートだから、一瞬誰かと思っちゃいましたよ。」
いつも僚の側にいる女だった。パーティでも、プライベートな飲み会でも、いつもいつも、彼女の姿がある。詩織は愛美が苦手だった。さも親しげに話しかけてくるが、彼女の瞳は、けして笑っていない。
この子もきっと僚が好きなんだわ。わたしのように…。
愛美は詩織と遼が結婚した3ヶ月後に他の男と結婚した。僚からそれを聞いた時は心底ほっとしたものだ。彼女は僚をちゃんとあきらめてくれたのだろうか。
「ささ、飲みましょうよ!」と腕を引っ張る。
「今日は迎え役なの。だから遠慮しておくわ。」
愛美の目が一瞬するどくなる。
「詩織さんも大変ですね…」
「え?」
「だって、僚ちゃんったら相変わらずあんな遊び人ほうけてて。全然夜帰ってこないでしょ?」
「…。」
「あ、でも、大丈夫ですよ?あたしがいつも側にいて見張ってますから!あたしと僚ちゃんはなんでも話し合えちゃう仲っていうか、切っても切れない縁なんですよね。だから私達、毎日電話し合ってるけど…気にしないでくださいね。」
ひとつひとつの言葉が、グサリグサリと突き刺さる。
「しかも、来月中国に2週間も主張なんですってね~。寂しいでしょ?」
「え、中国…?」
「あら、知らなかったんですか?まあったく僚ちゃんたら、あたしだけにしか、話してなかったんですね。そうそう、僚ちゃんは中国に行くとき、ソンさんって通訳の女性をつけるんですけど、それはもう色っぽい女性なんですよ。誘惑されないように気をつけた方がいいですよ?僚ちゃんまんざらでもないって感じだし。」
わたしは、笑顔を保っているだろうか?
「ふふふ、でもあたしがちゃあんとクギ刺しておきますからねっ。まだ新婚さんなんだから、余所見しちゃダメよって。僚ちゃんはあたしの言うことは、ちゃんと聞きますから大丈夫ですよ。」
手の先から、足の先から、すうっと冷たくなっていく気がする。
…こんなところに来るんじゃなかった。
「おい、詩織?」
僚が詩織に気づき、声をかけてきた。
「ありがとな、来てくれて。じゃ、帰ろうか。じゃ、愛美またな。」
「あら帰っちゃうの?じゃあ、明日電話するね~」
明日?電話?何か用事でもあるのか?聞きかけたが、やめた。そんなことより、詩織のほうが気になった。美容室に行ってきだんろうか?髪型が違う。ふんわりとした巻き髪が気にいってたが、こんなストレートもなかなかいいな…。
いや、妻に見惚れてる場合じゃない。さっさと帰ろう、明日は大事な商談が控えてる。
「じゃ、帰ろうか?」
「ええ、そうね、帰りましょう…」
背の高い優しげな眼差しの僚に、顔が小さく、細くて華奢な、かわいくてキレイな詩織。
誰が見てもお似合いのカップルだ。
二人が消えていった扉を眺めて、愛美はいまいましく舌打ちをした。