ピエロの言葉
詩織は自らはずした指輪をじっと見つめた。
「とてもきれいな指輪ね。どうしてサイズがぴったりなの?」
「店員には何度もきちんと確認してからのほうがいいと言われた。だけどそんなチャンスはなかったから、お前の手を握った感覚だけで作らせたんだ。…ちゃんとあってただろう?」
しかしそんな事も、結局1人芝居だった。そして、こんなにも自分を惨めだと思った事はなかった。
結局俺は、詩織に捨てられた男と同じ事をしている。
重い脱力感に、僚はソファにどっかりと腰を下ろした。そんな彼に今度は詩織が近づいてきた。
「あなたは何もわかっていない…私は結婚式も、新婚旅行も、本当に何もいらないのよ。
私は、あなたの結婚式を最前列で見てたのよ?他の女性と同じ事をあなたとするのはイヤだわ。
それにね、姉はこの春に再婚するの。また式を挙げるみたい。姉のドレス姿を見るのは3回目よ。もうウエディングドレスなんて、私にとっては憧れでもなんでもなくなっているわ。
旅行だって…いきたいところは、1人でほとんど行っちゃったし。」
あまりに現実的な詩織の意見に、僚は思わずソファからずり落ちそうになった。
確かに趣味は1人旅だった事は知っている。彼女の行った国の数は、貿易の仕事をしている僚よりも、はるかに上まわっていた。
「指輪もいらない、と言ったのも本心よ?私はこの指輪をはめ続けることができないわ。」
詩織は、美しい指輪を親指と人先指でつまみ、もの珍しそうにまじまじと見て、大きなため息をついた。
「…だってわたし、金属アレルギーなんだもの。」
「え?」
「皮膚科でパッチテストをうけたけど、シルバー、ゴールド、プラチナ、チタンまで全部反応がでたわ。」
「ええ?」
「私が何かアクセサリーをつけてたこと見たことある?」
「ない…な。」
そういえば普段から時計はもちろん、パーティでも詩織は宝飾品は何も身につけていなかった。いつも、ツヤツヤと光る肌しか印象にない。
自分は…なんという愚かなピエロだったのだろう。
「お前のいうとおりだ。俺は何にもわかっちゃいなかったんだな…。」
「私が欲しかったのは、ただあなたの愛情だけだったのよ。…それを求めて、ずっとずっとさまよってた。」
しんと静まり返った部屋に、カサリというかすかな音が響いた。
二人が同時に目やると、わずかな空調の風に吹かれ、テーブルから舞い落ちた離婚届が、ダストボックスの中に吸い込まれるように入っていった。
詩織と僚は思わず目を見合わせた。
「…けだった。」
詩織は彼の言葉を聞き取れず、「え?」と聞き返した。
「俺には昔も今も、ずっと詩織…お前だけだった…。自由よりも刺激よりも…お前が欲しくなったんだ…。」
僚は立ち上がり詩織を再びギュっと抱きしめると、詩織の柔らかな髪に顔をうずめ、肩を震わせながら、今言えるたった一つの言葉を口にした。
「こんなにもお前を迷わせてすまなかった。…愛してる…詩織。」