渡されたメモ
詩織は静かに話を続けた。
「でも、私は彼に彼らしくいて欲しいとも思うんです。自由が好きで、遊びが好きで、刺激に目をキラキラさせて人生を楽しんでいる…、やっぱりそれが彼だから。
私は僚とやり直すチャンスと引き換えに、妻としての立場で言いたかった事を全て言い切りました。僚には、次の相手で同じ過ちを繰り返して欲しくないから…今は少しでも私の声が彼に届くことをただ祈るだけです。
これ以上私が彼のために出来ることは、何ひとつありません。だから私は離婚届をだします。もういいかげんに彼を自由にしてあげなくちゃ。」
やけに清清しく感じる詩織の言葉に、保は顔を曇らせた。
「本当に、そうかな?」
そんな彼に詩織は力なく、微笑みかけた。
「保さん…結婚は片方の愛情だけでは成り立たないんですよ。」
「離婚は二人のことだ。とめる気はないよ。」
といいながら、保は手にしていた離婚届を書類ケースの中にしまった。
「だけど僕から君にひとつプレゼント。いや引っかきまわしたお詫びを、最後に受け取ってもらえない?」
「保さんはとても親切にしてくれたわ、お詫びなどこちらがしなくてはいけません。でも、その前に離婚届を返してください。それに、あのマンションの名義のことは…」
「詩織ちゃんがどうしても知りたかった事、それを明日の夜全部教えてあげるよ。この場所でね。」といって一枚のメモを渡した。
「なんと言われようと私は…」
保は、妙な殺気を感じふと詩織の後ろに視線をやると、怒りに肩を震わせながらこちらへと歩いてくる僚の姿を見つけた。その姿に、思わずくっくっと笑い出した。
やれやれ、あいつはものの5分も我慢できないのか?
遠慮するなったって、怖すぎて近づくことすらできないじゃないか。
保は僚と視線をあわせたまま、詩織にだけ聞こえるように小さな声でつぶやいた。
「じゃあここに行きたくなるような話をもう一つ教えてあげる。ちょっと耳貸して。」
ぼぞぼそと話す二人に、僚はとうとうこらえきれずに駆けつけてきた。
「待ちきれないの?本当に焼きもちやきなんだからぁ。」
保の言葉にとっさに詩織が振り返ると、僚にがっと肩をつかまれ抱きしめられた。
「保、お前なぁ…。」
「まあまあそうカッカしないでよ。離婚届は借りただけ。すぐに返すから、あとはお好きにどうぞ。」
僚は腕の中にすっぽりとおさまっている詩織を見やった。だが彼女の表情からは、何も読み取れない。
「保…お前は一体なにを考えている?」その言葉はあっさり無視された。
「はいこれ、離婚届を預かっている場所。」保は僚にも一枚のメモを渡した。
「ちょっと待て!」思わずひきとめようとすると、保はゴホゴホと咳をした。
「悪いけど僕、今から仕事なんだよね。今日は風邪ひいたから病院に行くって会社を遅刻してきたんだ、だからもういかなくちゃ。じゃあねぇ。」
保は、スタスタと去っていった。
「私も…今日は帰ります。」詩織は納得していない様子ながらも、僚の腕を解き、さっさと帰っていった。
僚はただ1人わけもわからず、渡されたメモを握り締めていた。