魔女と弟子と青い空 ~魔法の国~
~魔法の国・Arthgalia~
コーセン大陸の南東に位置する魔法王国。
精霊たちと共存し、その力を借りて暮らしている。
温暖な気候の中で育てた薬草を用いた医療は大陸有数。
国民は色素の薄い髪と碧眼を持つ。
魔女の朝は早い。
それは、旅立ちの日とあっても何も変わらなかった。
見慣れた薄紫がかった空を見上げて、私は目を細める。こんな時間に起きてしまうとは、生活習慣というものはなかなか変わらないものらしい。
うん、と私は伸びをひとつして、特別な日をいつもと同じように迎えた。
朝靄を纏いながら、長年手入れをしてきた薬園へと降りる。一面に広がる若草色が風に揺れ、甘いような、苦いような匂いが鼻をくすぐった。
様々な薬効を持つ植物が集まるここは、こうして風が吹く度に、他にはない香を漂わせる。トーリに、セロ、ガン・ソーレ、シュロロス、そして僅かな潮風。
この国の『魔法使い』達の薬園には一つとして同じものがない。各々が丹精を込めて自分の決めた薬草を育てているからだ。
自分と相性のよい薬草を探し、薬効を探究し、最高の環境下を作り上げる――己の作り上げた草木が精霊に祝福され、翡翠のように輝く様は薬園を持つ魔法使いにとって何よりも誇れることである。
『精霊の加護の下。彼方を糧に。彼方を指針に。
私は今日も歩きます。その御身に、感謝と敬意を』
祈りの言葉と共に私は会釈をする。自分が育てたもの達と、育てさせてくれた精霊達へ伝える言葉。この国の魔法使いが彼らと歩むことを決めた時から続く彼らへの賛美歌だ。もっとも、こんな早朝にこの言葉を聴いてくれるのは朝の爽やかな風に漂う風の精だけであるけれども。
葉の上に、すやすやと眠る小さな妖精を乗せているトーリにそっと近づき、下の方の葉を一枚、二枚と採っていく。朝露を乗せた葉はひんやりとしていて気持ちいい。
必要な枚数を確認したら、少し離れたシュロの木へ行き、手を伸ばして葉を摘んでいく。その根元で育てているレミナ草も、青々としているものを二、三本引き抜き、布で包んで。朝食用にと帰り道がてらに真っ赤なトマトを二つ手に取った。
『ありがとうございます、いただきます』
前を絞ってバスケット状にしたエプロンは、今や艶々とした緑で溢れていた。
家への坂道を上る途中では、薬園を一望できる。そこで、いつものように謝礼の言葉を紡ぐ。言葉に呼応するように、追い風が優しく髪を撫ぜた。
その風が薬園に吹き渡ると、あちらこちらで妖精達が目覚め始めたのか、小さな光の粒が薬園を彩った。
いつもにはない光景だった。くるくると舞う薬草に宿っている妖精達の声が、風の精霊づてに囁かれる。
『いってらっしゃい』
『元気でね』
彼らは知っていたのか。今日が私の旅立ちの日だと。この美しい光景は彼らなりの別れの挨拶であるのか。
私は懸命に、きっと薬園にいる全ての妖精の言葉を伝えようとしている風精の一人に、伝言を頼まれてほしいと告げる。それから、小さな耳にそっと、
『ありがとう。さようなら』
涙を隠して呟いた、言わずにおこうと思っていた言葉を、彼女は嬉しそうにくるりと一回転してから、薬園中に運ぶために飛び立った。
+・+
最後にもう一度だけ薬園を振り返ってから家へ戻った。
小さいながらもしっかりと作られたキッチンへ向かい、トマトとトーリの葉をカッティングボードの上に置く。シュロの葉とレミナ草はマキで編んだ紐で束ねて、壁に並べて吊るしておいた物と入れ替えるように吊るして。
鮮やかな若草色だったシュロの葉が深みのあるグリーンに変わっているのを確認してから、一枚の葉の端を小さく千切り、口元へ運ぶ。舌を刺激する、ピリリとした辛味に薬効を確認し、旅行鞄の空けておいたスペースに丁寧にしまって、
「お水……!」
我慢の限界に届かんとする口に急かされて、私はキッチンへと走った。
人肌の温度の水で舌を清め、口の中から辛味の残滓がなくなっていることを確かめる。煎じれば優れた外傷薬になるシュロの葉だが、薬効を確かめる術が、味見しかないというのはいかがなものなのか。
週に一回は避けては通れない行為だったが、未だにあの味は慣れない。けれども広く栽培されているわけじゃないから、当分の間この味ともお別れだ。そう思うと私は少しだけ可笑しくなった。
「ご飯を、作ろう……」
未だに引き摺る自身の体に鞭を打ち、冷蔵庫から今日の分のバケットと卵を取り出す。
そして、卵は軽く炒って、スライスしたトマトと一緒にバケットで挟んでサンドイッチに。トーリの葉は温めたティーポットに入れてお湯を注ぐ。
準備のできた二人分の朝食を持って私はテーブルへと向かった。小さな丸椅子に腰掛ける。
「ふう」
まず先に大好きなトーリのハーブティーを一口飲んでほっと息をもらした。それは、がらんどうとした家に静かにとける。
随分前から貰い手がいたものをあらたか譲ってしまうと、家からは多くの物がなくなった。こんなに広い家だったのだと今頃になって気付く。今は最低限の生活用品と先代から受け継いだ真鍮の大秤、医療に関する本と薬草に関するメモだけが、ただただ使われることを待っている。
「もう、いいかな」
ほどよく冷めたサンドイッチの片方を紙ナプキンで包み、羊皮紙の切れ端に小さな走り書きを書き込む。よく手を洗ってから食べること。
それから、テーブルでぼんやりと残った懸念事項に思いを馳せる。
例えば、自分がいなくなった後の薬園の手入れのことだとか、定期的に通ってもらっているお客さんのことだとか、それら全てを押し付けてしまうことになった――自分の、弟子のことだとか。
+・+
この国の子供は物心のつく頃から親、又は自らが《師匠》と仰ぐ魔法使いに教育を受けることで、一人前の魔法使いとなる。
私の元にやってきたのはティールという小さな男の子だった。とは言っても、七歳で家にやってきた彼も今年で十二歳。もう、小さな男の子ではなく、伸び盛りの少年と行った方が正しいのだ。
そんな彼に、今日、この家を渡す。そして、私は――
「師匠っ!」
二階へ続く階段の扉がばたんと勢いよく開いた。蝶番がギィ、と悲鳴をあげる。そこには肩で息をするティールがいた。はちみつを垂らしたような黄金色の髪は落ち着きなくはねていて、起きてすぐ走ってきたのか、彼はサスペンダーもつけていなかった。
「ティール……」
「師匠、今日、この国から、出て行くって、本当、ですかっ!?」
「……まず、こっちに来て座りなさい。朝ご飯にしましょう」
呼吸の合間合間に喋ろうとする弟子を制して、自分の向かいの椅子に座るようにと促す。同時に席を立って、戸棚からティーカップとソーサーを持ち出し、トーリの葉のハーブティーを、彼の目の前に差し出した。サンドイッチもナプキンから取り出して、食卓に並べる。
そして、二人でゆっくりと目を閉じ。今、目の前にあるモノ達に静かに黙祷を捧げて。
透明な光が差し込む食卓に向けて、二人で謳う。
『 彼方の生に感謝します
私を支えてくれたこと
彼方の逝を礎とします
私を支えてくれること
彼方の終生をこの身に刻み
命の終わりまで守り抜くことを誓い
私は、彼方と共に 今日をいきます 』
最後にもう一度だけ頭を垂れると、私とティールは食事を始めた。喋らず、ただ真摯に、最後の一片をも飲み込んで自分の血肉とすることが、この国の食事作法だ。
そわそわと落ち着きがないティールを目で一喝し、サンドイッチを咀嚼する。うん、おいしい。もそもそとティールもサンドイッチを口に入れ、しばらくは静寂が辺りを満たしていった。
ハーブティーの最後の一杯を飲み干すと、ようやく落ち着いたらしいティールは、ふわふわの癖ある髪を二、三撫でつけ、おずおずとこちらの様子を窺ってきた。
「で、貴方はなんと言っていましたっけ?」
「あ、はい。師匠、この国から出て行かれるって本当ですか?」
「本当ですが……誰に聞いたのです?」
「さっき薬園から風の精が、ぼく、あ…自分のところに来て、教えてくれました」
「……そうですか」
彼らは私がこの弟子に、今日のことを伝えていないことまで知っていたのか。一体どこから聞きつけてきたのやら。小さくため息をつくと、ティールの目がじっと私を見据えた。しっかりと言葉を紡ぎだす。
「師匠は、自分に何も言わないおつもりでしたか」
「ええ。手紙を残しておく予定でした」
私は頷く。
「何故ですか?」
「貴方に選択肢を与えるために。この家に縛られなくても、よい様にと」
「師匠は、僕が、この店を継がないと思われているのですか?」
「……決めるのは貴方でしょう」
まだ貴方は十二歳ですし、と続けるのはやめた。年齢を話に織り交ぜるのを、彼はひどく嫌うからだ。
「そんなの、ここに弟子入りしたときから決まっています。僕はここを継ぎます。師匠のように、薬草を育てて、薬を煎じて、人の役に立ちます!」
ガタリと椅子を後ろに倒して、彼は立ち上がる。大きな空色の瞳はきらきらと輝いていて、希望に満ち溢れていた。その様子が私には、とても眩しく見えた。
「そうですか」
「薬草のことも薬のことも、僕は師匠にきちんと教えてもらいました。大丈夫です。師匠、後のことは気にせず、全部僕に任せてください」
彼は早口気味にまくしたてると一息ついてカップを手に取った。
いつもは自分のことを僕と言うのは『子供っぽい』と、いつも気にかけているのに、今はそんな余裕はないようだ。
けれども、私を安心させようと、じっとこちらを見つめてくる様は年相応の幼さを残してはいたが、とても頼もしく見える。
「杞憂、でしたね」
「え?」
「なんでもありませんよ。ティール」
小さく呟いて、頭を振る。いつから気を張っていたのか、肩から力が抜けていくのを感じた。
彼はきっとこの家で、私が教えた通りにうまく薬問屋をやっていけるだろう。薬園の世話だって、きちんとやっていける。引き継げるかどうか、なんて、考えることが既に失礼だったのだ。胸が温かい気持ちで一杯になる。
懸念事項はもうなくなった。これで、安心して旅立つことができる。
ありがとう、ティール。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃいです、師匠――お元気で。師匠に、精霊の加護がありますように」
「ええ、貴方も健やかに」
精霊の加護のあらんことを。そう言って、小さな頭を少しだけ撫でてから。旅行鞄一つを抱えて、私は家を出る。
手を振って見送るティールの目元には、ほんの少しの涙が滲んでいた。でも、彼はきっとそれを零すことはない。彼は私が見えなくなったら、涙を拭い、薬問屋を営む魔法使いとして、薬草を煎じ始めるのだろう。
見上げた空は彼の瞳の色をしていて。これから、見守られる側になるのかと思うと、なんだかとてもくすぐったかった。
+・+
「で? お前さんは本当にあのガキに店やってここを出て行くのか」
「私が貴方の荷馬車に乗せてもらっているのが何よりの答えになると思いますよ、グランドールさん」
「……違えねぇな」
家を出てから水門までは店の常連さんに頼んで、仕事用の荷馬車に乗せてもらうことにしていた。景色がよく見えるようにと、荷台の扉に背を預けるようにして腰掛ける。背中に当たる荷台の扉からは飼料と藁草と、ナナキの薬草の爽やかな匂いがしていた。
常連さん――グランドールさんは鶏を扱う商人で、よく突かれただの引っかかれただの言っては薬をもらいにきてくれていた。私の店の薬が有名になったのには、彼の宣伝のおかげである。だから、
「ティールには、私の学んだ全てを教えてあります。
――グランドールさん、見守ってあげてくださいね」
私の代わりに、と心の中だけで続ける。
御者台からこちらを振り返ったグランドールさんは仏頂面を崩して、少しだけ笑ってくれた。
「お前さんの作る薬くらいのモンが出されるまで、俺は金を払わねぇからな」
「懐かしい言葉ですね」
「覚えてたか」
もちろんですよ。そう言うと、彼は前方に向き直ってしまった。照れくさいのかもしれない。
『お前の師匠の作ってくれた薬くらいのモンが出されるまで、俺は金を払わねぇからな!』
先代の後を引き継いですぐに、グランドールさんに言われた言葉だ。悲しみにくれる小さな魔女に一人で生きていくための力をつけさせた、言葉。
ちなみにグランドールさんは有言実行の人で、本当に一ヶ月間もの間、毎日薬を買いに来ては料金を踏み倒し続けた。私の薬を認めてくれたその日に、全額払ってくれたが。彼はなかなかスパルタな人なのだ。
そんな彼の優しさにティールがいつ気づくかは分からないけれども。
「大丈夫ですよ」
「あ?」
私の弟子は優秀ですから。そう呟いて、私は笑った。
+・+
しばらく目を伏せて、蹄が土を蹴る音や風の音を聞き、道沿いの薬園から運ばれてくる僅かに甘い匂い――ニヌーの花の香りだ――を感じていると、グランドールさんが「もうすぐ着くぞ」と声をかけてくれた。
振り返れば、石造りの大きな水門が見える。アースガリアと外の世界を繋ぐ唯一の航路。ここから、隣国・ファルスへと船が出るのだ。
舗装された石畳に入ったところで荷馬車は止まった。潮風が、後ろへと駆け抜けていく。
「わぁ……」
荷台から降りると、思わず息が零れた。早朝の水門前は人々の活気に満ちている。国への物流のほとんどを担うこの場所は、アースガリア中から集まった仲介商人と、トレイシスからやってきた商人、そして彼らを主な客層とする売り子があちらこちらで見てとれた。
初めて見る他国の住民は、自国の民のもつ青い瞳ではなく樹皮のような色の瞳をしていて、簡素な格好にいくつかの装身具を身につけていた。金のチェーンが商人の歩くのに合わせてチャリチャリと音を立てる、その度にちらりと目を走らせてしまう自分が、落ち着きのない、子供のような行為だと思った。
「それじゃあ、俺はこれでな」
後ろから届いた声に振り返ると、グランドールさんは――いつの間に話をつけたのだろう、たくさんの飼料を荷台に積んでいた。御者台に手をかけて、こちらにゆらゆらと手を振っている。私は彼に向けて深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、グランドールさん」
「いいってことよ、元気でな。お前さんに精霊の加護があることを祈るよ」
「はい、グランドールさんにも精霊の加護のあらんことを」
お互いに笑って。グランドールさんはそのまま御者台に飛び乗り、去っていった。
+・+
船の出港まで、ぶらぶらと辺りの様子を見物することにした。ファルスの人々は瞳の色と服装以外はほとんど同じであるようだったが、道の向こうの方には極彩色の鮮やかな衣装に身を包んだ男女や、美しい緋色の布を体に巻きつけるようにして纏っている銀髪の獣人の男性らが見えた。
さらに進むと、船が見える。ファルスとアースガリアを結ぶ連絡船は、白亜の巨体を悠々と横たえて、そこに存在していた。
「綺麗……わっ」
初めて見る船。その壮大さに花に引き寄せられる蝶のように、ふらふらと不用意に近づきそうになっていると、後方にいた人に追い越しざまに肩にぶつかられてしまった。
倒れる、と反射的に目を瞑るとゆらりと傾いた体は、何故か斜めに停止した。
「大丈夫ですか?」
「え、あっ、ありがとう、ございます……」
見上げると苔のような、深い緑色の髪をした青年の顔があった。長い前髪で、顔はよく見えなかったが、抱きとめてもらったって、とても、恥ずかしい。
そろそろと距離をとると、青年の着ているマントに見覚えがあった。ボロボロになって色あせてはいたが、全体を覆う豪勢で緻密な刺繍は、手芸大国、エディグッスで作られたものに違いない。
「エディグッスの方……ですか?」
「ええ、まぁ」
旅人さんはこくりと頷いた。柔らかなマントがさらりと揺れる。
「旅人さんですよね……?」
「はい」
もう一度首肯する。目の前の青年は物静かだが、こちらの質問には答えてくれるようだった。その瞳にも嫌悪の色は見えないので、おそらくこのまま話していてもいいのだろう。人通りの少なくなったところでくるりと向き合った。
「これから出国ですか?」
「えぇ」
「アースガリアはどうでしたか?」
「素敵な国だったと思います。皆さん親切で。自然も多いですし、それに……」
僕の旅に必要なことも、教えてもらいました、と彼は続けた。その意味はわからなかったけど、彼がこの国に 良い印象を持っていることは嬉しいことだ。ぺこりと彼に向かってこちらからも頭を下げた。
「ありがとうございます。一国民として、貴方の好意を嬉しく思います」
「……貴女は、商人ですか?」
今度は反対に彼が至極まっとうな質問をしてきた。確かにこの時間にこの場所にいれば商人と思われるのが普通だろう。私は静かに首を振った。
「私も、貴方と同じ旅人です。今日からですけど」
「……?」
旅人さんは無表情のまま首をかしげた。前髪が流れ、薄茶の瞳が光に晒された。その様子が男性に使う言葉ではないが、なんだか可愛らしいなと思った。
「外の国の『どこか』に、神の傷薬と呼ばれる特別な薬草が生えている場所があるらしいんです。偶然知った話なんですけど。でも、私、それが本当かどうか知りたくて。どうしても、止められなくて。周りがしっかりしているのを言い訳に、何もかもを捨てて出て行くんです」
アースガリアの国民が、自国から出て行くことは滅多にない。よっぽどの理由がない限り、誰もが自分の役目をこの国で全うする。こんな理由でこの国を出て行く魔法使いなんて、いない。家族も、友人も、精霊も、仕事も全て捨てて、夢を追いかけるだなんて――
遠くで積荷が終わったことを知らせる声が上がった。それに合わせて潮風が一際強く吹く。
「……」
「すみません、おかしいですよね……こんな」
「おかしくないです」
「え」
芯の強い声。俯いていた顔を上げると、目の前の彼は穏やかに笑っていた。
「応援します。貴女のこと」
「あ……」
「もうすぐ船が出ますよ」
そう言うと、私の左手をとって彼はゆっくりと歩き始めた。周りの商人達も歩き出して、チャリチャリと小さな音が響く。私は、黙って彼の後を追う。
黒髪、金髪、ブロンド。たくさんの髪が揺れ動く中、私を連れて歩く緑色の髪はとても目立っていた。
「『彼方の天使様』……?」
小さく呟いた言葉。彼の後ろ姿が、まるで。――まるで、神話にでてくる緑髪の天使のようだったから。
「さぁ、船ですよ」
手を引かれたまま二人で階段をのぼり、船へ乗り込んだ。近づいた空はとても綺麗な青色で、吹き抜けた風は力強い。
「……ありがとうございます。旅人さん」
「いえいえ。えーっと……貴女に、精霊の加護がありますことを、ですよね」
「よく、知っていますね」
彼の口から出てきたのは、この国の魔法使いが行う別れの口上だった。驚いた私に彼はさらりと「旅人ですから」と答えた。彼の茶色い瞳は優しい光を湛えたままで、その深い緑髪は日の光を受けてきらきらと輝いている。
そうか。髪の色が……同じなんだ。
この大陸で深い苔にも似た深緑の髪を持つ存在と言えば、伝承の存在、神話の中の住人――彼方の天使様だ。
そして、天使様は私が目指すものの在り処に住むと言われている存在。
伝承そっくりな彼に祝福されたせいか、もうこの先の旅路に不安はないように思えた。
だから、私からも精一杯、彼の旅路を祝福しよう。
「そうですか……ありがとうございます。では、この国の魔法使いからも――」
彼の、旅の目的が成就しますようにと。
船の出港を告げる汽笛が、太陽の下、アースガリアに高らかに鳴り響く。
「貴方に、精霊の加護のあらんことを!」