『迷信』
今回の話は、人によっては怖いと感じるかも知れません。
苦手な方はご注意下さい。
今でもそうなのかも知れないが、80年代の田舎はまだまだ迷信を信じる風潮が色濃く残っていた。
開発された都会とは違い、周囲を自然に囲まれた田舎では、人間の世の中とは違う世界がぐっと近くに感じられるものだ。
たとえば、こういう話がある。
俺の母親の友達に子供がいた。その子が三歳くらいの時、とつぜん重病にかかった。何日も高熱にうなされ生死の境をさまようほどだった。そこで、ほうぼうの医者に見せたのだが、まったく原因が分からなかったらしい。最後に、その子の両親はわらにもすがる思いで、祈祷をする人に見せたのだという。
祈祷師は即座に言った。「これは祟りだ」と。
どうやら、その子は庭でおしっこをしたらしい。そのおしっこをした場所というのが、神様にとって重要な場所だったため、その子が祟られた、というのだ。すぐさまそのおしっこをした場所に適切な処置をしたところ、その子はたちどころに回復したという。
恐らくこんな話を聞いても眉唾ものだろう。
だいいち、『俺の母親の友達の子』という関係性は実にあやふやに聞こえるだろうからだ。だが、この子は俺の一つ上で、小学校こそ違ったが、中学では同じになり、互いに良く知る間柄となった。
ちなみにその子は、すごく美人になった。
あとは『狐』についてである。
狐は、お稲荷さんとか、昔から信仰の対象としてあがめられてきたことは良く知られているが、『狐憑き』という言葉があるように、案外、怖い存在なのだ。
俺の親戚のおばさんが、ある時突然に、お稲荷さんを信心しはじめた。その熱の入れようははなはだしく、親戚が集まったときにも、そのおばさんの家の人が「困ったものだ」と呆れていたものだった。逆に、その時は呆れただけで終わっていた、とも言える。
ところが、である。
しばらくすると、親戚一同がそのおばさんにお稲荷さんの信仰をやめるように、強く言うようになった。なんと、信心が過ぎてか、夜中にそのおばさんの家の中を狐が走り回るようになったのだ。
とはいっても、その姿を見たものはいない。猫も犬も飼っていない家の中を、寝静まった頃になって、大きな犬が走り回るようなドタドタという音が聞こえるようになったというのだ。しかも、その音を聞いたのは、お稲荷さんに熱をあげているおばさんだけではない。その家族がひとしくその音を聞いていた。みな一様に「狐だ」と口を揃えた。
そんなわけで、恐ろしくなった家族を中心に、親戚一同が、おばさんに信心をやめるように説得をしはじめた、という訳だ。
おばさんがお稲荷さんの信心をやめると、それ以来、狐の足音は聞こえなくなったという。
ところで、そのおばさんというのは、俺の母の姉にあたる。俺の母もそうなのだが、どうも母方の女系はみな霊感が強いらしい。
それを裏付けるような話がまだあるのだが、それはまたの機会にしよう。
「先輩、怪談にはちょっと時期がずれてませんか?」
「え? 怖い話をした覚えはないぞ。こんな話、田舎にはゴロゴロ転がってるからな」
「うそでしょう?」
「信じるか信じないかは……」
「先輩、そういうのはいらないです」