鈍感勇者と恋する公爵令嬢
第一話 私の好きな人は、世界で一番の鈍感男です
魔法歴四二七年、ここは、王立ルミナス魔法学園。
この学園では、人間族、エルフ族、獣人族、そしてごく少数の魔族が机を並べており、毎年春になると、魔力測定や剣術大会や使い魔召喚といった、青春に彩りを添える行事が開催される。
その中のどんな行事よりも生徒たちの心を躍らせるものがある。
それは、恋である。
「アラン! 今日、一緒にお昼を食べませんこと?」
中庭に響き渡るほどの声に、何人もの生徒が声のする方を思わず振り返った。
声の主は、ベリアンヌ・シャルベルトである。
彼女は銀色の長い髪に、宝石のような青い瞳の持ち主。その容姿を見れば、国内有数の魔法貴族であるシャルベルト公爵家の正当な血筋の持ち主であることは一目瞭然である。彼女はその一人娘であり、成績優秀、魔力は学年トップクラス、礼儀作法も完璧な上、学園でも三本の指に入るほどの美少女である。
そんな彼女が今日も平民出身の少年に、声をかけていた。
「おう、いいぞ!」
アラン・デルシードは、屈託のない笑顔で答えた。
彼は黒髪に、澄んだ琥珀色の瞳。身長は高く、剣の腕だけでなく、魔法の腕も一流。去年は王都を襲った魔物の群れを学生の身でありながら単身で撃退したという武勇伝まで持っている。
ただし、そんな完璧人間に見える彼にも、唯一といっていい苦手分野がある。
それが自分に向けられた好意にとことん鈍いということである。
「じゃあ、俺、先にダッシュで行って、食堂が混む前に席取ってくるな!レオン、行こうぜ。ベリアンヌとエミリはゆっくり歩いてこいよ」
「…えっ」
「じゃ、またあとでな!」
爽やかに手を振り、走り去っていくアラン。
気まずいような申し訳なさそうな顔をしたレオンがそのあとを追う。
その背中を見送ったベリアンヌは、笑顔を保ちながら固まっている。
「……はぁ なんでこうなるのよ」
その隣で、幼馴染のエミリが肩を震わせる。
「ぷっ……くくっ……!」
「エミリ」
「ご、ごめん! でも、ベリアンヌ、あはははっ!」
「笑わないでくださる!?」
「だって、昨日は『二人きりで食べたい』って言って、アランに『みんなで食べたほうが楽しいぞ!』って返されたんでしょ?」
「一昨日は『あなたの隣に座りたい』と言ったら、『椅子なら余ってるからどこでもいいぞ!』ですわよ!」
「うぅ……」
「先週など、『私、あなたのことが好きなのかもしれません』と伝えたら、『俺もみんなのことが好きだ!』と!」
「もうここまで鈍いと逆に才能ですわ」
「こんなの、どんな才能だっていうのよ?」
ベリアンヌは両手で顔を覆った。
好きなのだ。
アランが、どうしようもなく好きなのだ。
初めて出会った三年前のあの日からずっと。
学園に入学して間もない頃、階段に踊り場で足を踏み外してしまったベリアンヌを偶然通りかかった彼が地面に倒れ込み寸前で助けてくれたのだ。
彼はベリアンヌを抱き抱えて言った。
『怪我はないか?』
あの日から、ベリアンヌの世界は彼を中心に回っている。
彼の笑顔を一目見るだけで、その日1日幸せな気分で過ごせる。
逆に彼が他の女子と話しているだけで、胸の奥がもやもやしてしまう。
彼が自分の名前を呼ぶだけで、心臓が跳ねて、ドキドキが止まらなくなる。
なのに。
当の本人は、ベリアンヌの誰の目にも明らかな好意に全く気づかない。というか、好意という概念そのものを持ち合わせていないようだった。
「私、決めましたわ」
ベリアンヌは顔を上げた。いま
「私、絶対にアランに告白させてみせます!」
「えっ、告白するんじゃなくて、させるの?」
「わたくしは、これまで何度も勇気を出して告白してきましたのよ! 全く気付いていただけなかったようですけど。そろそろ向こうから言っていただいても罰は当たらないでしょう!?」
「それ、自分が告白するより難しいんじゃ……」
「黙りなさい、エミリ!」
こうして、シャルベルト公爵令嬢による、壮大にして無謀な恋愛作戦が始まった。
なお、作戦成功率は、本人の予想ではなんと九割という高確率。
第二話 恋する乙女の作戦その一、手作り弁当
「アラン! お弁当を作ってきましたわ!」
翌日の昼休み。
ベリアンヌは、花柄の布に包まれた弁当箱をアランの机に置いた。
朝から厨房を借り、料理長に手伝ってもらいながら作った特製の手作り弁当である。
卵焼きはハート型。
ウインナーはタコ型。
サンドイッチには、彼の好きな鶏肉の香草焼きを挟んだ。
そして、弁当箱上には、小さな紙片。
『アラン、大好きです』
……と書きたかったのだが、恥ずかしくて書けなかった。
代わりに、星空の絵を描いておいた。
これならいくら鈍感なアランでも自分への好意に気づくだろう。
ところが。
「おお! すげえ! いただきます!」
「え、ええ! どうぞ、お召し上がりください」
「ありがとう! ちょうど腹減ってたんだ!」
アランは目を輝かせ、弁当箱を開いた。
ベリアンヌは緊張で指先を握りしめた。
さあ。
早く何か言いなさい。
おいしいとか、嬉しいとか、できれば好きだとか。
何でもいい。
わたくしの心に、少しくらい気づきなさい!
「うおおお! この卵焼き、うまいな!」
「そ、そうでしょう?」
「しかもハート型だ! すげえ、貴族の料理人ってこんな技術もあるんだな!」
「…………」
「このウインナーもタコになってる! 芸術だな!」
「………………」
「ベリアンヌの家の料理人、やるじゃん!」
ベリアンヌは机に突っ伏した。
違う。
違いますわ。
わたくしが作ったのです。
わたくしが。
あなたのために。
朝五時に起きて、指に小さな火傷を作りながら。
「アラン。これ、全部わたくしが作ったのですけれど」
「えっ!?」
アランは箸を止めた。
「マジか!? すごいじゃん! ベリアンヌって料理もできたんだな!」
「……ええ、まあ」
「俺、料理できる人って尊敬するんだよな。ベリアンヌの手作りか!ありがとうな!」
彼は心から嬉しそうに笑った。
その笑顔を見てしまうと、ベリアンヌは何も言えなくなる。
ずるい。
こんなの、ずるい。
怒れなくなるじゃない。
文句を言おうと思ったのに。
嬉しそうに食べてくれる姿が、たまらなく好きだった。
「……どういたしまして」
小さく答えると、アランは弁当箱の隅にある星の絵を指さした。
「おっ、この星もベリアンヌが描いたのか?」
「え、ええ! それは、その……」
「上手だな! 俺、昔から星を見るの好きなんだ!」
「ほ、本当ですの!?」
「ああ。田舎にいた頃、剣の修行でぶったおれてよく夜空を見てたんだ。星を見てると、自分のちっぽけさが分かる気がしてさ」
ふいに、彼の声が穏やかになった。
「いつか、大切な人と一緒に星を見られたらいいなって、昔から思ってたんだ」
ベリアンヌの心臓が跳ねた。
大切な人。
一緒に星。
それはつまり。
つまり……!
「ア、アラン! そ、それでしたら、ぜひ今度、わたくしと――」
「そうだ! 今度、クラスのみんなで星を見に行こうぜ! 天文台公園なら夜でも安全だし!」
「………………」
ベリアンヌの恋心は、静かに床へ沈んだ。
その日の午後、学園の掲示板には『クラス親睦会・星空観測会のお知らせ』が貼られた。
主催者はアラン・デルシード。
参加者はクラス全員。
ベリアンヌは参加申込書を握りしめながら、心の中で誓った。
次こそは。
次こそ、絶対に。
第三話 恋する乙女の作戦その二、嫉妬大作戦
「いい? ベリアンヌ。男っていうのはね、他の男に取られそうになって初めて自分の気持ちに気づくものなの」
放課後の女子寮。
エミリは、どこから持ってきたのか恋愛指南書を机に広げた。
表紙には『これであなたも恋愛上級者! 意中の彼を振り向かせる百の方法』と書いてある。
「これ、本当に効果がありますの?」
「少なくとも、この本を書いた人は恋愛相談で大儲けしてるらしいよ」
「胡散臭いですわね……」
「それは否定しないけど」
エミリは咳払いした。
「とにかく、今日はアランの前で他の男子と仲良くするの!」
「他の男子と……」
ベリアンヌは想像した。
アランが嫉妬する。
眉をひそめる。
そして、彼女の手を取り、切なげな瞳で言うのだ。
『ベリアンヌ、他の男と仲良くしないでくれ。俺、お前が好きなんだ』
……最高だった。
「やりますわ!」
翌日。
ベリアンヌは、クラスメイトの男子であるレオンに声をかけた。
「レオン様。今日の放課後、魔法実習の練習に付き合っていただけませんこと?」
「えっ、俺?」
レオンは驚きながらも、顔を赤くした。
「も、もちろん! 喜んで!」
その様子を、教室の入口からアランが見ていた。
ベリアンヌは横目で彼を確認する。
見ている。
見ていますわ!
さあ、嫉妬なさい!
あなたの愛しいベリアンヌが、他の男と!
「ベリアンヌ、すごいな! レオンに魔法を教えるのか?」
アランが近づいてきた。
「え、ええ、まあ……」
「ちょうどよかった! 俺も混ぜてくれよ! 三人のほうが練習になるだろ?」
「…………は?」
「レオン、よろしくな!」
「えっ、あ、ああ……」
アランはレオンの肩を叩き、満面の笑みを浮かべた。
「ベリアンヌの魔法はすごいからな! 俺も教わりたいことがいっぱいあるんだ!」
ベリアンヌは笑顔を保ったまま、心の中で絶叫した。
違う!
あなたを嫉妬させたいのです!
なぜ嬉しそうに仲間に入ってくるのですか!
しかも、その後の魔法実習では。
「よし、じゃあ俺が相手するな!」
アランがレオンと模擬戦を始めた。
レオンの魔法は炎属性。
対するアランは無属性魔法を得意とする。
二人はあっという間に白熱した戦いを繰り広げ、ベリアンヌは見学席で置き去りにされた。
最終的に、レオンはアランに敗北。
アランは彼の手を握り、爽やかに笑った。
「いやあ、楽しかった! またやろうぜ!」
「……おう」
レオンは、なぜか少し涙目だった。
その夜。
ベリアンヌはエミリに報告した。
「失敗しましたわ」
「そうなると思ってましたわ」
「アランはレオンともっと仲良くなってしまいました」
「レオンが気の毒ね」
「帰り際には『今度、男同士で飯でも食いに行こうぜ!』と!」
「友情が芽生えちゃったね……」
「わたくしの恋愛作戦が、どうして男の友情を育てているのですか!?」
エミリは、そっと恋愛指南書を閉じた。
「……ベリアンヌ。もう本人に直接言ったら?」
「嫌ですわ!」
「なんで!?」
「わたくしは公爵令嬢ですのよ!? 殿方から告白されるのが夢なのです!」
「じゃあ、その夢を諦めるしか……」
「エミリ!」
「ごめんってば!」
ベリアンヌは枕を抱きしめた。
好きだと言えばいい。
そんなことは、分かっている。
けれど、三年間も恋をしてきた相手なのだ。
彼が自分をどう思っているのか、知るのが怖い。
もし、ただの友達だと言われたら。
もし、妹のように思っていると言われたら。
もし、恋愛対象ではないと言われたら。
今までのように、彼の隣で笑っていられるだろうか。
「……馬鹿ですわ、わたくし」
ベリアンヌは窓から空を見上げた。
星が瞬いている。
その星空を、いつかアランと見たい。
できれば、二人きりで。できれば恋人として。
どうしても諦められなかった。
第四話 恋する乙女の作戦その三、魔法薬の誘惑
王立ルミナス魔法学園には、古くから伝わる伝説がある。
恋愛魔法薬。
飲んだ者は、最初に目にした相手に恋をする。
その効果は一日限り。
調合に成功した者は、歴史上ほとんど存在しない。
ベリアンヌは図書館で古い魔法書を読みながら、目を輝かせていた。
「これですわ……!」
「ベリアンヌ、まさか本気?」
隣にいたエミリが顔を引きつらせる。
「恋愛魔法薬って… 効果があるかどうかも分からないのに」
「大丈夫ですわ。古代魔法の知識なら、わたくしにも多少の心得がありますもの」
「そういう問題じゃなくて……」
「アランに飲ませれば、目が覚めたとき、最初にわたくしを見ることになりますわ!」
「それ、普通に考えて危険じゃない!?」
「大丈夫ですわ。ほんの少しだけですもの!」
その言葉を信じたエミリが間違いだった。
ベリアンヌは三日三晩、研究室にこもった。
月光草、星屑の結晶、魅惑の花弁、そして古代語で記された謎の触媒。
材料は揃った。
魔法陣も完璧。
あとは最後の一滴を加えるだけ。
「できましたわ……!」
淡い桃色の液体が、ガラス瓶の中でキラキラと輝いた。
そのとき。
研究室の扉が開いた。
「おーい、ベリアンヌ! 何してんだ?」
「ひゃあああああっ!?」
突然の声に驚いたベリアンヌは、手元の瓶を落としてしまった。
ガシャン!
瓶が床に砕け散り、桃色の煙が研究室を満たした。
「うわっ、何だこれ!?」
「ア、アラン!? どうしてここに!?」
「先生に頼まれて、薬品庫の鍵を返しに来たついでに寄ったんだ。っていうか、これ、吸って大丈夫なやつか?」
「だ、駄目ですわ! 息を止めて!」
遅かった。
桃色の煙は、二人の周囲を渦巻きながら、魔法陣の中央へ吸い込まれていった。
そして。
ピカッ!
研究室がまばゆい光に包まれた。
数秒後。
「……あれ?」
アランが首をかしげた。
「何か、変な感じがするな」
「ど、どういう感じですの!?」
「なんか……ベリアンヌのことが、すごく気になる」
ベリアンヌの心臓が、爆発するかと思った。
「そ、それは……!」
「今日、朝飯食べたのかな、とか」
「…………は?」
「ちゃんと寝てるのかな、とか。最近、疲れてるみたいだし」
「………………」
「あと、なんでそんなに顔が赤いんだ? 熱でもあるのか?」
アランがベリアンヌの額に手を当てた。
近い。
近すぎる。
彼の手の温度が、額から頬へ、そして心臓へと伝わっていくようだった。
「ち、近いですわ!」
「えっ、あ、ごめん!」
アランが慌てて手を引っ込める。
ベリアンヌは胸を押さえた。
アランの様子がいつもと違うわ。これは魔法薬は成功したのだろうか。
それとも、失敗したのだろうか。
少なくとも、彼はいつもより優しい。
いつもより、こちらを見てくれる。
いつもより、自分のことを気にかけてくれる。
「ベリアンヌ」
「は、はいっ!」
「今日、一緒に帰らないか?」
「…………え?」
「なんか、今日はお前と一緒にいたいんだ」
世界が止まった。
ベリアンヌは息をするのも忘れた。
今。
今、何と?
一緒にいたいですって?
それはつまり?
「……よ、喜んで!」
その日の帰り道。
アランはベリアンヌの歩幅に合わせて歩いた。
いつもなら先に走っていってしまう彼が、何度も彼女の顔を見て、何度も話しかけてくる。
「そういえば、好きな食べ物って何だ?」
「えっ!? そ、それは……」
「今度、一緒に食べに行こうぜ」
「い、一緒に!?」
「ああ。二人で!」
ベリアンヌは、もう限界だった。
頬が熱い。
耳まで熱い。
胸が痛いほど高鳴っている。
これは、夢ではないのだろうか。
いえ。魔法薬のおかげなのよね?
それならば一日限りだということ。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
しかし、その夜。
魔法学の担当教師から、恐ろしい知らせが届いた。
『本日、学園の研究室で未知の魔力反応が確認されました。該当時間帯に研究室を使用した生徒は、明朝までに申し出ること』
ベリアンヌは青ざめた。
そして、もう一つ、いまさら気付いたことが…
魔法書の最後のページ普通見逃してしまうような場所にほんとに小さな文字が書かれていた。
『恋愛魔法薬は、恋心を生み出す薬ではない。心の奥底に眠る感情を、一時的に表面化させるものである』
「…………え?」
ベリアンヌは、その一文を何度も読み返した。
心の奥底に眠る感情。
つまり。
つまり、アランは。
もともと自分のことを……?
その考えが頭をよぎった瞬間、ベリアンヌの頬が真っ赤になった。
「そ、そんなはずありませんわ!」
彼は、世界一の鈍感男なのだ。
自分の気持ちに気づいているはずがない。ましてや、彼も好意を持ってくれていることなんて。
絶対に。
……絶対に、ないはずだ。
第五話 魔法大会と、最悪の勘違い
翌朝。
アランは、いつもどおりだった。
「おはよう、ベリアンヌ!」
「……お、おはようございます」
「昨日、楽しかったな!」
「…………はい」
「また二人で帰ろうぜ!」
「………………はいっ!」
ベリアンヌは歓喜した。
昨日の魔法薬の効果は、まだ続いているということかしら。
いや、もしかしたら。魔法薬は関係ない?
もしかしたら、アランは本当に自分を……。
「ベリアンヌ、聞いてくれ!」
突然、アランが両手を握った。
ベリアンヌの思考が停止した。
手。
手を握られていますわ。
しかも、両手。
これは。
これは、まさか。
「俺、昨日からずっと考えてたんだ!」
「は、はい……!」
「俺、ベリアンヌのことが……」
来た。
ついに来た。
三年間。
千日以上。
何度も作戦を失敗し、何度も枕を濡らし、何度も恋愛指南書を破り捨てた日々。
そのすべてが、今、報われる。
「俺、ベリアンヌのことが……」
「…………」
「放っておけないんだ!」
「………………」
「最近、無理してるだろ? いつも頑張ってるし、何かあったら相談してほしいんだ。俺、ベリアンヌの力になりたい!」
ベリアンヌは、静かに目を閉じた。
神様。
わたくしは何か悪いことをしましたか。
前世で世界を滅ぼしましたか。
それとも、魔法の女神に嫌われているのでしょうか。
「……ありがとうございます」
「おう!」
アランは笑った。
その笑顔が好きだった。
好きだからこそ、苦しかった。
その日、学園では年に一度の魔法武術大会が開催された。
各クラスから代表者が選ばれ、魔法と剣術を組み合わせた試合を行う。
優勝者には、王宮から特別な魔導具が贈られる。
そして、今年の優勝候補は二人。
アラン・デルシード。
そして、魔族の血を引く天才魔法使い、ルシアン・ヴァルド。
ルシアンは長い銀髪と紫色の瞳を持つ美少年で、成績は学年二位。性格は冷静沈着で、女子生徒からの人気も高い。
彼はベリアンヌと同じ魔法研究会に所属しており、以前から彼女に好意を寄せているという噂があった。
そして、今日。
「ベリアンヌ嬢」
ルシアンが、ベリアンヌの前に立った。
「大会が終わったら、少し時間をいただけませんか」
「えっ? ええ、構いませんけれど……」
「ありがとうございます。あなたに、伝えたいことがあります」
彼は穏やかに微笑んだ。
ベリアンヌは、思わず頬を染めた。
もしかして。
もしかして、告白だろうか。
いや、違う。
自分にはアランがいる。
けれど、アランは自分のことを好きではないかもしれない。
もしルシアンが自分を好きだと言ってくれたら。いい
自分は、どうするのだろう。
「ベリアンヌ!」
アランの声がした。
振り返ると、彼は妙に真剣な顔をして立っていた。
「……あいつと、何を話してたんだ?」
「ルシアン様ですか? 大会の後にお話ししたいと……」
「ふうん」
アランは、ルシアンを見た。
そして、ベリアンヌを見た。
何かを言いたそうに口を開き、結局、何も言わなかった。
その表情に、ベリアンヌの胸がざわついた。
もしかして。
もしかして、嫉妬しているのだろうか。
「アラン?」
「……いや。何でもない」
彼は、いつものように笑おうとした。
けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
ベリアンヌは初めて、彼のそんな顔を見た。
大会が始まった。
第一試合、アラン対三年生。
アランは圧倒的な実力で勝利した。
第二試合、ルシアン対二年生。
ルシアンは一歩も動かず、相手の魔法をすべて防ぎきった。
そして、決勝戦。
アラン対ルシアン。
会場は歓声に包まれた。
「アラン、頑張ってくださいまし!」
ベリアンヌは思わず叫んでいた。
アランは振り返り、彼女に笑顔を向けた。
その瞬間。
ルシアンの瞳が、わずかに細くなった。
「……なるほど」
試合開始の鐘が鳴る。
ルシアンは、開幕と同時に強力な魔法を放った。
氷の槍が空中に生まれ、アランへと襲いかかる。
アランは剣でそれを弾き、地面を蹴った。
炎が舞い、雷が走り、闘技場が光に包まれる。
互いに一歩も譲らない攻防。
しかし、試合が中盤に差しかかった頃。
ルシアンの魔法が、アランの剣を弾き飛ばした。
丸腰になったアランへ、氷の槍が迫る。
「アラン!」
ベリアンヌは叫んだ。
考えるより先に、体が動いていた。
彼女は観客席から飛び出し、結界の内側へと入ってしまった。
「ベリアンヌ!? 危ない!」
アランの声が響く。
次の瞬間、アランは防御魔法を展開した。
巨大な光の盾が氷の槍を受け止める。
轟音。
衝撃。
そして、静寂。
「ベリアンヌ!」
アランが駆け寄り、彼女を抱きとめた。
「何やってんだよ! 危ないだろ!」
「……だって」
ベリアンヌは、彼の胸元をつかんだ。
「だって、あなたが……」
言葉が続かなかった。
怖かった。
彼が傷つくのが。
何よりも、怖かった。
アランは彼女を抱きしめたまま、震える声で言った。
「……馬鹿だな、お前」
「……あなたにだけは、言われたくありませんわ」
ベリアンヌは泣きながら笑った。
その瞬間。
アランの胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
第六話 鈍感男の正体
ベリアンヌは医務室で休んでいた。
結界内に入ってしまい、魔法の衝撃を受けたが、防御魔法のおかげで大きな怪我はなかった。
ベッドの横には、アランが座っている。
しかし、彼はずっと黙っていた。
いつもなら、くだらない冗談を言ったり、窓の外を見ながら話をしたりするのに。
今日は、何も言わない。
「……アラン?」
「ん?」
「どうかなさいましたの?」
「いや」
アランは視線を落とした。
「……俺、ずっと考えてたんだ」
「何を?」
「お前が、他の男と話してるのを見ると、嫌なんだ」
ベリアンヌの心臓が跳ねた。
「……え?」
「レオンと練習してたときも。ルシアンと話してたときも。何か、胸の奥がざわざわしてさ」
アランは困ったように笑った。
「最初は、心配してるだけだと思ってた。お前は何でも一人で頑張ろうとするから、もっと頼ってほしいんだって」
「…………」
「でも、違ったみたいだ」
彼は、ベリアンヌの手を握った。
「昨日、魔法薬の煙を吸っただろ?」
ベリアンヌの顔から血の気が引いた。
「な、何のことでしょう……?」
「先生に聞いた。あれ、感情を表面化させる魔法薬なんだってな」
「………………」
「俺、昨日からずっと、お前のことばっかり考えてた」
アランは真っ直ぐに彼女を見た。
「でも、薬のせいだとは思いたくなかった」
ベリアンヌは息をのんだ。
「だから、考えたんだ。薬がなくても、俺はお前のことを気にしてたんじゃないかって」
アランは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「お前が笑ってると嬉しい。お前が悲しそうにしてると、どうしたらいいか分からなくなる。お前が他の男と仲良くしてると、何で俺じゃないんだって思う」
彼の耳が赤くなった。
「……これって、好きってことなのかな」
ベリアンヌは、ぽかんと口を開けた。
そして。
次の瞬間、枕を彼に投げつけた。
「遅いですわああああああっ!」
「うわっ!?」
「遅すぎますわ! 三年ですわよ!? 三年間、わたくしがどれだけ頑張ったと思っているのですか!」
「えっ、えっ、何で怒ってんの!?」
「お弁当を作りました! 二人きりで食事に誘いました! 他の殿方と仲良くして嫉妬させようとしました! 恋愛魔法薬まで作りましたのよ!」
「…………あっ」
アランの顔が、みるみる青ざめた。
「もしかして……あのときの『好き』って……」
「そうですわよ!!」
医務室に、ベリアンヌの絶叫が響き渡った。
廊下を歩いていた教師が、何事かと足を止めた。
アランは両手で顔を覆った。
「うわああああああっ! 俺、何やってんだあああああっ!」
「本当に何をやっているのですか!」
「ごめん! マジでごめん! 俺、そんなつもりじゃ……!」
「分かっていますわよ! だから余計に腹が立つのです!」
ベリアンヌは涙目で彼を睨んだ。
アランは、しばらくうなだれていた。
やがて、彼は顔を上げた。
「……ベリアンヌ」
「何ですの」
「俺、今まで全然気づいてなかった。お前が俺のことを好きだなんて、考えたこともなかった」
「……知ってますわ」
「でも、今は分かる」
アランは彼女の手を握り直した。
「遅くなってごめん。俺、お前が好きだ」
ベリアンヌは、息を止めた。
「……え?」
「好きだ。ベリアンヌのことが」
アランは、顔を真っ赤にしながら続けた。
「最初は、助けたときのことを覚えてくれてるんだなって、嬉しかった。お前が笑ってくれると、俺も嬉しくなった。お前が困ってると、助けたいと思った」
彼は一度、深く息を吸った。
「でも、いつからか、それだけじゃ足りなくなってたんだと思う」
アランの手に、力がこもる。
「もっと一緒にいたい。もっと俺を見てほしい。お前が一番に頼る相手になりたい」
彼は、まっすぐにベリアンヌを見つめた。
「ベリアンヌ。俺と、つ、付き合ってください」
沈黙。
ベリアンヌは、瞬きもせずに彼を見ていた。
そして。
「……遅いですわ」
そう言って、彼の胸に顔を埋めた。
「本当に……遅すぎますわ、馬鹿……」
「うん。ごめん」
「三年分、埋め合わせをしていただきますから」
「うん」
「毎日、一緒にお昼を食べること」
「うん」
「帰り道も、一緒に帰ること」
「うん」
「お休みの日には、二人で出かけること」
「うん」
「……それから」
ベリアンヌは顔を上げた。
青い瞳が、潤んでいる。
「わたくしのことを、世界で一番大切にすること」
アランは笑った。
「ああ。約束する」
ベリアンヌも笑った。
今度こそ。
ようやく。
長い長い片思いが、終わったのだ。
最終話 恋愛魔法、命中しました!
それから一週間後。
王立ルミナス魔法学園に、ある噂が広まった。
あの鈍感で有名なアラン・デルシードが、ついに恋人を作ったらしい。
しかも相手は、学園一の美少女にして公爵令嬢。
ベリアンヌ・シャルベルト。
二人が一緒に歩いている姿を見ただけで、男子生徒たちは涙を流し、女子生徒たちは黄色い悲鳴を上げた。
しかし、当の本人たちはというと。
「アラン! 今日は一緒に帰りましょうね!」
「おう! あ、でも悪い。先生に頼まれた仕事があったんだ。先に帰っててくれ!」
「…………」
ベリアンヌの笑顔が凍った。
アランは慌てて付け加えた。
「あっ、違う! ほんとは一緒に帰りたい。できたら待っててほしい」
「……本当に?」
「本当だ!」
「……待ってます」
「おう!」
アランは小指を差し出した。
ベリアンヌは一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうにその指を絡めた。
「……はいっ!」
その光景を、遠くから見ていたエミリは深いため息をついた。
「……付き合っても、相変わらず鈍感男は健在ですわ」
隣にいたレオンが苦笑する。
「まあ、あいつららしいんじゃないか?」
「ベリアンヌ、これから大変そう」
「アランも大変だろ。何しろ、三年分の埋め合わせがあるらしい」
その日の放課後。
アランは先生の仕事を片づけ、約束どおりベリアンヌのもとへ戻ってきた。
夕焼けに染まる校門の前。
ベリアンヌは、花壇のそばで待っていた。
「待たせてごめんな」
「いいえ。わたくしも、少し考え事をしておりましたから」
「何を?」
ベリアンヌは微笑んだ。
「あなたと出会ってからのことですわ」
「……そっか」
二人は並んで歩き始めた。
少しの沈黙。
そして、アランが口を開いた。
「なあ、ベリアンヌ」
「はい?」
「俺、ひとつ聞いてもいいか?」
「何ですの?」
「お前、いつから俺のことが好きだったんだ?」
ベリアンヌは足を止めた。
そして、ゆっくりと彼を見上げた。
「…………本気でおっしゃっていますの?」
「えっ、何か変なこと聞いたか?」
「三年前からですわよ!」
「そんな前から!?」
「そうですわよ! 何度も申し上げましたでしょう!?」
「いや、でも、あれは……!」
「もう結構ですわ!」
ベリアンヌは顔を真っ赤にして、ぷいっと横を向いた。
アランは慌てて彼女の隣に並ぶ。
「ご、ごめん! でも、俺、これからはちゃんと気づくようにするから!」
「本当ですの?」
「ああ!」
「では、今、わたくしが何を考えているか分かります?」
「えっ?」
アランは真剣に考え込んだ。
ベリアンヌは、期待に胸を膨らませながら彼を見つめた。
さあ。
今度こそ。
今度こそ、正解してくださいまし。
「……お腹、空いた?」
「違いますわ!!」
夕暮れの校門に、ベリアンヌの叫びが響き渡った。
アランは慌てて頭を下げた。
「ご、ごめん! じゃあ、甘いもの食べに行こう! お前、ケーキ好きだろ?」
「…………好きですわ」
「よし! じゃあ、今日は俺がおごる!」
アランは笑いながら、彼女の手を取った。
「行こうぜ、ベリアンヌ」
ベリアンヌは、つないだ手を見つめた。
相変わらず、彼は鈍感だ。
自分の気持ちを察するのは、きっとこれからも苦手だろう。
きっと何度も、やきもきさせられる。
何度も怒って、何度も呆れて、何度も彼の鈍感さに振り回される。
それでも。
彼の手は温かい。
彼の笑顔は優しい。
そして何より、今はこうして、彼の隣を歩くことができる。
「……アラン」
「ん?」
「大好きですわ」
ベリアンヌは、今度こそ、はっきりと告げた。
アランは少し驚いたあと、笑った。
「俺も、大好きだよ」
その言葉に、ベリアンヌの頬が赤く染まる。
夕焼けの沈んだ空に、一番星が輝き始めた。
魔法の世界には、さまざまな奇跡がある。
空を飛ぶ魔法。
傷を癒やす魔法。
星を呼び寄せる魔法。
けれど、ベリアンヌは知っている。
どんな魔法よりも難しく、どんな魔法よりも嬉しい奇跡があることを。
それは、誰かを好きになること。
そして、その人も自分を好きになってくれること。
ただし。
「そうだ、ベリアンヌ! 今度、みんなで星を見に行こうぜ!」
「…………」
「今度こそ、天気がいいといいな!」
「…………アラン?」
「ん?」
「二人きりがいいですわ」
「えっ? 何で?みん」
「…………」
ベリアンヌは、深く息を吸った。
「あなたという人はああああああっ!」
王都の空に、今日も元気な公爵令嬢の叫び声が響き渡った。
その声を聞いた街の人々は、今日も平和だなあと笑った。
恋愛魔法は、まだまだ修行中。
けれど、二人の恋はこれからだ。
――そして、鈍感な勇者が恋心を完全に理解するまで、ベリアンヌの戦いは続くのである。
おしまい。




