里見先生
それから数日が過ぎて、あたしたちの城は少しずつ、けれど確実に汚され始めていた。 原因は、あの「脂ぎった肉の塊」――叔父様だ。
あたしが気まぐれに教えた「帝都建設」の株価は、予知通りに暴落した。 逆に「帝都製薬」は、新薬の発表で天井知らずに高騰した。
叔父様は、一夜にして、一生かかっても使い切れないほどの大金を手に入れたのだ。 そして、小金を持った人間が必ずそうするように、彼は「王様」の気分に浸り始めた。
玄関ホールには、悪趣味な金色の壺が置かれた。 古びた洋館のシックな陰影の中に、ピカピカと光る成金趣味の金メッキ。 まるで、美しい頭蓋骨に、一本だけ金歯を埋め込んだみたいで、見るたびに吐き気がする。
廊下には、目が痛くなるような極彩色の抽象画が飾られた。 画商に騙されて買ったのだろう。そこからは「才能」の匂いはせず、ただ「詐欺」と「インク」の臭いだけが漂っている。
そして今夜も、リビングには叔父様の下品な笑い声が響いている。
「 見ろ静、このヴィンテージワインを! 一本で数十万だぞ!」
叔父様は泥酔していた。 シャツのボタンを外し、だらしなく腹の肉を晒しながら、赤ら顔でグラスを掲げている。 以前のような、あたしに対する「怯え」は、もう薄らいでいる。
人間というのは単純だ。 懐が暖かくなると、自分が強くなったと勘違いする。 あるいは、アルコールで脳みそを麻痺させて、恐怖を忘れようとしているのかもしれない。 目の前にいるのが、自分の生殺与奪を握る怪物だということさえ忘れて。
「……叔父さん、飲み過ぎですよ」
お兄様が冷ややかに窘める。
「うるさい! 誰のおかげでこの屋敷に住めていると思ってるんだ! おい世璃、次はどこの株だ? もっとデカい山を当ててくれよ!」
叔父様が、脂ぎった手であたしの肩を叩く。 ペチン、ペチン。 その感触が、あたしの神経を逆撫でする。 あたしは無言で、肩に乗ったその手をじっと見つめた。
――汚い。 今すぐ、手首から先を噛みちぎって、暖炉に放り込んでやりたい。
あたしの口角が、ピクリと引きつる。 でも、あたしは本能的な殺意を理性でねじ伏せて、愛想よく微笑んでみせた。
「ええ、叔父様。また『いい匂い』がしたら、教えてあげますね」
「うむ。お前は聞き分けがいいな」
あたしが良い子にしていると、叔父様は満足そうに鼻を鳴らした。 そして、余計な一言を口にした。
「……あの陰気な姉(那美)とは大違いだ」
空気が、凍りついた。 お兄様の眉が、ピクリと跳ね上がる。 叔父様は気づかずに続けている。
「あいつは可愛げがなかったからなぁ。いつも俺たちを軽蔑したような目で見て……。 死んで清々したよ。 お前みたいな『使える』やつが生き残ってくれてよかった。 やっぱり、出来損ないの姉より、妹のほうが優秀だったってことだな!」
ギリッ。 お兄様が、膝の上で拳を握りしめた音。 関節が白く浮き出るほど強く、強く握りしめている。
許さない。 あたしは、お兄様の心の中で怒りの炎が燃え上がる匂いを嗅ぎ取った。 那美を愚弄された怒り。 そして、目の前の怪物を「優秀な妹」と褒められたことへの、生理的な嫌悪感。
大丈夫よ、お兄様。 この豚は、いずれ一番苦しい方法で『出荷』してあげるから。 それまで、もう少しだけ太らせてあげましょう。
あたしがお兄様の背中をそっと撫でて、怒りを鎮めようとした、その時だった。
ジリリリリリリリ……!!
廊下の電話が鳴り響いた。
黒電話のけたたましい音。
あたしたちの静寂を引き裂く、侵入者の警報。 この屋敷に電話をかけてくる人間なんて、もう誰もいないはずなのに。
「……ちっ、誰だこんな時間に。せっかくの酒が不味くなる」
叔父様が舌打ちをして、千鳥足で廊下へ向かった。 ガチャン、と乱暴に受話器を取り上げる。
「はい、もしもし! ……あ? 誰だ? ……里見?」
叔父様の顔から、酔いが少し醒めるのが見えた。 あたしは耳をそばだてた。
「……ああ、あの時の家庭教師か ……なんだ? 静の様子?」
お兄様が、ハッとして顔を上げた。
「里見先生……?」
お兄様の声色が、華やいだ。 その変化に、あたしは敏感に反応した。 まるで暗闇の中で光を見つけたような、縋るような響き。
あたしは不快感で眉をひそめながら、聞き耳の感度を上げた。
受話器の向こう側の音が、すぐ耳元で聞こえるように鮮明になる。 ノイズの向こうから、女の声が聞こえてくる。




