砕ける結界、呪われた約束
深夜2時。 屋敷の地下ガレージから、重厚なエンジン音と共に一台の黒塗りのセダンが滑り出た。 かつて叔父様が愛用していた、ドイツ製の高級車だ。 持ち主を喰らい、その財産も車も、すべてを自分たちの血肉として、あたしたちは出発する。
「……静様。ガソリンは満タンです。庭に放置されていた『お客様』の車から抜き取りました」
運転席の犬飼が、バックミラー越しに報告する。 その顔は、冷房が効いているはずの車内だというのに、びっしょりと嫌な汗で濡れていた。
「ご苦労様。いい車だね。叔父様も、最後に役に立って喜んでいるだろう」
後部座席のお兄様は、革張りのシートに深く沈み込み、満足げに頷いた。 あたしはその隣で、窓の外を睨みつけていた。
車が山道を下り始めると、すぐにヘッドライトが巨大な「壁」を照らし出した。 『全面通行止め』の黄色いテープ。そして、何段にも積み上げられたコンクリートブロック。 地元の老人たちが、あたしたちをここに閉じ込め、干上がらせようとした悪意の結晶だ。
「……ムカつく」
あたしは低く唸った。
「ねえ、お兄様。やっぱり引き返さない? あいつら、あたしたちを家畜みたいに閉じ込めようとしたのよ? 今すぐ引き返して、あの麓の集落、一軒ずつ押し入って全員食い散らかしてやりましょうよ」
あたしの言葉に、運転席の犬飼が「ひっ」と喉を鳴らし、ハンドルを持つ手がガタガタと震えた。
お兄様は、あたしの頭を優しく撫でながら、困ったように微笑んだ。
「魅力的な提案だけど、今は駄目だ。夜が明けてしまう。 それに世璃、美味しいものは最後にとっておくものだよ」
「ええー……」
「夏になったら、里帰りしよう」
お兄様は、さらりと恐ろしいことを言った。
「夏休み、お盆の時期がいいかな。 その頃なら、都会に出て行った若者や子供たちも帰省してきている。 ……人口が一番増えたタイミングで、一晩で食べ尽くせばいい」
お兄様の提案に、あたしはパァッと顔を輝かせた。
「あはっ、それ最高! 一夜にして住民が全員消えた村。 『杉沢村』みたいな都市伝説にして、地図から消してあげるのね!」
「そう。楽しみは夏までとっておこう」
お兄様は優雅に窓を開けた。 湿った夜風と共に、コンクリートの壁が迫る。 お兄様は身を乗り出し、異形の左足をぶらりと外に出した。
「だから今は――そこを退いていなさい」
ドガァァァァン!!
爆音と共に、数トンのコンクリート塊が粉々に砕け散った。 瓦礫がガードレールを突き破り、崖下へと吸い込まれていく。
「……開いたよ。行こうか」
お兄様が窓を閉める。 犬飼は、引きつった顔で「は、はい……」と答え、アクセルを踏んだ。 彼のワイシャツの背中は、汗でじっとりと透けていた。
無理もない。彼は知ってしまったのだ。 この悪夢は終わらない。 夏になれば、またこの悪魔たちを乗せて、ここを滅ぼすためにここへ戻って来なければならないということを。
車は、粉砕された結界を踏み越え、東名高速へと向かう闇の中を疾走し始めた。




