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城の世璃  作者: 秦江湖


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封鎖された楽園

あの「霊能者虐殺事件」から、数週間が経った。  西伊豆の街は、死んだように静まり返っていた。



 生き残った老人たちや、街の有力者は悟ったのだ。  あの屋敷には、手を出してはいけない。  警察も、霊能者も、暴力団も、送り込んだ者すべてが「餌」になって消えるだけだ。



 彼らが選んだのは、戦いではなく「封じ込め」だった。



 屋敷へと続く唯一の山道に、「土砂崩れのため通行止め」という看板が立てられた。  巨大なコンクリートブロックが積まれ、物理的に車が入れないようにされた。  さらに、地図上からもあの屋敷の存在は抹消され、カーナビにも表示されなくなった。


 街の人々は、崖の方角を見ることをタブーとし、子供たちには「あそこには鬼が住んでいる」と言い聞かせた。  完全なる無視。  腫れ物に触らない、事なかれ主義の極致。


 その結果。  あたしたちの城は、干上がってしまった。



「……お腹が空いたね、お兄様」


 リビングのソファで、あたしは呟いた。  もう一週間、何も食べていない。  以前のように「肝試し」に来る若者もいなくなった。道が塞がれているからだ。  庭の百合の肥料は足りているけれど、あたしたちの胃袋は空っぽだ。


「そうだね……」


 お兄様は、窓の外のバリケードを眺めていた。


 その顔色は、飢餓感で青白く、目がギラギラと光っている。  生肉の味を覚えてしまった身体は、もう缶詰やパンを受け付けない。



「彼らも考えたね。  僕たちを殺すのではなく、餓死させるつもりだ」


 兵糧攻め。  カエルたちが知恵を絞って考えた、精一杯の抵抗策。  このままでは、あたしたちは共食いをするか、干からびて死ぬしかない。



 その時。  裏口のチャイムが鳴った。


 ピンポーン。


 あたしは弾かれたように立ち上がった。  犬飼だ。  彼だけは、警察手帳を使って検問を抜け、山道を歩いてここまで通ってきているのだ。



 ガチャリ。  扉を開けると、犬飼が息を切らせて立っていた。  その手には、いつもの発泡スチロールの箱……ではなく、分厚い封筒が握られていた。


「……肉はないの?」


 あたしが不満げに聞くと、犬飼は首を横に振った。


 その顔には、奇妙な決意と、興奮の色が浮かんでいた。



「静様。世璃様。  ……もう、この場所は限界です」


 犬飼は、リビングに入り、お兄様の前に封筒を置いた。  中から出てきたのは、パンフレットと、鍵の束だった。


「……これは?」


 お兄様が眉をひそめる。


「新しい『お城』です」


 犬飼が、震える声で言った。



「東京。港区の湾岸エリア。  高級タワーマンションの最上階、ペントハウスです。  防音設備は完璧。セキュリティも万全。  隣人の顔すら知らない、希薄な人間関係……」


 犬飼は、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「そして何より……獲物が、山ほどいます。  見渡す限り、1千万人の人間が、ひしめき合って生きています。  あそこなら、どれだけ食べても、誰にも気づかれません」



 お兄様が、パンフレットを手に取った。  そこに写っているのは、煌びやかな夜景と、ガラス張りの摩天楼。  西伊豆の古びた洋館とは正反対の、無機質で、欲望に満ちた塔。


「……東京、か」


 お兄様が呟く。  その瞳に、夜景の写真が映り込む。


「ここを出るのかい?  那美との思い出が詰まった、この家を」


「那美様なら、一緒に連れて行けばいいのです」


 あたしは口を挟んだ。  お兄様の迷いを断ち切るように。


「この家の柱や、床板の一部を切り取って持っていきましょう。  それに、那美の『中身』は、あたしの中にいるんだもの。  場所なんて関係ないわ」



 お兄様は、あたしを見た。  そして、自分の左足を見た。  この足があれば、どこへでも行ける。  地獄の底まで、と言ったはずだ。



 お兄様は、ゆっくりと微笑んだ。  それは、田舎の魔王が、世界征服へと乗り出す時の顔だった。


「……そうだね。  この街の人間たちは、少し味が落ちてきたところだ。  新しい漁場へ移ろうか」


 お兄様は立ち上がり、犬飼に鍵を握らせた。


「案内しておくれ、犬飼さん。  僕たちの、新しい『狩場』へ」


「は……はいッ! 喜んで!」



 犬飼が、涙を流してひれ伏した。  彼はもう、刑事ではない。  魔王の側近として、大都会の闇を支配する気満々なのだ。



 こうして、あたしたちは「引っ越し」を決めた。  古びた因習の村から、欲望の坩堝である東京へ。  それは、一つの怪談の終わりであり、災厄の始まりだった。


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