お利口なカエルたち
数日後の深夜。
屋敷の周りには、異様な熱気が渦巻いていた。
集まったのは、二十人ほどの老人たちだ。 彼らは皆、白い装束に身を包み、手には数珠や御札、あるいは古びた日本刀を持っていた。 この土地の因習を守り続けてきた、自警団と霊能者の混成部隊。 彼らは屋敷を取り囲み、一斉に経文を唱え始めた。
「――南無、南無、穢れを祓いたまえ」
「悪鬼羅刹、退散せよ。この地より去れ」
低い読経の声が、重なってうねりとなり、屋敷の壁を震わせる。 彼らは本気だ。 屋敷の四方に「結界杭」を打ち込み、霊的な檻を作って、中の怪物を圧殺しようとしているのだ。 目に見えない圧力が、空気の密度を変えていく。
けれど。 屋敷の二階、テラスに出ていたあたしたちにとって、それは心地よい子守唄でしかなかった。
「……ふふっ。一生懸命ね」
あたしは手すりに頬杖をついて、眼下の老人たちを見下ろした。 彼らは必死の形相で祈っている。額に青筋を立てて、唾を飛ばして。 自分たちの「正義」と「霊力」が、あたしたちに通じると信じて疑っていない。
お兄様が、あたしの隣に立った。
ワイングラスを片手に、優雅に月を見上げている。
その横顔は、彫刻のように美しく、そして冷酷だった。
「世璃。あの頭を見てどう思う?」
お兄様が、顎で下をしゃくった。 そこには、禿げ上がった頭を並べて、一心不乱に経を唱える僧侶たちの姿があった。
「とっても怠けものね。お兄様」
あたしは即答した。 思考停止して、古い神様に縋るだけの、哀れな老人たち。
「彼らは自分たちが進化して、近代兵器までつくれるようになったのに、僕たちが全然変わらないと思っている」
お兄様が、グラスを揺らす。 赤い液体――若い男の生き血――が、波紋を描く。
「そうなの。 ちょっとお利口なカエルのくせに、あたしたちより偉いと思ってる」
あたしはクスクスと笑った。 井の中の蛙。 自分たちが作った狭い井戸(常識)の中で、世界の全てを知った気になっている。 井戸の外に、彼らの想像を絶する捕食者がいることも知らずに。
「まるで、僕のパパとママのように」
お兄様の声が、ふっと低くなった。 温度が消える。 絶対零度の殺意が、テラスの空気を凍らせる。
――ああ、そうだ。 あの老人たちの目は、あの日、那美が殺した両親の目と同じだ。
自分たちの欲望や恐怖のために、他者を犠牲にしても構わないと思っている、濁りきった目。
「お兄様。……許せない」
あたしの中で、那美の記憶が叫んだ。 『やっつけて』と。
「許せないね、世璃」
お兄様が頷く。 その瞳が、金色に発光した。
「やっつけようよ」 「ああ。ふたりでやっつけよう」
「どうやって、やっつけるか。ディナーの間に考えよう」
あたしたちはテーブルを挟み、昨日の奴らのストックを食べながら、どうやってやっつけるかアイデアを出し合った。 そして、閃いてしまった。
「ねえ、お兄様。 うるさいカエルの鳴き声をこっちから辿って、解剖してやろうよ」
「解剖かい?」
「うん。だって、あいつら自分から『紐』を繋げてきてるんだもん。 そこを引っ張れば、中身をひっくり返せるでしょう?」
お兄様は、面白そうに目を細めた。 あたしたちは「泥の王」。この大地そのものだ。
土地に根を張ろうとする彼らの霊術は、あたしたちにとっては血管に針を通すようなもの。
「名案だね、世璃。 あいつらの鳴き声を、もっと耳障りよくさせてやろう」
お兄様は、銀色のテーブルナイフを手に取った。
そして、躊躇いもなく、自分の左腕に刃を立てた。
スーッ。
赤い線が走り、鮮血が溢れ出す。 あたしも真似をして、自分の手首を切り裂いた。
ドボドボと流れる二人の血が、白いテーブルクロスを染め、床へと滴り落ちる。 床に広がった血溜まりが、黒い鏡のように波打った。
そこに、映像が浮かび上がった。 外で必死に祈っている老人たちの姿だ。 血の鏡は、彼らと霊的にリンクしている。
「さあ、誰からいこうか」
お兄様の指先が、血の海の中で何かを探るように動く。
「……見つけた。これが『縁』の糸だね」
血の底には、目に見えない無数の糸が張り巡らされていた。外にいる老人たちが、自分たちの命を削って編み上げた、呪いのネットワーク。
普通なら触れることさえできない霊的なパスを、お兄様は物理的な血管のように摘み上げた。
「硬くて、筋張っている。……ああ、この感触。何十年も凝り固まった、彼らの偏見そのものだ。だいたいわかったよ」
お兄様は微笑むと、一度手を上げると、血溜まりの中に映る、リーダー格の老婆に狙いを定めた。 そして、その胸元のあたりに、ゆっくりと、再び手を差し入れた。 チャプン。 まるで水面に手を入れるように、お兄様の手が血の中に沈む。
「心臓の形が悪いな。……握り潰してあげよう」
お兄様が、水面下で拳を握りしめた。 グシャッ。 湿った音が、ダイニングに響く。
その瞬間。 外から、老婆の絶叫が聞こえてきた。
「がはッ!? ……ご、ごふッ……!」
血の鏡に映る老婆が、白目を剥いてのけぞった。 次の瞬間、彼女の胸板が内側から爆発したように弾け飛び、肋骨と心臓の破片が撒き散らされた。
「ひ、ひぃッ!? ば、婆様が破裂した!?」
「な、何が起きたんじゃ!?」
外はパニックだ。 あたしは嬉しくなって、フォークを血溜まりに向けた。
「次はあたしの番! このお坊さんにする!」
あたしは、太った僧侶の口元に狙いをつけて、手を突っ込んだ。
ズブブッ。
あたしの腕が、僧侶の喉の奥深くまで侵入する感覚。
内臓の温かさが手に伝わる。
「お腹の中身、見せてあげる」
あたしは、指に力を込めて、思い切り左右に引き裂いた。
ベリベリベリッ!!
外で、僧侶の体が「く」の字に折れ曲がった。 そして、口から腹までが一直線に裂け、大量の臓物がドサリと地面にこぼれ落ちた。
「ギャアアアアアア!!」
「逃げろ! 術が逆流している!!」
生き残った者たちが、数珠を捨てて逃げ出そうとする。 でも、遅い。
「おや。帰すわけないだろう?」
お兄様が冷ややかに告げた。
ズズズ……。
庭の地面が、突然ドロドロの沼へと変わった。
「泥の王」の権能。それは、冷たい泥ではない。 地面の底から、灼熱の息吹が漏れ出している。
「あ、熱い!? 足が焼ける!!」
「バカな……これは泥ではない……! 溶岩じゃ……!」
逃げようとした老人たちの足が、足首まで、膝まで、ずぶずぶと焼けながら沈んでいく。
バカバカ。
自分たちが嫌がらせをしていた相手が、「悪霊」くらいにしか思ってなかったでしょあたしたちは全然違うの。
「足が! 抜けない!」 「地獄だ……ここは地獄じゃ……!」
動けなくなったカエルたちが、熱の中で藻掻いている。 あたしたちは、優雅に椅子に座ったまま、その光景を眺めた。
「ふふっ。豊作だね、お兄様」
「ああ。全員、綺麗に開いてあげよう」
お兄様とあたしは、ナイフとフォークを動かし続けた。
血溜まりの中の影を突くたびに、外で誰かが弾け飛び、ねじ切れ、裏返る。 まるで、スープの中の具材を切り分けるように。
断末魔の悲鳴と、肉が裂ける音が、美しい旋律となって夜を彩る。
あたしたちの服には、一滴の返り血もついていない。 ただ、床の血溜まりだけが、彼らの命を吸ってどんどん広がっていく。
やがて、外が静かになった頃。 庭は、ひき肉と泥を混ぜ合わせた、巨大なハンバーグのようになっていた。
その夜、村から二十人の人間が消えた。 死体さえ残らなかった。 ただ、屋敷の前の土が、妙に栄養を含んで黒光りしていたこと以外は、何も残らなかった。




