路地裏の舞踏会
雨に濡れたアスファルトが、ネオンの光を乱反射させている。 路地裏は、腐った生ゴミと、安いタバコの紫煙で満ちていた。 そこにたむろしていた3人の男たちが、あたしたちに気づいた。
「……あァ? なんだお前ら」
金髪の男が、吸い殻を指で弾き飛ばして近づいてくる。 あとの二人も、ニヤニヤしながら包囲するように広がった。
彼らはあたしたちを値踏みしている。 足の悪そうな優男と、世間知らずのお嬢様。 カモだと思っているのだ。財布を奪い、あわよくば女を弄ぼうという、下卑た欲望が透けて見える。
「おい、兄ちゃん。ここが誰のシマかわかって歩いてんのか?」
男が、お兄様の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。 お兄様は動かなかった。 ただ、月のように静かな微笑みを浮かべて、その手を見つめた。
「……汚い手だ」
お兄様の声は、ヴェルベットのように滑らかだった。
「でも、血管の浮き方は悪くない。 心臓も強く打っている。……うん、元気な食材だ」
「はぁ? 何言ってんだテメェ……」
男が怒鳴ろうとした瞬間。 世界が反転した。
ヒュン。
風を切る音すらしなかった。 お兄様の左足が、鞭のようにしなったかと思うと、男の膝関節を逆方向に粉砕していた。
グシャッ。
湿ったビスケットを握り潰したような音。 一拍遅れて、男の喉から絶叫が迸る。
「ぎゃあああああああッ!?」
男が地面に崩れ落ちる。 お兄様は、汚いものを避けるように一歩下がり、コートの裾を払った。 その仕草はあまりに優雅で、ここが路地裏であることを忘れさせる。
「静かにしたまえ。 せっかくの食事が、不味くなる」
「て、テメェッ! やりやがったな!」
残りの二人が、懐からナイフを取り出して飛びかかってきた。 殺気。恐怖。アドレナリン。 それらが混ざり合った「スパイス」の香りが、路地裏に充満する。
お兄様は、指揮者がタクトを振るように、右手を軽く上げた。
「さあ、踊ろうか」
銀色のナイフが、お兄様の心臓を狙って突き出される。 お兄様はそれを避けない。 紙一重。 ナイフの切っ先がコートのボタンを掠めるギリギリのところで、お兄様は男の手首を掴んでいた。
「遅いよ。 リズムが合っていない」
ボキリ。 手首をへし折る音が、小気味よいスタッカートを刻む。 ナイフが水たまりに落ちる。 お兄様は、悲鳴を上げようとした男の顔面を鷲掴みにし、そのまま路地の壁へと叩きつけた。
ドガンッ!!
コンクリートにヒビが入る。 男の頭部がトマトのように潰れ、壁に赤い抽象画を描いた。
「ひ、ひぃッ……化け物……!」
最後の一人が、腰を抜かして後ずさる。 お兄様はゆっくりと近づいていく。 異形の左足を引きずりながら。 その足音は、獲物を追い詰める死神の足音だ。
グチャッ、グチャッ、グチャッ。
「逃げるのかい? パーティーは始まったばかりだよ」
お兄様は、男の前にしゃがみ込んだ。 その瞳は、恍惚として金色に輝いている。 恐怖に歪む男の顔を、まるで愛しい恋人を見るように覗き込み、囁いた。
「君の恐怖は、どんな味がするんだろうね」
お兄様が口を開く。 白い牙が露わになる。 男の首筋に噛み付く瞬間、それは残酷な捕食ではなく、情熱的な口づけのように見えた。
チュウゥゥゥ……。
血を啜る音が響く。 男の身体がビクビクと痙攣し、やがて弛緩していく。 お兄様は喉を鳴らし、目を細めて味わっている。
「……ふう。 少し塩辛いけれど、悪くない。 野性味があって、ワインによく合いそうだ」
お兄様は口元を血で染めたまま、あたしを振り返った。 その顔は、背徳的な美しさに満ちていた。 かつて病室で本を読んでいた儚げな青年はもういない。 そこにいるのは、夜の支配者だ。
「おいで、世璃。 君の分も残してあるよ」
お兄様が、膝を砕かれて動けない最初の男を指差した。 男は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、必死で命乞いをしている。
「た、助けて……金ならある……!」
あたしはスカートの裾をつまんで、お兄様にお辞儀をした。
「ありがとう、お兄様。 いただきます」
あたしは男に覆い被さった。 悲鳴が上がる。




