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城の世璃  作者: 秦江湖


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世璃ここに誕生す

バリバリバリッ!!  


 私の背中が裂け、中から黒い奔流が噴き出した。


 それは、ただの液体ではなかった。  何百年もの間、この土地の底に堆積していた死者たちの怨念。  飢え、痛み、憎しみ。  それらが凝縮された、意思を持つ泥だ。


 その核にどろどろの溶岩のような泥の王がいる。


 泥の王の本質とは、悪霊などではない。  ここの「大地そのもの」であり、そのことを理解している者は誰一人としていなかった。  お腹の中の怪物に怨念と泥の王の力が結びついた。



「な、なんだこれは!? 違う、手順が違うぞ!」


 パパが太鼓のバチを取り落とした。  祭壇のロウソクが、黒い風に煽られて一斉に消える。  闇の中で、二つの赤い光だけが爛々と輝いた。  泥の中から現れた、怪物の瞳だ。


『――うるさい』


 怪物の声が、広間の空気を振動させた。  次の瞬間、黒い泥が鞭のようにしなり、パパの首に巻き付いた。


「がっ……!?」  


 悲鳴を上げる間もなかった。  ブチッ。  濡れた雑巾を絞るような音がして、パパの首がねじ切られた。  鮮血が噴水のように舞い上がる。


「あ、ああぁ……あなた!? 嫌ぁぁぁぁ!」


 ママが腰を抜かして後ずさる。  怪物は、ゆっくりとママの方へ向き直った。  その姿は、不定形な泥の塊から、徐々に人の形へと変わり始めていた。


『お前も、うるさい』


 黒い泥が波のように押し寄せ、ママを飲み込んだ。  骨が砕ける音。肉がすり潰される音。  断末魔の叫びは、泥の中でゴボゴボという泡の音に変わった。


 ――静かになった。


 私は、薄れゆく意識の中で、その光景をぼんやりと見ていた。  ああ、本当に終わったんだ。  パパも、ママも、もういない。  兄さんをいじめる人は、誰もいなくなった。



 ふと、身体の異変に気づいた。  痛くない。  さっきまで背中を焼いていた鞭の痛みも、腕に残っていた無数の痣の痛みも、嘘のように引いていく。


 見ると、私を包み込んでいる黒い泥が、私の傷口に吸い付いていた。  


 チュウ、チュウ。  


 まるで赤ん坊が母乳を吸うように、怪物は私の身体から「痛み」と「傷」を吸い取っているのだ。



 ――そうか。食べるんだね。  私の命だけじゃ足りないから。  私の痛みも、苦しみも、この身に刻まれた傷跡のすべてを、産まれるための糧にするんだね。



 見る見るうちに、私の肌から痣が消えていく。  裂けた皮膚が塞がり、白磁のような滑らかな肌に戻っていく。  皮肉なことだ。  両親がつけた醜い傷を癒やしてくれたのが、両親を殺した怪物だなんて。


 私の身体は、死ぬ直前にして、人生で一番美しくなっていた。  傷ひとつない、完璧な人形のように。



『……ありがとう、那美』


 頭の中に、無邪気な声が響いた。  あの子(世璃)の声だ。


『いただいたわ。あなたの痛みも、身体の設計図も』


 私の意識は、そこでプツリと途切れた。  暗い水底へと沈んでいく。  最後に思ったのは、兄さんのことだった。


 ごめんね、兄さん。  約束通り、私は綺麗になったよ。  ……さようなら。



 ***




 音が、止んだ。  両親の悲鳴も、何かを破壊する音も、すべてが唐突に消えた。  残っているのは、激しい雨音だけ。


「那美……?」


 僕は震える手で、ドアノブを回した。  鍵はかかったままだ。  でも、もう我慢できなかった。僕は部屋にあった重たい置物を持ち出し、何度もノブを叩き壊した。


 ガン! ガン! ガチャリ。  


 ドアが開く。  僕は車椅子を漕いで、廊下へと飛び出した。


 血の臭い。  鼻が曲がりそうなほどの濃厚な鉄錆の臭いが、広間の方から漂ってくる。  僕は這うようにして、広間の襖を開けた。


「……ッ!?」


 そこは、地獄だった。  壁も、畳も、天井も、すべてが赤く染まっていた。  部屋の隅には、両親だったものが、肉塊となって転がっていた。



 そして、部屋の中央。  血の海の中に、ポツンと、白い花が咲いていた。


 那美だ。  彼女は横たわっていた。  その姿は、あまりにも綺麗だった。  あれほど酷かった痣も、傷も、すべて消え失せていた。  まるで眠っているかのように、透き通るような白い肌で、安らかに目を閉じていた。



「那美!」


 僕は駆け寄り、彼女を抱き起こした。  冷たい。  呼吸がない。心臓も止まっている。  外傷はどこにもないのに、命だけが完全に抜け落ちている。


「嘘だ……那美、目を開けてくれ!」


 僕が泣き叫んだ、その時だった。  那美の身体の陰から、ヌラリと動く影があった。



「……お兄様?」


 鈴を転がすような声。  影が立ち上がり、月明かりの下に姿を現した。


 僕は息を呑んだ。  そこに立っていたのは、もう一人の「那美」だった。  顔も、髪も、声も、死んだ那美と寸分違わない。  けれど、その身体は生まれたばかりの赤子のように湯気を立て、瞳は爬虫類のように縦に裂けていた。



 怪物が、那美の姿を模倣まねて立っていた。


「だ、誰だ……君は……」


「あたし? あたしは……」


 少女は小首を傾げ、那美の死体を見下ろし、そして僕を見て、ニッコリと笑った。  無邪気で、残酷な笑顔。



「あたしは『世璃』。  お兄様の、新しい妹だよ」



 その瞬間、僕は理解した。  那美は、自分の命だけでなく、その肉体の情報すべてを差し出して、この怪物を産み落としたのだ。  僕を守るために。  そして、僕を一生この罪悪感で縛り付けるために。



 遠くで、サイレンの音が聞こえた。  警察が来る。  僕は、目の前の怪物――世璃の手を取った。  那美の死体と、那美の顔をした怪物。  僕にはもう、この地獄を受け入れる道しか残されていなかった。






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