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城の世璃  作者: 秦江湖


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邪悪は許さない

 リビングのソファに、お兄様と先生が向き合って座る。  あたしは、お兄様の隣にぴたりと張り付くように座った。  まるで、自分の所有物にタグ付けをするみたいに。



 テーブルの上には、あたしが淹れた紅茶と、缶入りのクッキーが並んでいる。  紅茶の湯気が、気まずい沈黙の間を揺らめきながら立ち昇る。



「……静くん。ずいぶんと、模様替えをしたのね」


 先生が、部屋を見回しながら言った。  その視線は、壁に掛けられた悪趣味な極彩色の絵画や、床に置かれた金メッキの置物に注がれている。  軽蔑と、困惑。  先生のきれいな眉間に、深い皺が刻まれる。



「ええ、まあ。叔父の趣味なんです」  


お兄様は、恥ずかしそうに目を伏せた。


「叔父さんは、最近……その、株で少し儲けたみたいで。気分転換だと言って」


「株? あの人が?」  先生の声が裏返る。


「失礼だけど、彼はそんな才覚があるような人には見えなかったわ。  昔は、いつも借金の言い訳ばかりしていたじゃない」


「ええ。……でも、運が良かったみたいで」



 お兄様は、ちらりとあたしを見た。  その視線には、ほんの少しの「恐怖」が混じっていた。  叔父様がどうやって儲けたか。そのタネを知っているのは、あたしとお兄様だけだ。  あたしは無邪気な顔をして、クッキーを齧った。  サクッ、という乾いた音が、静かな部屋に響く。


「……そう。運、ね」


 先生は納得していないようだった。  彼女は紅茶に口もつけず、探るような目で部屋の隅々を見ている。  何を探しているの?  叔父様の姿?  それとも、昨日ここに来て、二度と帰らなかったネズミの痕跡?



 残念ね。  叔父様はもうバラバラになって、流しちゃった。  ネズミさんは、あたしの胃袋の中を通って、もう消化されちゃったわよ。



「それで、その叔父様は? 今日はいらっしゃらないの?」


 先生が核心に触れた。  お兄様の肩が、ビクリと震える。  彼は膝の上で拳を握りしめ、喉を上下させた。嘘をつく準備運動だ。



「……旅に出ました」


「旅?」


「はい。急用が出来たとかで、昨日の夜から」



 苦しい嘘。  声が上擦っているし、視線が泳いでいる。  先生みたいな賢い人には、すぐにバレてしまう下手な嘘だ。  でも、先生はそれを追求しなかった。  むしろ、好都合だと言わんばかりに身を乗り出した。


 「そう。いないのなら、話が早いわ」


 先生の眼鏡の奥の目が、真剣な光を帯びる。  彼女は、お兄様の手の上に、自分の手を重ねた。


「静くん。単刀直入に言うわ」


「……はい」


「この家を出て、私のところへいらっしゃい」


 部屋の空気が止まった。  お兄様が目を見開く。


「え……?」


「叔父様から聞いたわ、電話で。  君の足、まだリハビリを始めていないんでしょう?  それに、この家の雰囲気……以前にも増して異様だわ。  あんな悪趣味な調度品に、昼間から漂うお酒の臭い。  そして何より……」



 先生は、ちらりとあたしを見た。  その目には、隠しきれない「忌避感」があった。


「まともな大人が管理している家とは思えない。  君のような繊細な子が、これ以上ここにいたら、心が壊れてしまうわ」



 心が壊れる?  あたしはおかしくて、吹き出しそうになった。  お兄様の心なんて、とっくの昔に壊れているわよ。  あたしが壊したの。  そして、あたしだけがその破片を繋ぎ止めているの。


 割れたティーカップを再生するように、小さな破片まで丁寧に集めてくっつけて、あたしが再生させたんだ。



「私、知り合いの病院に話をつけてあるの。  足の手術ができる、東京の大きな病院よ。  生活費のことも心配しないで。君ひとりくらい、私がなんとかしてあげるから」



 それは、完璧な提案だった。  お兄様が、心の奥底でのぞんでいた「救い」そのものだった。  那美がいきたかった「外の世界」への切符。 光の国への招待状。


「先生……僕、は……」


 お兄様の心が激しく揺れているのがわかる。  嬉しい。行きたい。ここから逃げ出したい。  お兄様の脳みその中で、そんな信号がパチパチと弾けている。  希望の匂いがする。  あたしが一番嫌いな、眩しくて痛い匂いだ。



 ……だめ。  お兄様はあたしのものよ。  あたしが、あたしという化け物が、この不安定な世界に繋ぎ止められているのは、お兄様という「鎖」があるからなのに。  その鎖を解こうとするなんて、絶対に許さない。


「……あら、先生」


 あたしは会話に割り込んだ。 子供みたいに首を傾げて、あどけない声で。


「お兄様を連れていくの?  じゃあ、あたしも一緒?」


 先生は、あたしを見た。 その表情が一瞬で曇る。 「困惑」と「憐れみ」。そして「処理に困る異物」を見る目。



「世璃ちゃん……。ごめんね」


 先生は言いにくそうに、けれどはっきりと告げた。


「あなたの病院の手配もしてあるの。 でも、静くんとは別の場所よ。 あなたには、もっと専門的な……精神の治療が必要だから」


 別の場所。 つまり、またあの「白い箱」にあたしを閉じ込めて、お兄様だけを連れ去るつもりだ。 あたしとお兄様を引き剥がそうとしている。



 ――敵だ。  


 この女は、叔父様よりも危険で、悪質な「敵」だ。


 最も邪悪だ!


 叔父様は、お兄様を傷つけるだけだった。 でもこの女は、お兄様を「救おう」としている。 あたしから、お兄様を奪おうとしている。



 殺そう。 あたしの喉の奥で、カチッ、とスイッチが入る音がした。 今すぐ、この場で喉笛を食い破ってやる。 この綺麗なスーツを、真っ赤な血で染めてやる。


 あたしが身構えて、爪を立てそうになった、その時だった。


 「……ごめんなさい、先生」



 お兄様が、先生の手をそっと離した。





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