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もしもシステムエンジニアが老子を学んだら---無為のデバッグ —— デスマーチを生き抜く「タオ」のエンジニアリング  作者: もしものべりすと


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第7章:器の効用は「空(虚)」にあり

「機能を捨てる? 本気ですか?」


リードプログラマーの松田が、信じられないという顔で相馬を見た。 ホワイトボードの前で、相馬は赤いマーカーを握りしめ、システム構成図に大きくバツ印をつけていた。


「本気だ。検索用インデックス作成処理、過去データのアーカイブ連携、そして管理画面のダッシュボード。これらを明日のリリース対象から外す(デタッチ)」


会議室に集められたチームリーダーたちから、どよめきが起こった。 これまで「あれもこれも」と追加され続けてきた仕様を、削る。それは彼らにとって未知の体験だった。


「しかし相馬さん、それらは要件定義書にある必須機能です。後で実装するにしても、今コードから切り離すと依存関係の解決が……」 「依存関係は俺が見る。お前たちは、コア機能である『申請データの保存』だけに集中しろ」


相馬はホワイトボードに向き直り、円を描いた。


「老子の第十一章にこういう言葉がある。『土をねてうつわすも、その無に当たりて器の用有り』」 「はあ……?」


松田たちがポカンとするのも無理はない。システム障害の対策会議で、いきなり古代中国哲学が飛び出したのだから。 相馬は苦笑しながら、円の中を指差した。


「つまり、コップが便利なのは、中に『空っぽの空間』があるからだ、ということだ。中身がガラスで埋まっていたら、水は入れられないだろう?」


相馬は視線をメンバー一人ひとりに巡らせた。


「今の俺たちのシステムは、機能という『土』を詰め込みすぎて、肝心のデータが流れる『空間』がない。CPUもメモリも、人間の頭もパンパンだ。だから詰まる。だから壊れる」


彼はホワイトボードのバツ印を叩いた。


「機能を削ることは、敗北じゃない。システムに『虚(空間)』を作る作業だ。その空いたスペースがあって初めて、システムは息ができ、お前たちも考える時間ができる」


「余白を作る……」松田が反芻するように呟いた。 「そうだ。松田、お前のチームは検索機能のチューニングで徹夜続きだったな。そのタスクをすべて停止する。今夜は帰って寝ろ」 「えっ!? で、でも……」 「寝るのも仕事だ。脳のメモリをクリア(GC)してこい。明日の朝、スッキリした頭でテストを手伝ってくれ。これは命令だ」


松田は目を見開き、やがて涙ぐむように何度も頷いた。 「……わかりました。帰ります。泥のように寝ます」


その瞬間、会議室の空気が変わった。 張り詰めていた悲壮感が消え、代わりに「やれるかもしれない」という前向きな意志が芽生え始めた。 「何をやるか」ではなく「何をやらないか」を決めること。 それはリーダーにしかできない、最も勇気のいる決断だった。


その夜、相馬は一人オフィスに残り、コードの依存関係を修正リファクタリングしていた。 不要なモジュールをコメントアウトし、複雑に絡み合ったスパゲッティコードを解きほぐしていく。 以前なら「汚いコードだ」と舌打ちしていた作業が、今は盆栽の剪定のように思えた。 枝葉を落とし、幹(本質)を太くする。 システムがシンプルになっていくにつれ、相馬の心も整っていくのを感じた。


『致虚極、守静篤(虚を致すこと極まり、静を守ること篤し)』


心を空っぽにして、静寂を守る。 キーボードを叩く指先から、焦りというノイズが消えていく。 モニターの中に、美しい論理の川が流れ始めた。

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