正論(88)男は歌いながら現れた
「ミズサワユキナサン、デスネ?」
VVEI東京征服本部怪人課課長、水沢雪菜は江口麻里からの電話に出る為、人混みを避け路地に入っていた。
遠目でセイロンガーだと思った男が、件の偽物であることは、あらわになっている口元を見ればすぐにわかった。
咄嗟に逃げようとしたが、路地の先は袋小路になっていて逃げ道がない。観念して雪菜は相手の質問に答えた。
「不躾に人に名前を聞く前に、自分が何者か言うべきじゃないかしら?」
努めて冷静に対応したが、内心は危険を感じて足は僅かに震えている。相手の身長は190cm以上に見える。身体つきも本物のセイロンガーに負けず逞しい。
「ワタシノ名前ハ、セイロンガー……。イヤ、アナタニハ意味ガナイデスネ」
「そうね、セイロンガーはそんなカタコトじゃないし、マスクも全然違うわ」
カタコトの日本語は相手が外国人であることを表している。
「ソウデショウ、アナタハセイロンガート親シイデスカラネ?」
「何が言いたいのかしら? まだ私の質問に答えてないわよ、あなたは何者なの?」
雪菜には、相手が外国人であることから、ある程度察しはついている。それが当たっていることは、次の言葉ではっきりとした。
「ワタシハ、本国、VVEI本社カラキマシタ、本物ノヴィランデス。今カラ、アナタヲ裏切行為デ拘束シマス」
相手は本物のヴィラン、そう言った。まるで日本のヴィランが丸ごと偽者のような表現である。
「は? 裏切ってどういうことよ! 私、そんな事してないわよ!」
「マダ……デスヨネ? アナタガ、ドクター大曲からIHA移籍ヲ打診サレタノハ、シッテイマス。ソシテ、アナタハソレヲ受ケルツモリダ」
(ぐぬっ、バレとる。私が保留したのは管理人さんに相談する口実であることも知られてるのかしら?)
小賢しいそのデート作戦は少なくとも江口麻里にはバレている。
「サァ、大人シク来テモラオウ」
偽セイロンガーが雪菜の腕を掴む。雪菜も武道の心得があるが、かじった程度では如何ともし難い力の差を感じた。
「離しなさい! 警察呼ぶわよ!」
「フハハハッ、VVEIガ警察トハ笑ワセル」
その時であった。雪菜には偽セイロンガーの影になって見えないが、通りから路地に入ってくる何者かの歌声が聞こえた。
「アメリカぁ〜のぉ貨物船がぁ〜♬ 桟橋ぃでぇ待ってるよぉ〜♬ あれ、アメリカぁ〜、違うか、アメリカぁ〜」
森進一の『冬のリヴィエラ』を真夏に歌いながら現れたのは、漆黒のヒーロースーツに身を包んだブラックオウガだった。
首に冷やしたネッククーラーを掛け、ハンディ扇風機をマイク代わりにゆらゆらと路地を歩いてくる。そして、タバコに火をつける。
「オウガ! 私よ、水沢! 助けて!」
「ん、水沢ちゃんか、どしたん?」
「ブラックオウガダナ、今裏切者ヲ拘束中ダ、協力シナサイ」
咥えタバコのオウガはカチンときて、
「あ〜ん? しなさい、ときたもんだ! 何だコイツはセイロンガーみたいな格好しやがって」
腕を掴まれたままの雪菜が叫ぶ。
「こいつはセイロンガーの格好で傷害事件を起こして罪をなすり付けようとしているの!」
手に持ったハンディ扇風機をウエストポーチに入れながら近づいて来るオウガ。
「ふーーん、なるほどねぇ……つうか普通じゃねぇか? 俺達はヴィランだろ。なぁ外人の兄ちゃん?」
オウガは咥えタバコのまま、偽セイロンガーの肩に手を置いた。
「ソウダ、ヴィランガヒーローヲ陥レル。ナンラ不思議ハナ……」
バゴォッ!
言いかけた偽セイロンガーの顔面、丁度マスクに覆われていない口元に、オウガの渾身の拳がめり込んだ!
油断して無防備に話していた偽セイロンガーは顎を強かに打ち込まれたことにより脳が揺れ完全にバランスを失った。オウガはよろけた相手を足払いで尻餅をつかせると、その顔面に膝蹴りを加える。壁とオウガの膝に挟まれ、小刻みにバウンドした偽セイロンガーは意識を失った。
相手を油断させ、確実に急所を打ち抜く、正にオウガ一流の喧嘩殺法と言えた。
オウガはタバコの火を偽セイロンガーのマスクで消しながら言った。
「悪いな兄ちゃん、セイロンガーには借りがあるんだ」




