正論(83)エンドゾーン
スターティングブロックに足をかけたセイロンガー。
ゴール地点を見据えて集中する。彼の中にある懸念は筋肉の増強による全身、特に腰から足にかけての骨や関節部分への負担である。ランニングマシンで自分の走力を超えるスピードで無理やり固定されて走るようなものだ。
マリンが真剣な表情でスタート地点のセイロンガーを見つめている。
「速そうだなぁ……でも転倒に気をつけないと、初めてだし身体が速さに対応出来ないかも」
測定をしようとストップウォッチを構えるトゥエルブが答える。
「私もスピード設定にした時はカタパルトに乗って飛び出した感じで転びそうになりましたね」
「カタパルト。いい事言うじゃん、トゥエルブ氏。さぁ集中しよう、時計なんて見る暇もないよ」
憂響がコールする。
「On your marks.」
その瞬間、セイロンガーの目の前に仮想のアメリカンフットボールのフィールドが広がる。5ヤード、約4.5mごとに引かれたライン、エンドゾーンまで約55ヤード、第4クォーター残り10秒、相手チームはロングパスに備えたディフェンス、前はガラ空きだ。
「Set.」
セイロンガーが腰を上げる。
(ハット!ハット!)
パンッ!
(ハット!)
獲物を狩る肉食動物が身を潜めた草むらから狙いを定めて飛び出すようにスターティングブロックを蹴り上げた。
(相手チームの誰よりも早くトップスピードに! さすれば、誰も俺についてくることはできない!)
膝を高く振り上げ、腕を振り推進力を爆発させる。彼の右手にはイメージで作り上げたフットボールがあった。
(サイドラインぎりぎり、エンドゾーンはもうすぐ。残るは後ろから追う、走力に勝る相手セーフティ。どうかわす……これだ!)
※セーフティ ディフェンスの最後尾でロングパスや前のディフェンダーが止められなかったボール保持者を止める役割。足が速く、タックルに優れる。
仮想のセーフティは彼をエンドゾーンに入れまいと後ろから猛然と飛び掛かる。それをかわすべく、セイロンガーはゴール地点の一歩手前でトルネードの如く腕を畳み回転しながら飛び上がった。
計測のトゥエルブは上を見上げ、一瞬、えっ!? となったが、彼がゴール地点を越える瞬間を逃す事はなかった。
美しく回転しながら肩口から前転で受け身を取りつつ着地するセイロンガー。
「は、速い! 記録は?」
マリンが興奮しながらトゥエルブに記録を催促した。
「3秒……05。3秒05です!」
ノーマル時の4秒98から2秒弱の記録更新。もし記録重視でゴールしていたら、3秒の壁を破っていたかもしれない。
一瞬の静寂の後、鳴り響くギャラリーからの拍手。
「凄いです、セイロンガーさん。まさかこれほどとは」
マリンが握手を求める。記録を破られた悔しさなど微塵もない晴れやかな笑顔だ。
「いえ、無我夢中で走っていたら目の前がエンドゾーンだったので驚きました」
「エンドゾーン……はて?」
マリンはアメフトを一度も見たことがなく、ルールも知らない。
「先輩、アメフトのタッチダウンするエリアのことですよ」
トゥエルブは何となくの予想で言った。
「ほう、トゥエルブさんはアメフトがわかる人でしたか?」
アメフトがわかる人に敏感なセイロンガー、嬉しそうだ。
「いえ、全然知らないです……」
「……そうですか」
凄く残念そうだ。
楽しげに話しながらゴール地点からスタート地点へと戻る3人。
「セイロンさん! やったぁ、やったぁ!」
タオルを持ってこちらにピョコタンピョコタンと跳ねながら駆け寄る真由美の姿が見える。
「ほら、可愛いのが来ましたよぉ、セイロンガーさん?」
マリンは少し冷やかすように言った。




