正論(81)驚愕の記録
トレーニングアリーナ短距離トラックで50m4秒98の記録をノーマル設定で叩き出したセイロンガーは50mライン付近でこれから走るスタート地点のホワイトピーチ・マリンに注目していた。
「セイロンガーさん、マリン先輩の動きを見て下さい。腕や脚を叩いたり、スクワットしたりしてますよね?」
計測を任されたトゥエルブがマリンの準備運動を説明する。
「ふむ、あれは増強した筋肉に刺激を与えてパンプアップしているのでしょうか?」
セイロンガーは、陸上をあまり観ないが短距離選手がスタート前に身体を叩いている記憶があった。
「はい、スーツの設定を変えると対応する筋肉に対しサポートが入って増強されるわけですが、いきなり負荷のかかる短距離走のような運動を行うと、筋肉を痛める原因となります。また、パフォーマンスを発揮する為の慣らしの効果もあります」
「なるほどぉ……。あっ、ごめんなさい!」
真由美はトゥエルブの説明を真剣に聞いていたので思わず声が漏れた。真由美はタオルを持ってセイロンガーの斜め後ろに控えて、まるで陸上部のマネージャーのようだ。
「真由美さん、代わりに答えてくれてありがとう」
フォローするようにセイロンガーは礼を言う。
「えへへ……」
真由美はセイロンガーがちゃんと構ってくれることに嬉しくなって照れ笑いした。
スタート地点では、マリンがゆっくりとスターティングブロックに向かう。
五百旗頭憂響がコールを始める。
「On your marks.」
マリンが左足を前にセットし、右足をブラブラと揺らしながら後ろにセットする。
周囲には遠目に見ていたトレーニング中のヒーロー達が、マリンがスピード設定で記録を測ると聞いて集まって少しざわついていたが、今はしわぶきひとつ無い静寂に変わっている。
「Set.」
マリンが腰を上げた。
パンッ!
マリンが絶好のスタートを決める。
前傾姿勢で右足を蹴り上げて飛び出し、増強された筋肉の働きが前方への推進力の一点に集約される。
マリンは、ストライドこそ小さいが、早回し再生の如く、ピッチと腕振りを尋常ではない速さで繰り返す。軽快かつ力強い、爆発的スピードという言葉が正に相応しい走り。マリンには50mは短すぎて上体を起こす間もなく前傾姿勢のまま、ゴールした。
勢い余った彼女は、転倒しそうになるが、そのまま手を付き、側転からドンッと足で踏切り、前方宙返り3回半ひねりで降りた。
「3秒82!」
トゥエルブが叫ぶと同時にアリーナにどよめきと歓声が起こった。IHAの最速記録は、ある男性ヒーローの3秒91である。マリンの記録は、それを大きく更新した。
「おおーー!」
「新記録出たーー!」
「体操の助走……にしちゃ速過ぎだろ」
マリンがゆっくりと歩いてセイロンガーの元へ歩み寄る。
「ふぅ、セイロンガーさんの記録を見て頑張っちゃいました。スピード設定で負けるわけにいかないので……」
「いや、本当に驚きました。人間がここまで速く走れるとは……」
自分の記録もそうだが、ヒーロースーツがこれほどまで人間を超人化させることに、セイロンガーは驚嘆していた。
「まぁ、スーツのお陰ですね。セイロンガーさんもスピード設定はゴール後が危ないので気をつけて下さい!」
マリンは簡単に言ってのけるが、日頃の鍛錬で鍛え上げた肉体がベースにあってこそなのはセイロンガーも理解している。
次はいよいよ、セイロンガーのスピード設定を測定する番だ。彼はその場で膝を付いてリセットボタンを押し、スーツをリラクゼーションモードに切り替え、ゆっくりとスタート地点に戻っていく。その後ろを真由美がタオルと飲み物を持って付いていった。
(セイロンさん、怪我しないように、でも頑張って!)
真由美はそう祈るのだった。




