正論(75)セイロンガーの矜持
IHA東京トレーニングセンター、調整ルーム。
ここは、IHAに所属するヒーローがヒーロースーツのカスタマイズや修理を行う施設である。
大曲博士が『TOP SECRET』とスタンプされた冊子をセイロンガーに渡し、DIPスイッチについてのレクチャーを始める。
「それでは、赤い稲妻……いや、セイロンガーくん、着ている服を脱いで全裸になってくれたまえ」
「全裸だと?」
セイロンガーが聞き返す。
「いやいや、普通ヒーロースーツの上から服は着ないものだろう?」
さも当然のように大曲博士が指摘する。しかし、それを聞いたセイロンガーは静かに話始める。
「"普通"か……。言わせてもらうが大曲博士、"普通"ヒーローというものは、人としての姿とヒーローの姿を使い分けるものではないか?」
「ううむ」
やぶ蛇の形となった大曲博士が唸る。
「そこにいらっしゃる憂響さんも、壽翁さんも、真佐江さんも、普段は普通の姿で普通の暮らしを営んでいる。しかし、俺は違う。この異形の姿で仕事し、食事し、シャワーを浴び、寝ているのだ」
「いや、それはすまない。だからこそアップデートによって変身機能をだな……」
「まぁ、聞け。いや、聞いてくれ。俺は、貴様らに承諾もなしに改造を施された被害者だと言っていい。俺にはあの頃、交際している女性がいた……」
「あの! 私、席外しましょうか?」
麻里が思わず言った。聞いてはならない告白が始まる気がしたのだ。
「いえ、麻里さん。貴女もこれからは仕事上の敵ではなくなるのですから、聞いてもらいたいのです」
「わ、わかりました……」
セイロンガーは話を続ける。
「話を戻そう。その交際している女性とは、この姿になってから別れた……。優しい彼女はこの姿でも構わないと言ってくれたが、俺にはこの姿のまま、仮に結婚したとしても、彼女を幸せにしてやれる未来が想像出来なかったのだ」
「そうだったのか……君だけでなく、その女性にも本当にすまないことをした……申し訳ない」
大曲博士は頭を下げて謝罪した。セイロンガーが既にヒーローであることを完全に受け入れていると、勝手に思い込み、当然のように話を進めてしまっていると気づいた。
「別に謝って欲しくてこんな話をしたわけじゃない。ただ、俺はこの姿になっても己の人生を嘆くことはしたくなかった。ヒーローの姿のままならそれでも構わない。好きな仕事をし、好きな趣味を嗜み、好きな服を着る。それが俺の矜持だ。だから、俺が着ているこの服には、大きな意味があるのだ。私服も仕事用のスーツもワンサイズ大きくなったがな……」
(管理人さん……そんな思いを抱えていたんですね。何処となく漂う哀愁はそういうことだったんだ……)
マンション経営をして、高級車を乗り回し、優雅な人生を謳歌しているように麻里には見えていた。格好良く見えるヒーロースーツも24時間、365日となると本人しかわからない苦しみがあるはずだ。
「少し喋りすぎた。服を脱げば良いのだな?」
「あぁ、頼む……。脱いだら腰のベルトのボックスを開けて、DIPスイッチを出してくれるかな?」
服を脱いだセイロンガーはベルトに装着されたボックスの中をプッシュして、さらに中にあるDIPスイッチ部をあらわにした。
「念の為、そこの椅子に腰かけてから、DIPスイッチの横にあるボタンを長押ししてくれ」
セイロンガーがそのボタンを長押しすると、ガクンと力が抜けたように項垂れた。立ったままだったら、崩れ落ちていたかもしれない。
「どうだね?」
項垂れたセイロンガーがすぐ頭を上げて反応する。
「うむ……一瞬ブラックアウトした。これは?」
「リセットスイッチだ。改造以来、君の中には大量のデータが蓄積されているが、それをリセットし、再構築するものだ」
「確かに頭がスッキリした気がするな。良い睡眠を取れた後のようだ」
「DIPスイッチのセット前には必ずリセットする必要がある。最初はブラックアウトに戸惑うかもしれんが、君ならすぐに活動しながらこなせるようになるだろう」
「ふむ、この機能だけでも早く教えて欲しかったな。仕事で疲れたらボタン長押しで頭がクリアになるならヒーロースーツも悪くない」
セイロンガーは重くなった場の空気を和ませるように言った。




