正論(70)はい、いっちに
IHA東京トレーニングセンター。
ここは東京郊外にある、硬い岩盤の山を繰り抜いて作られた極秘施設である。衛星写真で見ても外観は何の変哲もない山にしか見えない。
施設へのメインとなる出入りは、厳しい検問所を通過し、長いトンネルを抜けるルートのみとなっている。
例外的に、登山道(と言っても一般の登山者から見向きもされない低山だが)を登った途中に、場違いな寂れた茶屋がある。そこの老店主にメニューに無いカレーライスを注文しながらIHAのIDを提示すると、無言で店の裏からトレセンへと続くエレベーターに案内される、という出入り口がある。しかし、このルートの使用は非常時のみとなっている。
施設入り口でセイロンガーと別れた真由美はトゥエルブに案内されトレーニングアリーナへと移動し、更衣室で体操着に着替えた。
(はぁ……結局、体操着に戻っちゃった。運動なんてしないでセイロンさんを見学できるんじゃないかって淡い期待してんだけどなぁ)
中高と文芸部の真由美は運動はからっきしであり、本人もそれで良いと思っている。
(私、鈍くさいからセイロンさんに迷惑かけてるし、もうちょっと運動出来たらなぁとは思うけど……)
しかし、運動したいと言ったのはセイロンガーとドライブデートしたい一心で言った方便でしかない。真由美は肩を落としながらトレーニングアリーナへと向かった。
学校の体育館の3倍はあろうかと思われる広さのトレーニングアリーナ。極秘なのにも関わらず観客席まであるが、おそらく関係者の視察用であろう。中では数人の女性がトレーニング中のようだ。
トゥエルブがアリーナ中央で待っている。
「真由美お嬢様、今日は1日宜しくお願いします」
「あの、お姉さん。私本当に運動音痴なんです」
「奥様から聞いています。腕立て伏せ、腹筋共に記録0回だとか……」
「ち、ちがうんですっ、お母さん、腕立て伏せは床に顎つくまでおろしなさいとか、腹筋は反動つけちゃ駄目とか厳しすぎるんです……」
「でも、腕立て、腹筋はそういうものなので……」
(ダメだぁ、トゥエルブお姉さんもお母さんと同類の人だった……。きっとお母さんみたいに指立て伏せとか、片腕立て伏せとかするんだ)
「でも、お嬢様はヒーロー志望じゃないですから、私はそこまで求めませんよ。まずは怪我しないようにストレッチから始めましょう!」
「はい……」
真由美は床に座り、開脚して床に伏せた。
「あら、身体柔らかいですね?」
トゥエルブが驚きの声を上げる。
「はい、小6までクラシックバレエやってたので。もう辞めちゃいましたけど」
バレエ音楽は大好きだったが、ダンスの練習はかなりハードで真由美はついていけなかった。
「なるほど、ちょっと失礼しますね」
トゥエルブは真由美の腕や脚の筋肉を確かめるように揉み揉みした。
「ふむふむ、お嬢様の場合、単純に筋力不足ですね。決して運動音痴なわけではありません。なんと言ってもスカイホーネットとハニービーの血をひいてるわけですから」
ムキムキの両親を見て、本当に2人の子供なのかなと思ったこともある真由美。
「はいぃ……」
「ちょっと走ってみましょうか。20mくらいで良いので走ってまた戻ってきて下さい。はい、よーいスタート!」
真由美はドタバタと走る。走って戻って来る姿は目をつぶり、紅潮した顔を斜めに傾げ、腕を曲げているが全く振らず、脚は内股で膝は僅かしか上がっていない。今にもつまずきそうな走り方である。
「はい、わかりました。走り方可愛いですけど、めちゃくちゃ遅いです」
「うう……わかってます」
「まず、フォームから直しましょう。その場でゆっくり足踏み、はい、いっちに、いっちに、手を大きく振って、いっちに、いっちに、脚を真っ直ぐ、膝を上げて、いっちに」
「はぁ、はぁ、いっち、に、いっち、に」
「そのフォームで、スピード上げまーす。いっちに」
(はぁ、はぁ、私、はぁ、はぁ、何してるんだろう……)
真由美のトレーニングはまだ始まったばかりだ。




