正論(44)ヨダレ
研究室を後にしたセイロンガーは1階ロビーへと戻った。
戦闘員達は解散して居ない。居るのは入り口に倒れているゴリラ怪人暴れ太鼓とそれを介抱するコモド怪人ヨダレだけだった。
「トカゲ、そこを退いてくれ。俺は用が済んだから帰る」
ヨダレは黙ったまま、暴れ太鼓の両脇を持ち引き摺るように入り口から退かせた。
ヨダレの口からは相変わらず涎が垂れていて、それが暴れ太鼓の顔や身体にかかる。
「おで……汚ねぇか?ジュルッ、いづもヒーローと戦闘になると相手がおでを避けるんだ、ジュルルッ、そでをおでが追うと悲鳴をあげて逃げるんだ、ヒーローが。そでを喜んでいたけども……」
話す事によって、さらに大量の涎が暴れ太鼓にかかって、水から引き揚げられた様になっている。
それを見ていたセイロンガーが静かに言う。
「汚いのはお前ではなく、その涎だ。その口の構造的に涎が垂れてしまうのは仕方のない事だが、辺りに撒き散らしたり、相手にかけたりすればやはり汚いと思われるだろう。それは恐怖では無く嫌悪だ。お前が希望したのか、勝手に改造されたのかは知らんが、少なくとも涎を武器にするのはやめた方が良いんじゃないか?見てみろ、ゴリラが窒息しかけている」
「嗚呼ぁぁ、暴れ、ずまねぇ、ジュルルッ、あぁまだ垂れた……」
ヨダレは暴れ太鼓の顔から涎を払ったが、次から次へと涎が垂れる。
いつの間にか、涎の中に涙が混じっている。
「お前を改造したのは大曲博士か?」
「ちがう、チャールズ博士だ、ジュルッ」
「そいつに相談する事だ。ではな……」
セイロンガーは涎まみれの床を華麗に飛び越えながらVVEIの本部ビルを後にした。
入り口に駐車場した車の側に1人の黒服戦闘員。
「何をしている?」
「イーッ!じゃなかった、セイロンガーさん。覚えていますか?自分です」
戦闘員はマスクを脱いだ。汗ばんだ顔、乱れた髪型、季節は初夏、いつもマスクをしていては暑い事この上無いだろう。
「君は……チャイコフスキーが好きな?」
「そうっす!覚えてくれてて嬉しいっす」
「で、その君が何を?」
「いや、セイロンガーさんの車に攻撃しようとする戦闘員がいたんで、この車の価値を教えて止めてました」
「そうか、ありがとう。少ないが、チップだ」
セイロンガーは戦闘員のポケットに小さく折りたたんだ一万円札を押し込んだ。セイロンガーはいつでもチップを渡せる様、数万円分のチップを用意しているのだ。
「いや、こんな事……でも、ありがとうございます!」
「ではな……」
セイロンガーはドアを開けた。ドアが真上に開く。
「おぉ……これがシザードア。かっこいい!」
「君は車も好きなのか?良くガルウィングと言われるがシザードアと言われるのは珍しい」
「はい、昔からの憧れのメーカーなんです!いつか乗りたいな、なんて無理な話ですけど」
「そんな事は無い、君の努力、そして行い、それがもたらすラック次第だ」
車に乗り込むセイロンガー。スタートボタンを押す。
シュオォ……ブォーーン……ボボボボボボ……
「ふぅ……」
セイロンガーは一息付いた。会話自体、嫌いでは無いがあまり色々な人と話し、言葉を紡ぐほど疲労が蓄積していくのを感じる。
『お疲れですか?』
統合AIエミリーが問いかける。
「あぁ、少しな」
『では、何か曲をかけますか?』
「Lou Rawls」
彼はもう決めていたかの様に男性ジャズシンガーを指名した。
『God Bless the Childですか?』
「わかってるね、エミリー」
『オートパイロットでご自宅までご案内します』
「静かにな、安全運転で宜しく頼む」
やがて車内に低く伸びのあるお気に入りの唄声が響いてきた。




