【短編小説】埋葬したい
人が、埋まっている。
気づいた時には叫びそうになった。
いや、自分でも荒唐無稽なことを言っているのはわかっている。
しかし現に、目の前に生きている人が埋まっているのだ。
男は穴に仰向けに横たわっていた。穴のわきに土の山があり、穴を掘った後の残骸だということがわかる。
彼の身体には、かすかに土がかかっている。自分で自分の身体に土をかけたようだ。
あ、目が合った。
「つ、通報しないでください!!!!」
男は勢いよく身を起こして目を見開き、震える唇で叫んだ。
いや、叫びたいのはこちらの方なのだが。
彼は必死の形相でつづけた。
「怪しいものではございません」
まさか現実世界でこのセリフを聞く日が来ようとは。
「どう考えても怪しいですよ。半分土に埋まっているような男なんか」
しかもここは山の中。
男は青い顔で、
「もしかして、ここはあなたの私有地ですか?」
と尋ねてきた。
「いいえ、私は散歩していただけです。黙っておきますから、どうか落ち着いて」
黙っておく、というか、こんな話言えるはずがない。
こちらの正気が疑われてしまうじゃないか。
「どうしてあなたは……、その、埋まっているのですか」
男は一度うつむいてから、決心したかのような顔をした。
「自分を埋葬したいのですよ」
「……自分を埋葬?」
話の続きをうながすように首をかしげると、下半身を土にうずめたなんともシュールな格好のまま彼は話し始めた。
「僕は小学生の頃、猫を飼っていました。ある日、猫は寿命を迎え、死んでしまいました」
彼の中では悲しい思い出なのだろう、その目は少しうるんでいた。
「僕たちは家の庭に、猫を埋めました。その時に母から、『埋葬』という言葉を教わりました。亡骸を土に埋めることで、死んだ魂を悼む儀式があるのだと」
うるんだ瞳のまま、彼はうつむいた。
「その後大人になった僕は就職に失敗し、仕事を失いました。『この命を終わらせたい』と思うほどに落ち込みました。そんな時思い出したのです」
「猫を『埋葬』したことを?」
「その通りです」
それがいったい、自分の埋葬にどうつながるのだろう。という私の疑問は顔に出ていたらしい。彼はつづけた。
「生きていくのは苦しいけれど、正直自決する勇気はありません。それならば、自分を『埋葬』すれば、一時的に自分を殺すことができるのではないかと思ったんです」
「……なるほど?」
わかるようでわからん。
「つまり、僕にとって土の中は、『死者の領域』だということです。僕自身が土に埋まることで、自分が仮死状態にある、つまり現実から乖離した存在であると思いたかったのです」
「要するに、現実逃避ということですか」
私の少し無情な相槌に、彼はさらに深くうつむいた。
「その通りです。僕は自分自身を埋葬することで、生きることから背を向けているのです」
彼の垂れた頭には、重くて苦しい現実が覆いかぶさっているように見えた。
「やっぱり怪しいですよね」
ぽつりとつぶやく。その肩は縮こまり、すぼまっている。
彼は現実から追い出されてしまったのだ。そして今も。私から「怪しい」と言われ、「普通の人間」の範疇から追い出されるのを恐れている。
「……私も埋まってみていいですか」
私の言葉に、彼は頭をおもむろに持ち上げた。信じられない、と言いたげな表情。
彼の返答を待たずに、私は穴に近づいた。彼は驚きすぎて言葉を発せない様子だったが、その場所を素直に私に譲った。
横たわってみると、ひんやりとした土の感触が背中に伝わってきた。視界は森の緑でいっぱいになり、人間一人の存在がいかに小さいものか、その堂々とした姿で教えてくれる。湿り気のある土の香りが、鼻腔をくすぐっていく。
『死者の領域』と彼は言ったが、私は土の中に『生命』を強く感じた。死とは、新たな再生を意味するのだろうか。
「なんというか、意外と気持ちがいいですね」
彼はとたんに笑っているような、泣いているような、くしゃくしゃの顔になり、なんとか「ありがとうございます」と私に告げた。
「私にはあなたの気持ちがすべてわかるわけではありませんが、あなたの『埋葬したい』という気持ちを尊重します。今日のことは誰にも言いません」
きっと彼の人生には、たくさんの困難があったのだろう。ほんの少し現実から逃げるだけで生きていられるなら、迷わず逃げるべきだ。
私が身を起こし穴から出ると、彼はまた頭を下げた。
「あなたのような方に会えてよかった。明日からは、自分を埋葬しなくてもいいかもしれません」
そして彼はにっこりと笑った。
出会ってから始めてみた表情だ。
その笑顔から、彼はきっともう大丈夫なのだ、と感じられた。
彼と別れ、私はまた森の中の道を歩いた。
なんとも面白い経験をした。世の中、突飛なことをする人がいるものだ。もっとも、それで彼が救われているのなら、否定する意味もない。
それに、「もう自分を埋葬しない」と言っていた。
彼が私に受け入れられたことで、『埋葬』をやめられたこと。
これは私にとっても大変素晴らしいことだ。
あとは、明日の散歩で再び出会わないことを祈るのみだ。
しかし、本当に肝が冷えた。
一瞬生き返ったのかと思った。
彼のような人間がいる以上、次からは埋める場所に気を付けなければならないだろう。
目的地についた。
緑が生い茂った、山の奥深く。
私の『埋葬』は掘り起こされていない。
願わくば永遠に『死者の領域』にとどまっていてほしいものである。