幼児退行
5歳の夏休み、近所に住むはとこのナナミと私の母親と双子の妹のユメカと4人で地元のお祭りに行った。母は酒を飲み地元の知り合いと楽しく話していた。ユメカは夏休み中お風呂掃除をしていたので自分が好きなプリンセスのペンダントを買ってもらったらしい。ナナミはたんまり貰ったお小遣いでエアガンのクジや風船を買ったりして、それをとても羨ましかったことをよく覚えている。
母親が酒を飲んでいたのでナナミの母親に車で迎えに来てもらい、私たち双子はそのままナナミの家に泊まろうと思っていた。2時間くらい経ち、やることが無くなって来たことやママっ子を拗らせたユメカは家に帰ることになりナナミの母親に送ってもらったらしい。
そこからナナミがDSでポケモンをし始めてしまい私が暇をしていると下の階が騒がしくなり始めた。行こうとするとナナミは「おばあちゃんとおじいちゃんの部屋には入っちゃダメって言われてるから入らんで」と言われ諦めて部屋で大人しくしていることにしたが、どうもジッとしていられなくてナナミのおばあちゃんに送ってもらうように頼んだ。了承はしてくれたのだが、どうやら様子がおかしかったのでかなり待たされた。近所なので歩いて帰ろうとしたらナナミのおじいちゃんに怒られてしまい結局1時間以上待ったと思う。
その後私のおじいちゃんが迎えに来てくれて車に乗った。
家に着くといつも開いているはずの引き戸が閉まっていた。おじいちゃんに肩車されて2階の寝室に行く時、「じいじ、なんでここ閉まっとるの?」と聞くと困ったように「分かんないから、早く寝よう」と言われた。
帰ってきたのは夜遅くだったのでその日はそこからすぐ寝た。
起きると右側にお母さんが座っていた。初めてのことだったのでビックリしながら座っていた理由を聞くと、ボロボロ泣きながら「ユメちゃんが車にひかれて死んじゃったの」と割に大きな声で言われた。お母さんが泣いているところを初めて見たので話の内容よりそちらに気を取られていた。
すると引き戸が開き、単身赴任で東京にいるはずの父が顔を覗かせた。
私が情報過多で戸惑っていると「ユメちゃんに会いにいくか」と言いおんぶされ階段を下った。
その間"死"を考えたが、その時まで親戚や友人が亡くなったことなんて無かったので虫くらいにしか使ったことがない言葉だった。そんな私に双子の妹が死んだなんて到底理解できるわけが無い。
昨晩閉まっていた引き戸を開けると、東京にいるはずの叔母さんが居て部屋の真ん中には白い敷布団が敷いてあった。
いつも遊んでいた部屋が一気に見たことない部屋になっていた。
私が来ると大人たちは泣き出し目を逸らし始めた。
敷布団を見ると、その年の誕生日プレゼントに買ってもらったプリンセスのドレスを着てティアラを付けてる顔色の悪い女の子が寝ていた。
涙も出なかった
『あー知らない人だ』と、謎の確証を持ち部屋を移動した。顔にあった血痕と痣が脳裏に刻まれてしまい、ただボーッとするしか無かった。その日の記憶はそんなもんしかない。
次の日「本当にすみませんでした!」という声で目が覚めた。玄関に行くとナナミのお母さんが土下座していた所を母親が「あんた母親でしょ!?」と言いながらビンタしていた。誰も止める様子も無かったので少し変な気持ちだった。
この辺りから、私は「可哀想な子」になった。
田舎に住んでいたので情報はすぐに広まり、家業の繋がりもあるため親の知り合いや同業者などとにかくたくさんの人が来た。子供が死んだ時の見舞いや人から貰うものは子供向けの物ばかりなので私は全てを独り占め出来た。大人の目線までも独り占めできていた。
父親が単身赴任でいなかったので身近な親は母親しかいなかったが、ママっ子でお母さんから離れない妹がいたら当然譲るのは私だ。なので初めて何かに勝てた気がしていた。
けれども、そこからお母さんは少し変わってしまった。その日の気分で沸点が変わり、綿棒を咥えただけで隣の村の山に捨てられに行くようなことが1ヶ月に一度はあった。何度も何度も殴られ血が出たらやめてもらえるのでわざと鼻に拳が当たるように殴られていたら、わざとらしさでムカつかせてしまい嘔吐するまで殴られ蹴られしたことも1度や2度の話じゃない。それでも母親のことは大好きだった。今考えてみると、怒られたくて、気を引きたくてわざと怒らせていたような気がする。
ユメカが死んでから5年後、妹が産まれた。
ずっと妹がいた人から取り上げてしまったので私のために妹をつくってくれたらしい。
その時には父は単身赴任先の会社をやめて近所の工場で働いていた。
ここから、暴力は2人から振るわれるようになった。やはり30代の男性の殴り蹴りはとてつもないもので、顔を踏まれたりする力も今まででは考えられなかった。
父は全然会っていなかったので初めましてで殴られているようなものだ。九州生まれで男尊女卑も酷かった。
その辺から私は小学校で悪さをするようになり、親に何度も謝りに来させた。
私は暴力を振るわれるより、妹ばかり可愛がられてるのが気に入らなくて1歳にもならないような赤ん坊を親と同じように殴ったりしていた。そんなことをすると私が暴力を振るわれる側になるが、意識がこちらに向くのが嬉しくて反省なんて微塵もしなかった。
中学に上がると、保育園が同じだった子と合同の中学に通った。
そこで同じクラスになったカナちゃんに「ユメちゃんってさ、親戚に轢かれたんでしょ?マジ可哀想だよね ウチなら絶対ムリ笑」と言われた。
瞬発的に「そう笑マジやばいよな笑」と返した
どういうことだ?
今まで親に犯人を聞いても「ひき逃げされた」とか「わかんないから」と言われ怒られた。
隠されていたのだ
確かに無理もない。はとこのお母さんに轢かれたってこと?そんなことある?笑
家に帰り聞こうと思ったが直接聞けないので紙に書いて伝えた。すると無視された。
おばあちゃんに聞くと母親に聞いてくれの一点張り
すこし維持になり問い詰めると全て吐いた。ただ、不注意でユメカが車の下に潜っていたから叔母は悪くないと言われた。母親が犯人を庇っているのにとても違和感を感じたし、あの日玄関で土下座していたことや、10回忌まで彼女の母親が家に尋ねてきたり、あの後すぐに東京に行ったことなど全てが繋がり、とても気持ち悪かった。なにより、あの場で誰もあの女のことを責めていなかったのが本当に苦しかった。確かに責めても帰ってこないがそんなこと言っていられるのか?と疑問も止まらない
けれど、私がその場で騒ぎ出しても怒られるのが私だと目に見えていたので大人しくした。
私が中学3年生の大晦日、親が離婚した。
私が受験勉強を全くしないのにも関わらず父親が忘年会に泊まりで出かけたらしく、母親が離婚を言い出したらしい。
正直この歳になると親の神格化から覚めて、親も人間なんだなと思うようになってきていたので「別れないで欲しい」なんて全く思わなかったし、両親的には私が勉強しなかったのが悪いから有無を言わせないつもりらしい。今考えてみても私の名前を出されただけで何も悪いことしてるつもりは無いのだが、まあそういうことらしい。
話し合っている時、母は「あの子はどっちでもいいけど、下の子は私が引き取るから」と言ったらしく、それに怒った父がわたしを引き取ってくれた。
その時は母親を心底憎んだが、1.2年も経つとやっぱり母が好きだと自覚する。なので、たまに遊びに行ったりしているが、妹と当時の私の扱いの差が激し過ぎて行くたびに苦しくなってしまう。
一度、酒の席で父にそんな話をしたら「父親としてはお前と同じ歳なんだよ」と言われた。
その場では妙に納得してしまった。ただ、全く答えになっていない。
今年の夏、実家に帰った。
すると、ナナミも帰ってきていたらしく会うことになった。私の母はもうナナミのお母さんと会ったらしく「ナナのお母さん元カレの店に飲み行ったよ笑流石に奢ったよ笑」なんて言ってた。
私は凄く違和感を覚えた。
何故そこまで仲良くできる?何も思うところがないのか?向こうも向こうでなぜ平気な顔をして酒が飲める?
おじいちゃんの妹の孫がナナミなので、おじいちゃんにどう思ってるのか聞いてみた。この私の言動はとんでもないかもしれないが、納得してみたかった。
するとおじいちゃんは「おじいちゃんのお母さんとナナミのひいおばあちゃんは違う人で血縁がないんだよ」「申し訳ない気持ちでいる」と言われた。
は?他人に轢き殺された?
気持ちを鎮めるために聞いた質問はまたひとつ疑問を産んでしまった。
私の悶々とした気持ちはまだ子供だからなのだろうか。時間が経てば、色々経験すれば、子供を産めば、子供を亡くせば、どうしたら私の家の人達の気持ちがわかるようになるのだろうか
結局ナナミの誘いを断りきれなかった私は、今日大好きなママと3人で酒を飲みに行く