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「勇気」

ゆずの花

作者: 六福亭(さみ)

小学生の女の子が主人公のお話です。

 花びらが白くて、まんなかは黄色い花でした。


 まりはその花のことをとてもかわいいなと思ったけど、何の花かは分かりませんでした。保育園のかがくえほんにも書いてないのです。


 だけど、ちょうど一緒にいたお兄さんが教えてくれました。

「これはゆずの花だね」

「ゆず?」

  まりは、まだゆずを知りません。

「みかんみたいなフルーツだけど、黄色くてすっぱいの。冬にお風呂に入れたりするんだよ」

「この花を?」

 まりは、白い花がお風呂いっぱいに浮かんでいるところを思い浮かべて、楽しくなりました。お兄さんが笑います。

「あはは、違うよ。もう少し時間が経ったら、この花が散って黄色い実がなるんだ。その実をお風呂に入れるんだよ」

 実がなったら、もいであげるね。そうお兄さんは言いました。まりはとても楽しみになります。


 でも、まりは1つだけかんちがいをしていました。その日のうちに、あっという間に花が散ってそれからぶわっと実が膨らむのだと思っていたのです。

 まりがいくらゆずの木を眺めていても、その日実がなることはありませんでした。



 まりは、その時しゃべったお兄さんの名前をおぼえていません。あれから、一度も会っていないのです。でも、ゆずの花と実のことはずっとおぼえていました。


 まりはもう小学校4年生です。ゆずや、その他のたくさんの植物のことも学校で習いました。だけど、学校で教えてくれないこともたくさんあるようです。

 例えば、あの日の約束をお兄さんにかなえてもらうためには、どうしたらいいか、とか。


 まりの家の近くには、ゆずの木は1本もありません。まだ保育園生だったころ、どこでゆずの花を見たのでしょう?



 思いがけずその謎がとけたのは、家族みんなでアルバムを見ていた時でした。

 まりが赤ちゃんのころから、写真はたくさんありました。どれも、小さなまりと、お母さんと、時々お父さんがうつっています。


 5才のころの写真を見ていて、まりははっとしました。


 あの、ゆずの花を教えてくれたお兄さんがうつっているのです。もう何年も前のことなのに、まりにはすぐに分かりました。お兄さんは、たくさんの人がならんでうつっている中で、まりのすぐとなりにいます。あの時はずいぶんと年が上に思っていたけれど、今のまりと同じくらいの背丈でした。


 写真は、どこか田舎の、田んぼばかりの景色の中でとったみたいでした。みんな半そでです。きっと夏なのでしょう。

「これ、どこ? いつとったの?」

 まりはお母さんに聞きました。

「これはね、お泊まり会に行った時の写真よ」

「お泊まり会?」

 まりはよくおぼえていません。

「まりがまだ4歳の時にね、お母さんとおじいちゃんと一緒に田舎のお寺に泊まったのよ。近所の子もたくさんいたわ」

「この人、誰?」

 まりは、お兄さんを指さしました。何だか胸がどきどきします。

「誰だったかしらねえ……」

 あてにならないお母さん! まりは、お母さんが思い出すまでしつこく急かしました。

「ああ、そうだ! この子は、おじいちゃんのお友だちのお孫さんね」

「おじいちゃんの……お友だち?」

 ということは、おじいちゃんの家の近くに住んでいるのでしょうか。わくわくします。

「でもね、たまたまおじいちゃんの町に来ていただけで、いつもはもっと遠くに住んでいる子だったはずよ」

 まりはがっかりしました。それでも、写真の中のお兄さんから目が離せません。

「このお兄さん、なんてお名前なの?」

 お母さんはちょっと考えてから、教えてくれました。

「智也くん。山田智也くんよ」

 

 やまだともやくん……まりはそのお名前を、何度もつぶやきます。すると、なんだかぞくぞくと嬉しくなってくるのです。アルバムの中の写真を外してもらい、夜寝る前までずっと眺めていました。


 次の日、まりはおじいちゃんに電話して、お兄さんのおうちがある場所を教えてもらいました。


 聞いてびっくり、そこはまりのおうちからも、おじいちゃんのおうちからも遠く遠く離れた町でした。そこにいくためには、一日かけて電車をいくつも乗り換えて、それからバスにも乗らないといけません。

 お兄さんに会うためだけにその町へ行きたいとお母さんに言ったら、怒られてしまいました。その町にはお母さんも行ったことがないのです。それに、今は12月。お父さんもお母さんもとても忙しくて、ちょっと遠くに旅行へ出かける気分ではありませんでした。


 だけど、どうしてもまりはお兄さんに会いたいのです。写真をずっと見ていると、昔一緒に遊んだ時のことも思い出しました。お兄さんはたくさん面白い遊びを教えてくれました。花だけでなく星や岩のことも物知りでした。まりが今知っている男子たちよりもずっとすてきなのです。


 まりは、一週間の間、悩んでいました。胸がどきどきして、ご飯もあんまり食べられなかったので、お母さんに心配されてしまいました。

 さて、何を悩んでいたのでしょう?


 

 日曜日の朝、まりはたった1人で駅にきました。いつもよりちょっとよそゆきの、青いワンピースを着ています。お気に入りのむらさきのリュックサックにお財布と地図、それから読みかけの本を入れて、すたすたと切符売り場に歩いていきました。

 

 まりはびくびくしていました。たくさん歩いている大人が、1人っきりのまりを見とがめて、捕まえられてしまったらどうしよう。お母さんたちがまりがいないのに気がついて、追っかけてきたらどうしよう。いや、今もすごく心配して、困らせてしまっているかもしれないのです。


 切符を買う列に並びながら、まりのお腹はきりきりと痛みました。すごく悪いことをしているような気分です。

 ここでやっぱりやめて、家に帰ったらどうでしょうか? お母さんは、何も気づかないかもしれません。だけど、今電車に乗るのをやめたら、次はいつお兄さんに会えるか分からないのです。それどころか、もう二度と会えないかもしれません。


 いや、ちょっと待って__まりの冷静な心が、はやる気持ちをきゅっと引き留めました。この電車で、本当に、お兄さんのいるところにたどり着けるのでしょうか?


 切符を買う順番が回ってきました。まりが券売機の前でためらっていると、後ろに並んでいる人たちがいらいらし始めました。それで、まりは慌てて切符を買いました。



 電車はすごい速さで、まりの街を離れていきます。景色がびゅんびゅん移って、とても面白いのですが、今のまりの目には入りませんでした。お兄さんのこと、お母さんへの後ろめたさ、それがかわりばんこにまりの頭を悩ませているのでした。

 

 電車はあっという間に、3つも向こうの県に着きました。でも、長い旅はまだまだ終わらないのです。もう、お母さんたちはまりがいないことに気がついたに決まっています。 

 

それに、自分がいる場所が分からなくなった時、教えてくれる人はどこにもいないのです。

 

 まりは恐ろしくなりました。お兄さんに会う前に、広い日本の全然知らない町で、迷子になってしまったらどうしよう。もってきたおこづかいだって、無限にあるわけではないのです。


 車掌さんが、切符を見にやってきました。まりは、助けてくださいと言おうと思いました。だけど、お兄さんの顔が頭に浮かび、何も言えませんでした。


 電車が終点に停まりました。これから、乗り換えないといけません。駅の中には、どこにいけばいいのか教えてくれる看板がちゃんとありました。駅弁とジュースを買って、次の電車に乗ります。もう戻れないと分かると、かえって気分が落ち着いてきました。

 

 目的の駅にたどり着いた時には夕方になっていて、外は真っ暗でした。電車を降りたまりは、お兄さんの住所を書いたメモを見直しました。鬼北町という、なんだかちょっと怖そうな名前の町です。


 電車で来れるのはここまで。ここから先は、歩いて行くか、それとも車か、バスしかないのです。まだ小学生のまりは、どのやり方を選べばいいのでしょうか?


 でも、まりはもう不安には思いませんでした。たった1人でこんなところまで来た、それだけで、自信がわいてきたのです。


 駅の前には、バス停があるに決まっています。ずんずんとそこに歩いていきます。お兄さんの町まで行くバスを探すのです。


 その時でした。

「まりちゃん」

 耳慣れない、低い男の子の声がしました。

 振り向いて、まりはびっくりしました。高校生くらいの背の高い男の子が、目を丸くして立っていたのです。


 胸がどきどきします。写真を取り出して見なくても、その子の顔には見覚えがありました。

「……やまだ、ともやくん?」

 男の子__いえ、お兄さんは、うなずきました。

「まりちゃん、ずいぶん大きくなったね」

 まりの頬が熱くなります。

「ともや……お兄さんも」

 お兄さんはまりに近づいてきました。だけど……何で、まりがここにいることを知っていたのでしょう?

「まりちゃんのおじいちゃんから、ひょっとしたらまりちゃんが来るかもしれないって教えてもらったんだ」

 まりはうつむきました。きっと、お母さんがおじいちゃんに電話してくれたのです。帰ったらどれくらい叱られるでしょうか。

 そんなまりの心の中も知らず、お兄さんはにこにこ笑っています。

「もう遅いし、うちにおいでよ。あ、そうだ……」

 お兄さんはちょっとためらってから、まりに聞きました。

「まりちゃん、あの約束、おぼえてる?」

 まりはどきりとしました。だけど、首をかしげて聞き返しました。

「何のこと?」

「ほら……ゆずの実をあげるねって」

 まりは、何度もうなずきました。お兄さんがおぼえてくれていたことが、信じられないくらい幸せでした。

「おぼえてる!」

「うち、ゆずの木をたくさん育ててるんだ。実ももちろんあるよ。よかったら、分けてあげる」

「やった!」

 まりはその場で飛び跳ねました。足下がふわふわして、夢みたいな心地です。勇気を出してここまで来てよかった。お兄さんと歩きながら、まりは心からそう思いました。


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