家系樹
シリアス系です。大事なことなのでもう一度、〝系〟です。
よろしくお願いします。
「私がそなたを助けたとして、その対価は?」
「では閣下。只今より我が家はトレイル家を主家とし、貴家の名誉を守る〝十字架〟となりましょう」
「十字架とな?」
「はい。一族が不正や悪事を働いた場合、閣下はどちらをお選びになりますか? 本当にそれを行ったのか調べ、理由を解き明かし、そして真実、悪であった場合。トレイル家の名誉を守る為、我が家の者に隠蔽させますか? それとも断罪させますか?」
二人の男の間に長い沈黙が流れる。
「……もし、その者が私の血を継ぐ最後のひとりだったとしても適用するのか?」
「我が家を正十字にするのも逆十字にするのも、すべて閣下の御心のままに」
セレーネは当主執務室に佇んでいた。
トレイル侯爵家の、巨大な家系樹が描かれたタペストリーを見上げて。
「お嬢様……このようなことになるなんて。私は悔しいです」
「いいのよ。あなたはこれまでよくやってくれたわ」
彼女専属の使用人が背後で唇を噛む。
「ふふ。ねぇ、アンネ。私はどちらなのかしら。隠蔽されるのか、断罪されるのか。おかしいわね。どちらも結果は変わらないのに」
「お嬢様……」
「そんな顔しないで。わたくしはわたくしの、いいえ。わたくしだけの想いの為にそうするのよ。どちらでも構わないわ」
トレイル侯爵家には、家門の名誉を守る『影の十字架』と呼ばれる組織が存在する。
どこかの貴族家が関係しているらしいと、嘘のような話が代々伝わっているものの、その〝影の十字架〟がどの家なのか、侯爵家の者すら誰も知らない。
だが、『影の十字架』は冷徹だ。
トレイル侯爵家の名誉を守る為、隠蔽も断罪も徹底して行われる。断罪だけでなく、隠蔽する場合も当の本人は処分されるのだ。
家系樹の所々にある、名の上に重ねられた逆さの十字架。誰の仕業なのか、知らぬ間に刺された刺繍で誓いが果たされたことを知らされる。
つまり十字架の刺繍は、罪深き者の墓標なのだ。
「でも、この正十字はどんな意味があるのかしら?」
逆十字に比べたら、ほんの僅かな正十字。
曾祖父様の弟にあたる方にも、正十字が刺繍されている。
彼が何をし、何故その名に十字架があるのか、何故それが正十字なのか。それを知る生者はいない。ひとり、現当主を除いて。
『幼い頃、大叔父様が亡くなった後、その名に十字架が見つかった。彼の死が誓いによってもたらされたとわかった彼の夫人が、当主だったお前の曾祖父様に物凄い剣幕で抗議していたよ。
あの時。夫人は半日も過ぎた頃に、人形のように大人しくなって出てきたんだ。泣き腫らした顔を恥ずかしげもなく晒してはいたが、既に怒りはないように見えた。今思えば、何かを悟って受け入れたような顔だったと思う。
何故、こんなに覚えているかって? 本来当主しか入ることの出来ない禁書庫に、お祖父様がその夫人を迎え入れたのが不満だったからかな。きっとそのせいだろうね。父様にも幼い時があったのさ』
お茶目に笑ってくれた父は、当主になって『忘れろ』としか言わなくなった。
既にその夫人も橋を渡っている今、他に知るあてもない。
「何にせよ、私には関係ないことね」
束の間、自分の名を見つめてセレーネは執務室を出た。
迎えに来た馬車は、既に扉を開けて彼女を待ち構えていた。これまでで最も美しく装ったセレーネを吸い込み、その扉が閉まる。
表れたのは、王冠を頂く大鷲。
この国で最も高貴な紋章が、彼女を封じる魔方陣のように見えた。