世界最後の日に、膝を舐める
こんにちは、違う世界の僕。世界最後の日に見る光景は、どんなものですか?
この手紙が、とても失礼なものであることは分かっているんだけど、それでも僕は僕に聞きたい。最後の日に僕は何を考えていたのかって、何をしたいのかって、何をしたのかって。この一年間続けていたこの文通みたいなもんは、所詮国が行っている実験にすぎないんだろう。そしてこっちの世界が、違う世界に最後に出来たことは救いになるもんなかじゃなくて、いつも通り違う世界の自分に手紙を送るくらいなんだろう。だけど僕は、それでもその世界に僕が、君がいたことを覚えておきたいんだよ。
勿論、無神経であることも、無意味であることも分かっている。だからこの手紙が少しでも君の気に障ったのならは、すぐさま破り捨ててほしい。けれどもし、僕に何か伝えても良いと思えるものがあるなら、たった数語でも残してくれないだろうか。
傲慢な奴だろうと思うけれども、いつも通り返信を待っています。
違う世界の、僕へ。
僕は、走らせていたシャープペンシルを机の上に置いて、意味あり気にため息をついて見せた。そのため息が、教室の雰囲気に合わせるためだけのポーズだなんてことは、自分でも理解している。この一年間続けて来た違う世界との自分との文通は確かに興味深いものだったけれど、彼らの世界が滅びることに実感なんてないのだから。
窓の外から覗ける陽光は、変わらず眩しいものだ。そこに、世界が滅亡に瀕しているような様子は微塵も感じられない。ニュースに流れるような出来事は、当事者にとっては筆舌に尽くしがたいことなんだろうけど、画面を隔てた僕らには所詮、毎日消費されていくゴシップや事件の一つでしかないのと同じなんだろう。
それでも教室の空気が重いのは、そうあるべきだからだろうと僕は思うのだ。一年間文通と言う形で育んできたものが失われることに、悲しみを感じる者はいるのだろう。映画や漫画なんかで見た、世界が滅びる、と言う光景を現実のものとして感じて震える者もいるだろう。けれど大多数にとって手紙のやり取りは、面倒臭い授業の一環に過ぎない。殆どの生徒が、かったるいな、と思いつつもそうするべき雰囲気に従って、黙している。
知らない親戚の葬儀に参列した様な、何とも言えない緊張感と居心地の悪さ。欠伸を手の中で必死に噛み殺しながら、僕は俯いて二時間目が終わるのをひたすら待った。
二時限目が終わり三時限目の体育になると、皆がすっかり最後の日を迎える違う自分の事なんて忘れたようにはしゃぎだす。四時限目、五時限目を過ぎた頃に僕の脳内にあったのは、眠気だけだ。
目を擦って時計を確認する。六時間目が始まる五分前。学校から解放される六時間目の前にあるこの休み時間は、迫る自由を喜んでか、部活を心待ちにしてか、本来なら喧騒に満ちている。だが今日のその時間は言葉数が少なく、決まったようにつるんでトイレへ行く生徒も、人の机を椅子にしてはしゃぐ生徒も、静かに自分の席に座っていた。今日の六時限目は、いつもの授業とは違う。二時限目に書いた手紙の返事が来るのだ。
チャイムが低く鳴り響き、六時限目の始まりを告げる。教室に入って来た担任が手に持っているのは手紙の束。と、言ってもいつもより数は少ない。この教室にいる生徒の四分の一程度のものだろう。むしろ、それだけ返ってきたことに僕は驚きだった。
担任が、生徒の名を呼ぶ。呼ばれた生徒は、一様にびくりと体を震わせ、ゆっくりと立ち上がって気だるげに手紙を受け取りに行く。そこに書かれているのは、恨み言か、悲痛な叫びか、それとも違う何かか。とにかく、ポジティブな内容は想像できない。
どうして、返信を望むようなことを書いてしまったのだろう。僕は、自分の名が呼ばれないように心の中で祈りながら、今になって後悔し窓の外を眺めていた。
残り数枚。主席番号順に呼ばれていることを考えるとまだ可能性はあるが、そう高い確率ではない。果たして世界最後の日を迎えるのが僕だったら、僕は僕に対して返信をするだろうか。するとして、何を書いただろう。現実逃避をするようにそう思索に耽っていると、僕の名が担任の口から飛び出てきた。
心臓が高鳴る。僕は一度深呼吸をしてから立ち上がり、隣の席のほとんど話したことのないような女子や、対角線上にいる友人の視線を受けながら歩いていく。彼らの目から溢れるのは、好奇だ。すでに安全圏に居る彼らにとって僕は、見世物なのだろう。
僕は微かに震える手で手紙を受け取って、自分の席に着いた。
手紙を、開ける。
こんにちは、違う世界の僕。この挨拶を書くのも、もう最後だろうね。
世界最後の日は、いつもとそれ程変わりがない。治安が少し悪化したり、自ら命を絶つ人も見かけたけれど、今日も変わらず学校があって、少なくとも僕らは最後の日を人間として過ごせるようだ。この日を最後にして、僕の世界が消滅するなんてとても信じられないよ。
だけど僕が、僕に伝えたいことはそんな最後の心境なんかじゃない。僕が今日行ったことだ。違う世界の僕の隣の席に座っているのは、女子かな?そちらの世界と、僕の世界は細部が僅かに違うようだから、そう仮定して話を勧めさせてもらうよ。
僕は今日、隣の席の女子の膝を舐めた。気持ち悪いだろう?自分でも、最低の犯罪行為だってことは分かっている。言っておくけど、彼女から頼まれたわけでも、それが許されるような関係だったわけでも、恋心があったわけでもない。
ただ僕は、何の味もないそこを一度舐めた。それだけだ。世界最後の日に、こんな最低で、愚かしくて、どうしようもない行為を行った僕を、違う世界の僕はどう思うだろうか。
もう、その感想を聞くことも出来ないだろう。そちらの世界が、僕の世界と同じようにならないことを願っているよ。
違う世界の、僕へ。
こいつは何を書いているんだ。なんて変態行為に及んでいるんだ。僕は、三、四度と手紙を読み直し、唖然とするしかなかった。
そこにあるのは、最後の日を迎えた僕の悲痛な心境でもなく。世界の滅びなどとは今のところ無関係な僕らに対する恨み言でもない。
ただの、変態行為の報告だ。はっきり言うが、隣の女子の膝を舐めたいと思ったことなど、僕には一度も無い。当然、相応の年頃に準じた欲望が無いとは口が裂けても言えないが、こんなアブノーマルな犯罪行為を抱いたことは無かった。
思わず、ちらり、と隣の席に座る女子の膝へと視線を向けてしまう。ふくらはぎの真ん中あたりまで伸びる靴下と、少し短めに履いている学校指定のスカートの間にあるその部位は、艶やかな肌色をしている。
ではそこに欲情を抱けるかと言うと、はっきり言って微塵もそんな気持ちは湧いてこない。
世界最後の日に、錯乱したのだろうか。それとも、最後の日だからと嘘を書いたのか。
まぁ、この僕と違う世界の僕では、性格も嗜好も違うのかもしれない。少なくとも、この一年間手紙のやり取りを通じてそのようなことは感じなったのだが、最後に馬脚を現わしたと言うやつかもしれない。
この、性犯罪者の変態め。僕は、違う世界の自分にそう心中で罵声を浴びせて、手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。
帰り道、違う世界の僕から受け取った手紙のことを興味本位で、笑顔で尋ねてくる友人に僕は嘘をついた。女子の膝を舐めた報告が返ってきただなんて、言えるわけがない。当たり障りのないことを言いながら、僕は忘れられそうにもないこの手紙のことを、絶対に出来そうにないその行為の事を、心の内に隠しておくしかなかった。
センシティブな内容を不快に思われた方は、大変申し訳ありませんでした。