転生2話・魔法と農業の世界
「カナタ姉! 起きろ!」
耳元でギャンギャンと喚く声に、あと二分、とジェスチャーで伝え布団をかぶる。が、容赦なく引っぺがされた。
「鶏が餌待ってるぞ! 畑の水やりと、水田の見回りもな! 終わるまで朝ごはんなしだからな!」
我が弟は、誰に似たんだかしっかり者で厳しい。朝に弱いうちを叩き起こす仕事を物心着いた頃から請け負っているから、動作も文句も手慣れたものだ。
布団が無くなって寒いので、渋々ベッドから起き上がる。部屋の隅に転がる水桶を出して、水面になる場所に指で丸を描く。
『印』が輝いて、桶の中に水が現れた。
この世界の魔法の使い心地は、『ギフト』に非常に近い。違うのは、ある程度の適性こそあれど、決まった予備動作を行えば誰にでも使える力である事。そして反動をほとんど受けない事。
つまりは世界の住民の平均適性が高い、という訳だ。
前世の世界もそうだったら、うちが死ぬ事は無かっただろう。
でも、終わった事をくよくよ悩んでいても、何にもならない。
水で顔を洗って、水面を鏡にして髪をすく。前世で憧れていた淡いブロンドの巻き髪、転生して嬉しかったポイントの一つだ。しかし長い髪は農作業においては邪魔者なので、作業着に着替えたら早々にお団子に結ってしまう。
部屋を出て、階段を下りて、玄関扉を開け外へ。小屋から鶏のエサ袋を持ち、早朝だと言うのに元気に畑仕事に勤しむご近所のお年寄り方に挨拶しながら、我が家の農地へ向かう。
鶏小屋の戸を開けると、お腹を空かせた奴等が早く餌を寄こせと足元に群がり長靴を容赦なく突っついて来た。その勢い猛禽の如く。「痛い、痛いってば」と通じない悲鳴を上げながら、何とか餌箱に飼料を流し込む。鶏達は我先にと餌箱に走り出し、解放されたうちは対価としてまだ生温かい卵を拝借し小屋を出る。しっかりと鍵を閉めるのを忘れない。前に一回忘れて大脱走からの大捕獲劇での大叱りを受けた事があるのでそれからはダブルチェックで戸締りしている。
一度家に戻り、卵を置いてジョウロをゲット。もう一度同じ道を通り、今度は畑へ。ジョウロの中に『印』を描く。水が湧いたのを確認し、畝に向かって水をかける。これを……約五ヘクタール。
農家の朝はつらい。折角ファンタジーな世界なのだからもっと魔法で何とか出来ないのかと思うのだが、残念ながらこの村には大規模水魔法の適性を持つ人はいない。ので、皆毎日毎日こうしてちまちまと水やりをしているのである。せめてスプリンクラーがあればなあ、と前に呟いたところ、両親に思いっきり首を傾げられたのでそのような便利道具は存在しないらしい。
朝焼けが終わり、すっかり青空になった頃に水やりが終わる。やーっと朝ご飯だ。
「ただいまー」
「おかえりー」
手を洗って、ダイニングテーブルに腰を下ろすと、キッチンから弟、クルトがフライパンを持ってやって来た。綺麗なオムレツが載っている。食卓にはサラダもある、そしてぱさぱさするけど比較的柔らかいパン、少し豪華な食事だ。春はこういう事があるから良い季節だと思う。そしてクルトの作るご飯は美味い。何て出来の良い弟だ。
「いっただっきまーす!」
「召し上がれー」
食器洗いの音をBGMに、木製のフォークを握りオムレツを突き刺す。
平穏な日常。何でもない日常。本当はもうちょっと冒険したかったけど、このかけがえのない日常が永遠の物ではない事を、うちは良く知っている。
だからこの時間も、一瞬一瞬を大事にしていきたい、そう決めた。……最近は結構忘れるけど。
パンにサラダとオムレツを載せて、パンで挟んでかぶり付く。美味しいなぁ、幸せだなぁ、この幸せがずっと続けばいいのになぁ、労働抜きで。
しかしやはりと言うか、当然と言うか、そんな願いは叶わないものだ。
日常は突然に、一瞬で崩れていく。
その日は村の雰囲気がいつもと違った。大人達が妙にざわついている。そしてうちを見ると、何故か目を逸らす。
その理由は、夕方に長老が家に来て判明した。
「百年に一度の『捧げものの儀』が迫っている。この儀式は年頃の中から村一番の美人を森へ向かわせる事になるのだが……今村にいる十から十四歳までの子供は、ドーラ、エリス、クルトの三人だけじゃ。何時もなら女子を出すのじゃが……一番の美人と言われると、のう?」
うちの弟は、しっかり者で、料理上手で、頭も良くて運動も出来て。
そして、女の子に間違われるくらい、とても美人だ。
「クルトを生け贄……捧げものに出すと、決まったのですか?」
「まだ協議中じゃがな……大多数はそちらに傾いておる。二人と、カナタにも、覚悟を決めて貰わねばならんじゃろう」
クルトを抜きにした話し合いだが、家の壁は薄い。何となく気配がするから、本人も隣の部屋でこの話を聞いているだろう。
あの子なら、自分から進んで生け贄になろう、なんて考えそうだ。
「生け贄って……森に何かいるんですか?」
「捧げものじゃ……。ドラゴンじゃよ、この村の歴史を聞いた事はないか? ……そういえばここ十年語っておらんかったのう。
この村は『竜封じ』の為に作られた。千年も前、悪しきドラゴンが森に住み着いてな、近隣の町を荒らして回っていたんじゃ。その話を聞きつけた司祭様が、森に結界を張ってドラゴンが外に出られないようにしてくださった。しかしドラゴンが暴れ回り、結界は破壊される寸前まで傷付いてしまった。困った司祭様はドラゴンとある取り決めを交わす。それが百年に一度の『捧げものの儀』じゃ。これを守る限り、ドラゴンは森から出ない。人々は不用意に森に入らない。そうしてこの辺りの平穏が守られる事となった。
この村は結界の要である教会を有している。捧げものを出すのも教会の加護を一番に受けているこの村からと決まっておるのじゃよ」
そういえば、小さい頃から「森には入るな」と釘を刺されていたなぁ、と思い出す。
しかし、うん、そういうことなら。
「じゃあ、そのドラゴン倒せば、生け贄も出さなくて良くなるよね?」
「なっ、なんて恐ろしい事を! あのドラゴンは今まで何百人もの人を食らい、千年も生きているのじゃぞ! 勇者でもとても敵わない! 一介の村人に何ぞとても無理じゃ!」
「でも、やってみなきゃ分からないじゃん?」
「止めなさいカナタ。クルトだけじゃなく、貴女までいなくなってしまったら……」
お母さんが泣き出してしまったので、この話は一旦打ち止めとなった。長老を見送り、啜り泣く声だけが響く薄暗い室内。「そろそろ寝ようか」とお父さんが言ったその時、隣の部屋の扉がそっと開いた。
クルトはいつも通りの、何でもないような顔で微笑む。
「父さん、母さん、カナタ姉……大丈夫だよ、オレ、怖くないから」
顔には出さないけれど、拳を強く握り締めて、必死に堪えているのが分かった。
守らなきゃ。絶対に。大きなリスクを冒すとしても、ここで何もしない未来に幸せはない。
「……本当にこれ着るのか?」
五日後。花嫁衣装を前に顔を引きつらせる我が弟。しかし準備は滞りなく進み、夕方にはたくさんの農作物が乗った荷車と、それを引き森の入り口に立つドレス姿のクルトが居た。教会の司教様が祝詞を唱え、村の大人達が皆祈りを捧げる。子供は留守番だ。
うちは祈りの列に並びながら、この後の手順をしっかりと脳内で練る。クルトの姿を見失わないように、すぐ追いかける。荷物はばっちり、家に駆け込んでダッシュで取る。イメトレは完璧だ。
クルトは一度も振り返らずに森へ入って行った。その姿を見届けると祝詞は止み、村人が散り散りになる。人混みを搔き分け、うちは自宅へ向かった。
予め用意した書き置きをテーブルに叩き付けて、大荷物のリュックサックを背負って、家を飛び出す。
陽が落ちた村の中を、ランタンの灯りと土地勘を頼りに駆け抜けた。周りの驚く声、制止する声を無視して森の入り口へ。
真っ暗闇の中を、うちはただひたすらに駆け抜けた。
うちの大冒険が、今、始まった。