1-5
「さて、とりあえずどこから話そうか。
お前が幽霊だと思った辺りからでいいか?
つまり、彼女が2階から灯の光とともに消えた事件」
軽く胸の前で細い指を絡めて、ハルが切り出す。
「うん」
「まず彼女が消えたことについてだが」
「うんうん」
二人が身を乗り出して話に耳を傾ける。
「正直分からん」
「うぉっ!!」
短く告げられた衝撃の事実に、乗り出した二人の身が沈む。
「あ、兄貴! ふざけないでくれよ」
腰を砕かれたリクが、平然としているハルを見上げる。
「ふざけてねぇよ。
分からねぇっつってんのは、可能性がありすぎるってことだ。
限定できないんだよ」
「え?」
「たしか話では、約30秒の間にリラは消えたんだよな?
しかもその30秒の間に廊下に出て逃げたのならば、1階に行こうとすればハヤトと鉢合わせ、2階の反対側に行こうとすればハヤトから丸見え。
……そうだったな?」
「う、うん。間違いないよ。
非常階段も内側からしか鍵をかけられないんだけど、ちゃんとかかっていたんだ。
もしおねえちゃんが非常階段を使ったなら、外から鍵を閉めることができないから、この階段も使えないよ」
ベンチに座り直して、ハヤトが答える。
それを聞いて軽く頷きながら、ハルが言う。
「なら残るは窓だろ」
「窓? でも2階だ。まさか飛び降りたのか?」
リクの質問に、ハルは軽く首を横に振る。
「だからそこなんだ。どうとでもなるんだよ」
「どういうこと?」
「ハヤトの部屋は、家財や家電製品が一緒に置かれてたんだよな?
延長コードなんかもあったんだろ?」
「うん、あったと思う。他の部屋とつなげたりすることも多かったから」
思い出すようにハヤトが言う。
「窓は出窓で手すりが付いていた。
その手すりに延長コードを引っ掛けて、それを伝って降りれば、10秒もかからず外に出ることができる。
彼女は運動神経が良かったんだよな、それくらいは軽く出来るだろう」
「あ!」
ぽん、とリクが納得したように手を打つ。
「そんな面倒な手は使わなかったかもしれない。
木造校舎なら、普通に足を引っ掛けて降りたのかもしれないし、逆に手すりを踏み台にして屋上に上がったのかもしれない。
校舎は2階だったんだろ?
そして出窓には手すりがあった、とお前は話していた」
「そういえば、俺、部屋の中と廊下は見たけど、窓の外までは見ていないや」
つまり、窓の外で何が行われていても、彼には気が付かなかったのだ。
「部屋が3つ並んでいるとも言ったな。
隣の部屋も同じように出窓だろう。
だったら隣の部屋の窓に移動して待ち、ハヤトがその部屋の中を改め終わったのを見て部屋の中に入り、そのまま隙を見てドアから廊下に逃げたのかもしれない。それから……」
「わ、分かった! 分かったよ兄貴!」
どんどん出てくる2階からの脱出劇に、リクが歯止めをかける。
「なんだよ、まだとっておきの……まぁいいや。
つまり推理小説みたいな脱出不可能な現実なんてそうそうないんだよ。
とくに若くて運動神経が抜群で、どうしてもその場所から出たいと思ったなら、お前に見つからずにお前の部屋から出る方法はいくらでもある」
ハルの話に感心しながらハヤトが聞き入っていたが、思いつたように次の不可解な疑問点を投げかける。
「じゃあ、一緒に消えた火は?
あの光はライターみたいな火じゃなくて、……上手く説明できないんだけど、ぽわっとした蝋燭みたいだったよ。
なんていうか、灯篭みたいな。
でも蝋の後なんて無かったし、あの火はなんだったの?」
「そのぽわっとした火っていうのも俺が見たわけじゃないから断定は出来ないが、何となくお前が言っている感じからして『間接照明』みたいな感じだったんじゃないか?
だから蝋燭の火だと思ったんだろう」
「間接照明……うんそう、そんな感じ」
「蝋だけじゃなくて、他にも何かを燃やしたような跡は無かったんだよな?」
「無かったよ。あったら絶対に気づくもん」
ハヤトが断定するのをみて、ハルが人差し指で顎に触れる。
「一番簡単で手っ取り早い説としては、彼女がそんな感じのランプを持っていて、逃げるときに一緒に持ち帰ったという説だな。
だが俺は多分……アルコールランプだと思う」
「アルコールランプ?
そういえば、俺、自然教室でアルコールランプ使ったよ」
ハヤトが思い出す。
化学の実験の時だったと思う。学校では使わない手法だったので、わくわくしたのを覚えている。
「へぇ、そりゃ好都合だ」
ハルがそれを聞いて、自分の説に確信を持ったようだ。
「ハヤト。リラは大人が使うような大きなカメラを持ってたんだよな?」
「うん。一眼レフとか、言ってたような気がする」
「カメラの手入れには無水エタノールがよく使われるんだ。
エタノールっていうと消毒液の方を思い浮かべるだろうが、この無水エタノールは濃度が高く揮発性……。
……あー、すぐに蒸発するから機械なんかの洗浄によく使われる。
カメラの場合、特にレンズの手入れの時には水とかとは違って跡が残らずに拭くことができるから良く使われるんだ」
小学生のハヤトと、小学生サイズ頭脳のリクに分かりやすいように噛み砕いて説明をする。
効果があったのか、まるで化学の授業を聞く生徒のように、二人してほうほうと頷いていた。
「無水エタノール、湯呑、あとは空き缶とティッシュでもあれば簡単にアルコールランプが作れる。
空き缶を切って底の真ん中に穴を開け、そこに芯になるティッシュを通す。
そして無水エタノールを張った湯呑に被せるだけだ。
芯のティッシュに無水エタノールをしみこませ、空き缶から飛び出た上の方の芯に火をつければ完成」
「え、そんな簡単に作れるの?」
もっと大掛かりなものだと思っていたのか、リクが両目を開く。
それを見て、もしかして変な真似をするんじゃないかとハルがわずかに顔をしかめる。
「俺は作り方がいかに簡単かを説明しているだけで、細かい注意事項はおもいっきり省いているからな。
下手すりゃあ引火して爆発起こすぞ?」
爆発という単語が出た瞬間、リクが真顔に戻る。
「うんやめた、こわい」
「早いよ、おにいさん……」
「俺君子だから、危うきには近寄らないんだ」
「今すぐ君子に菓子折り持って土下座で謝ってこい。菓子折り代は出してやるから。
でだ、話を戻すが、このアルコールランプの消し方も、習ったよな?」
ハヤトが授業のようにハイ、と大きく手を挙げる。
「蓋をかぶせる! 被せたらもういっかい開ける!」
「ハヤト少年正解。
間違っても吹いて消しちゃだめだぞ。
とまぁ、何が言いたいかというと、そう言う意味でも湯呑みの形状は扱いやすいんだ。
上から何かをかぶせるだけだからな。
消えるまでに1秒もかからない」
リクは湯呑みの中で作られたアルコールランプを思い浮かべる。
確かに湯呑みの底で揺らめく炎は蝋燭のようだし、光の見え方も揺らめく蝋燭を入れた灯籠のように、ハヤト曰くぽわっとした感触になるだろう。
「もう一つの利点は片付けのしやすさだ。
火を消したら、湯呑みの中身は窓の外にでも撒けばいい。
湯呑みに残ったエタノールもすぐに揮発して証拠は残らない。
余裕があれば空き缶とティッシュを回収してもいいけど、別にしなくてもポイ捨てされたゴミとしか見られないだろ。
残るのはハヤトの部屋の中にあった湯呑みだけ、ということになる」
「あの火は、湯呑みの中にあったんだ」
2年前の七夕の、あの幻想的な情景を思い出しながら、ハヤトが呟く。
「おそらくな。
可能性の問題だが、今言った脱出と火の消え方だけでも、リラが幽霊じゃねぇって分かるだろ?」
「うん。
……そっか、やっぱり、おねえちゃんはいたんだ」
少し胸が痛そうな顔をするハヤトを心配そうに見ながら、リクがハルに問う。
「でもなんでリラはそんなことをしたんだ?
わざわざ二階の窓から脱出するなんて危険まで犯して」
「それは、多分順を追って話さなきゃ分からんだろうな」
「ということは、兄貴は分かってるんだ?」
「正しくは、俺の仮説の終着点が、この湯呑みの灯火なんだ」
「うー……??」
全く意味がわからないというふうに、リクが顔をしかめたのを見て、ハルが先ほどと同じように少し天を仰いで1つ息をつく。
「それじゃ次だ。
リラがどうしてハヤトの湯呑みを割ったのか」