1-4
「うっ……ヒックゥっ!」
話が終わると、リクが二度目の感激の涙を流していた。
ハルといえば、話の途中で相槌を打つわけでもなく、ただ光のない目を細めて遠くを見るような目をし、たまにイヤホンのコードを弄ぶように指に絡ませていた。
ちゃんと人の話を聞いているのだろうか、と途中で何度か思ったが、それを指摘するのも躊躇われ、ハヤトは大人しく話す方に全力を注いだ。
「切ねぇ……っ!
なぁ、そう思うだろ兄貴」
先程と同じ様な感想を言いながら、リクが兄に同意を求める。
しかし、器用にガードレールに片足をのせ、頬杖をついたハルは、
「切ない、ねえ。
その感想は概ね同意だが、お前は一体どこの何に、そんなに感動しているんだ?」
ポケットティッシュを空にして鼻をかむリクに、無表情で問う。
「何にって、そりゃ、切り裂き魔に殺された幽霊の女の子と友だちになって、それで火の光が消えるのと同時にお別れって辺りが……」
そんなリクを、ハルが鼻で笑う。
「幽霊なんているわけねぇだろ」
「え?」
簡単にそう言ってのけるハルに、リクが身を乗り出す。
「で、でも! 話を聞く限り、リラって子は幽霊だろ!」
ハルはそんなリクを黙れと言わんばかりに片手を上げて制すと、ハヤトの方に視線を向ける。
まるで学校で先生にあてられた時のようにドキリとする。
「なぁハヤト。
お前は勿論、リラの行方を自然教室のスタッフに聞いたんだよな?
答えはどうだった?」
「えっと、それが。
……『そんな子はいない』、って」
急に問われ、ハヤトが思い出すように上の方を仰ぎなが答える。
「ほら!
やっぱりハヤトにしか見えなかったんだよ!
それが分からないように自然に振舞ってたんだって!」
確たる証言に、リクがさらに身を乗り出す。
しかし、なぜかそれはハルも同じようだった。
「なるほど。……まぁ、そうなるだろうな」
納得したように、一人心地に頷く。
その様子は、まるで自然教室で起こった一連の出来事を見通しているかのようだった。
「どういうことだ? 兄貴」
「だから言ってんだろ。幽霊なんていねぇよ」
「な、何でそうなるんだよ!」
「別にいてもいいけど、いないほうが筋が通るんだ」
「……え?」
ハルの言葉に、リクとハヤトが顔を合わせる。
「俺は現場に行ってないし、証言もハヤトのモンしかない。
だからそれだけで判断するしかないが、少なくとも話を聞く限り、そう考えるのが妥当だ」
「ちょ、ちょっと待って。リラおねえちゃんは幽霊じゃないの?」
膝に乗せたリュックサックをぎゅっと握るようにしてハヤトが問うと、それを冷たい目でハルが見返す。
「そもそも、お前自身本当に信じているのか?
リラが幽霊だと」
「そ、それは。だって、消えちゃったし」
「幽霊だと思ったのはその事件のことと、あとはスタッフの証言だけだろ。
それだけで実際自分が接した人間を幽霊と判断するほうが、俺はどうかと思うが。
お前、本当は彼女が幽霊だなんて思ってないんだろ」
「……っ!」
痛いところを突かれたのか、ハヤトが顔をしかめる。
「え? どういうこと?」
一人リクが二人の顔を見比べる。
「リラが幽霊であるほうが、ハヤトにとって都合が良かったんだよ。
そう考えたほうが、お前にとってダメージが少なかったんだろう?」
「ち、ちが……っ!」
抑揚のない声がハヤトの心を抉るようにして滑りこむ。
しかしハルの言葉は続く。
「もしも彼女が幽霊じゃなかったら?
ハヤト。
お前に残るのは、親友が自分を避け始め、そして自分の前で湯呑みを割って、お前が存在しないように振舞った、という『事実』だけだ」
「違うっ!」
ハヤトが強く目を閉じ、両手で耳をふさいで激しく横に首を振る。
「兄貴!」
ハヤトを宥めるようにしてリクが彼の両肩に手を置き、ハルの方を睨むように見る。
だが当のハルはそんな二人を、濁った静かな目で見下ろすだけだ。
「そうやって耳塞いで目ェ閉じて嫌われてないって思い込んで、よくもまぁ親友だなんて言えたもんだ。
まるでおままごとだな。ま、子どものすることだし仕方ねぇか」
「……なんだと!」
顔をしかめたハヤトがハルを睨む。
「お、おままごとなんかじゃない!
おねえちゃんは、俺の親友だ!
アンタに何が分かるんだよ!」
「分かってないのはお前のほうだろ。
踏み込んで傷つきたくないから、そうやって耳塞いでるんだ。
お前は彼女に関して、幾つもの疑問を持ったはずだ。
なのにお前はたった一つ、嫌われたくない一心で、考えるのを止めたな?
それがお前の答えだろ」
録音した音声をぶつけるようにハヤトに向かって途切れなくハルが言うと、ハヤトが悔しそうに唇を噛む。
そのままがっくり項垂れるようにして、ベンチに座ったまま肩を落とす。
その姿に、リクは自分と似たものを感じた。
リクにとって兄は、空気と同じくらい当たり前の存在だった。
大きな存在だった兄に手を引かれて歩く。
そうしていれば例え目を瞑ったって、道を違えることなどない。
ずっと傍にいるものだと思った。
今思えば、なんと身勝手だったのだろう。
たった一つしか違わない兄に、一体どれほどの重圧をかけていたのだろう。
そんなことすら思わないほどに、兄との生活は当たり前だったのだ。
4年前まで。
この街に生まれた最初の切り裂き魔。
彼の最後の被害者となった兄は、心と体に重症を負い、そして恐らくその時に、兄はたくさんのものをそこに置いてきてしまった。
その内の1つが、リクだ。
兄に手を離され追いすがった時に、示された拒絶。
その時に感じたのは、絶望と虚無感、そして大きな恐怖だ。
こうして普通に話せるようになったのだってつい最近のことだ。
それだってこちらから追いかけるようにして何とか注意を引いて振り向かせなければならない。
嫌われるのが怖い。
好きだからこそ、怖くて怖くてしかたがないのだ。
「なぁハヤト。
もしもリラがさ、お前に伝えたいことがあるんだったら、ちゃんと聞いてあげないか?」
肩を落としたハヤトの頭に手を置き、リクが優しくそう言うと、彼は泣きそうな目で見上げた。
「ハヤトはリラに嫌われてるって思ってるんだろ?
言い方は悪いんだけどさ、だったらこれ以上、もう嫌われることなんて無いじゃん。
これ以上、悪くなんてならないだろ?
でもリラは違うよな?
お前にとって訳の分からない行動の一つ一つにリラの意志が隠されていて、それをお前に見せたくなかったんだったら、多分きっとたくさん悩んだり傷ついていたと思うんだ。
だからさ、お前のためじゃなくて、リラのために、本当のことを知りたいと思わないか?」
「おねえちゃんの、ため……」
呟くようにして、ハヤトが言う。
「昔のようには、もう絶対に戻れないよな。
でも、自分の大事な『親友』のことを、たとえ嫌な思いをしてでも理解しているのとしていないのじゃ、絶対に違うと思うんだ。
今逃げたら、きっとまた同じように、傷つきたくなくて目を背けて、その繰り返しだよ」
頭を撫でながら静かにそういうリクを、少し目を細めてハルが横目で見る。
その視線にリクは気づかなかったが、たとえ気づいたとしてもその真意はおそらく彼にはわからないだろう。
「親友……」
こくん、とハヤトが頷く。
「おにいさん。
俺、あの日何があったのか知りたい。
おねえちゃんが幽霊じゃないのなら、どうしていなくなっちゃったのか、なんであんな酷いことをしたのか。
俺のこと、どう思ってたのか、知りたい」
彼はハルの方をまっすぐ見上げてしっかりとした口調でそう言う。
リクは嬉しそうに横でうんうんと頷く。
「知りたい……って、結局なんだよ、自力で考える気はねぇのか。
まぁいいや、時間も無いしな」
少し呆れた口調で言うと、ハルは伸びをするように少し背筋を反らして空を仰ぎ、そしてため息をひとつつく。
「最初に断っておくが、さっきも言ったように、俺は現場に行ったわけでも検証したわけでもなく、全てはハヤトの証言を元にした仮説だ。
それを踏まえて聞いてくれ」
炎天下の下、屋根もないガードレールの上で、熱を感じさせない猫のような瞳が二人の前で涼しげな光を見せた。