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1-1

「……あー……クソ」


 リッパーズ・ストリートという不名誉な名前が付けられた街を一望できる小高い丘のバス停ベンチで、リクは小声で毒づく。


 もはや誰に毒づいているのか分からなかった。

 ジリジリと照りつける午後3時の夏の太陽か。

 座っているバス停のベンチの焼けるような熱さか。

 水分補給のために買った飲み物のぬるさか。

 それとも、バスから降りてくる乗客が彼を見て一瞬ぎょっとするその表情か。


 俺が何をしたっていうんだ。


 乗客たちの顔を見て、リクは人生の中で恐らく一番多いであろう疑問を心のなかで呟く。

 しかし実際に、そう言いたいのは乗客たちの方だろう。

 右目に傷、左目に二つのピアスを付けた三白眼、おまけに口と耳にも二つずつピアスを付けた仏頂面。

 そんな面をした180センチ越えの男がバスを降りたすぐそこに座っていたら、普通ならば一瞬足を止める。

 子供の頃に背が低く貧弱でからかわれていたから、強そうに見えるためにやりました。

 そうしたら背が伸びてガタイも良くなっちゃったんです、参っちゃうよね。

 ……なんて一人ひとりに説明するわけにもいかない。


 こんな視線を浴び続けるならば、大人しく後ろに控えているファーストフード店にでも入っていればよかった、と少しだけリクは後悔し始めていた。


「あいたっ!」


 そんな時、小さな悲鳴が数メートル横の歩道で上がる。

 目を向けると、小学校高学年ほどの少年が石に躓いて地に伏せ、手元からは二本のペットボトル飲料を転がっている。

 なんだか昔の自分を見ているようで、リクが立ち上がり少年の方に向かう。


「おい、大丈夫かよ」

「ひっ!」

「……そういう反応は、さすがに傷つくなぁ」


 上からのっそりと現れたリクを見て、少年が顔を青ざめさせて後ずさる。

 とりあえず怖がらせない様に転がった二本のペットボトルを拾う。

 一つはメロンソーダ、もう一つは日本茶だった。


「あ、そうだ!」


 リュックサックを背負った少年は、その中に大切なものでも入っているのか、そっと確かめてほっと胸を撫で下ろす。

 薄いリュックサックには、小さめの缶ジュースほどの丸みが見て取れ、コイツは一体どれくらい水分を補給するつもりだ、と心のなかでリクが呟く。


「あーあ、血ぃ出てんじゃねぇか。ほら」


 少年の前にしゃがみ込んで小さな手を取ると、手の平をすりむいている。

 リクはポケットからハンカチを出すと、その手に巻こうとする。


「ん……ん~?」


 簡単そうな作業なのに、上手くいかない。

 するりと少年の手をすり抜ける絹の布切れに、思わぬ苦戦を強いられている。

 強面のくせに、顔をしかめながらハンカチと格闘するリクの姿が面白かったのか、少年のひきつっていた顔が笑いに変わる。


「あ、コラ笑うな。俺は真剣なんだよ」


 だから面白いんだよ、と少年が言いたげにさらに声を出して笑う。

 どうやら少年は、目の前の男が怖いのは顔だけだと分かったらしい。

 事実、リクの中身はどちらかといえばヘタレの部類に入るほど凡人で、お人好しと言ってもよいほど人に甘かった。


「よっし出来たぞ」


 なんとか形になったハンカチの包帯を軽く叩く。


「俺も不器用だけど、おにいさんも相当だね」


 勝気そうな目をした少年が、笑いながら言う。

 どこか言葉には聡明さが伺えた。


「うっせ、こら!」


 リクも笑いながら、茶色混じりの少年の頭をぐりぐりと撫でる。

 遠目から見たら完全に子供いじめだが、幸いにも人通りがあまりない丘の上の出来事だった。


「おにいさん、バス停で誰か待ってるの?」


 リクが少年を引っ張りあげて立たせると、彼は上を仰ぐようにして問うてきた。


「あぁ、兄貴を待ってんだ。お前は?」

「俺、さっきバスでここに着いたんだ。俺も待ってていい?」


 どうやら先程リクの眼の前に降りてきた乗客の中のひとりだったらしい。

 暑さで朦朧としていた意識の中に、確かに少年の姿があったような気がする。


「バス停は俺のもんじゃねぇし、別にいいけど。お前も人待ちか?」

「うん、おばあちゃん。あそこから来るんだ」


 少年が指で示した方角は、今いる丘の南方に広がる街だった。

 大学病院を始めとして、様々な専門福祉施設が集まった場所であり、同時に介護施設なども充実している。

 病気や障害を持つ人々にとって利便性の高い街であり、彼らのための施設や学校が多々存在しているその区画は、福祉の先端都市として全国ニュースにも出たほどだった。


「ということは、後30分ほどか。だいぶ待つけど、大丈夫か?」


 リクが時刻表を確認しながら少年に問う。

 今日は祭りということもあり、時刻表の下には別用紙で交通規制の旨が記されている。

 どうやら普段は閑散としているこの丘に人が多く訪れるため、極端にバスの本数が減らされるとのことだ。

 その代わり丘のふもとまではいつもよりもバスの本数が多いらしい。

 祭りに来る人々はそこから丘まで歩いてくるのだろう。

 少年の祖母が来るバスも、30分後の次は2時間後、17時を過ぎの到着となっていた。


「若いからね、平気だよ」


 少年はバス停のベンチに弾むように腰を掛けると、メロンソーダの蓋を心地良い炭酸の音と一緒に開けた。

 ぷしゅっと弾ける音と一緒に甘い香りがリクの鼻にも届く。


「あっそ、溶けても知らねぇからな」


 リクも隣に座り、ぬるくなったウーロン茶に口をつける。

 根っこがお人好しなリクと人懐っこい少年は思いのほか会話が弾み、初対面とは思えない程に気軽な雰囲気となった。

 少年は汐凪隼人と名乗った。

 今年で5年生になる野球少年であり、自慢のマイボールをリュックサックから出して自慢をしていた。


「お前も祭りか? それにしては早くない?」


 口を拭いながらリクが問うと、ハヤトはメロンソーダを両手で持ったまま頷く。


「そう、丘の上の神社。恵比寿様ね。

 お祖母ちゃんが和太鼓の出し物をするんだよ。その準備で早めに来たの」

「あぁなるほど。毎年日本舞踊とか太鼓とかやってるもんな」

「そうだよ。今年は高校生も日本舞踊踊るんだって。知ってた?」

「へぇ、知らなかった。そりゃ、ちょっと見たいかも」


 毎年出し物がなされているのは知っていたが、見るもの出るのもお年寄りであり、自分とは関係ないように思えていた。

 しかし今年から若年層を取り込もうという風潮なのだろうか。

 たしかに女子高校生が日本舞踊を踊るとなると、見に来る層はまた別となりそうだ。

 お祭りに対する興味も大分変わってくるだろう。

 リクのように単細胞な高校生くらいなら、いくらでも集まってきそうだ。


「おにいさんもお祭り?」


 聞かれて少し考える。


「うーん、そうといえばそうだし、違うといえば違うかな。

 ほらここら辺で切り裂き事件があっただろ? 犯人がまだ捕まらないやつ。

 それを調べてるんだ。

 まぁそのついでに、祭りの方もちらっと見たり出来たら、いいかなぁとかは思ってるけど……」


 言葉を濁すリクに、ハヤトが不思議そうな顔をする。


「切り裂き事件を調べてるの? どうして? この街じゃ珍しくない事件じゃん」


 他の街の人間が聞いたら、どれだけ物騒な場所なんだと思われるだろう。

 だが、この街では、至って日常だった。


 数年前、この街には一人の切り裂き魔が現れた。

 10人以上の人間を殺傷した事件は、犯人の自殺という形で幕を閉じた。


 問題はそこからである。

 犯人が死ぬ前から死んだ後も、新しい切り裂き魔の出現が後を絶たなかった。

 そのほとんどが切り裂き魔の名を借りた、通り魔や恨み怨恨の類の傷害であった。

 しかし中には『青い蝶』と呼ばれるような数十人もの人間を惨殺しながら、証拠ひとつ見せずに逃げおおせるという怪物まで出現するようになる。

 そのためベッドタウンとして歴史が浅いこの街は、『リッパーズ・ストリート』などという不名誉な名前で呼ばれるようになったのだ。


 そしてこのリッパーズ・ストリートで起こる切り裂き魔事件を始めとした事件や怪奇現象を調べているのが、リクの一つ上の兄・ハルである。

 普段彼は自分の仲間とともに行動し、リクはなるべく関わらせないようにしている。

 しかし今回場所がこの丘の上の神社だと兄の仲間から聞き、土下座をする勢いで同行を頼み出たのだ。

 実は理由なんてどうでも良かった。

 どうしてここまでして同行したかったのか、おそらく『今』の兄に言っても無駄だろうと思い、本当の理由はしまっておいてある。


「へっへ、こう見えても俺、すっげぇ有名な探偵でね」

「小学生相手にそんな嘘ついて楽しいの? おにいさん」

「最近の小学生は冷たいな」


 ニヤリと笑うリクに真顔で返すハヤト。


「ま、おにいさんにも色々とあるんですよ。……あーあっつぃ」


 適当に返して、リクは空を仰ぐ。

 傾きかけた太陽が、バス停屋根の影から出ている場所を容赦なく焼いている。

 いつだったか、「リクは冬生まれだから、暑いのが苦手なのかもな」と言っていた兄を思い出した。


「あっついね。ねぇおにいさん。

 涼しくなるようなお話してよ」


 ハヤトが脚をぶらぶらさせながら、リクの顔を覗き込む。


「へ? 涼しい話って……」


 それだけで、一瞬リクの背筋がぞくりとする。

 嫌な予感がする。


「決まってんじゃん。こ・わ・い・は・な・し!」


 内緒話をするように口の横に手を付けて、わざと小声でハヤトが言う。


「ふざけるなよお前そういうのはな、やっちゃだめなんだ。

 そういう話をするとな、そういうのが寄ってくるんだよ。

 いや、幽霊なんて信じてねぇよ、全然。

 でもな、ダメだ。寄ってくるんだよ、なんかそういう、悪いものが。だからそういうのはだめだ」


「……おにいさん、もしかして凄い怖がり?」


 一瞬にして真顔に戻り、ハヤトを真正面から見てまくし立てるリク。

 そんな彼をハヤトがどこか哀れそうな目で見る。


「おいやめろ、そんな目で俺を見るな!

 俺が怖がりなのが悪いんじゃない! 幽霊が怖いのが悪いんだ! 俺は悪くない!」

「うわぁ」


 目を見開いて必死で説明するリクに、完全に引いているハヤトが少し遠慮がちに問う。


「じゃあ怖くないお化けの話ならいいの?」

「怖くない幽霊? 幽霊は怖いから幽霊だろ!

 というか幽霊とか言うなよあんまり、怖いだろうが!」


 どうあがいても怖いらしい。

 そんなリクを見ながら、ハヤトが呟く。


「いるけど、怖くない幽霊」

「え?」


 両手で耳を塞ごうとしていたリクから視線を外し、真っ直ぐ前を見て思い出すような目をする。


「俺、幽霊の友達、いるもん」


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